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カテゴリー未分類を始めます

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  カテゴリー未分類を始めます

 最近は過激な発言も多い小生ですが、
これまで、こういった記事など、時に「散文」なり、「おぼえがき日記」なり、
そしてまた時に「言葉」と、あちこちに書いてまいりましたが、
正直、どのカテゴリーに分けていいのかわからないものも結構あります。
それに加えですが、勤務を終え、部屋に戻り、1時間なり2時間あるかないかの希少な文筆タイムを、
一体どのカテゴリーのどんなジャンルを書こうかとしてゆく内に、
時はすっかり明日に備えた就寝時刻を迎えてしまうと。
これでは一向に書き進みませんから、
ちょいと手を考えたのです。
そう、思うままにどのジャンルでも書いてゆけばいいし、
メニュー内のカテゴリー分けは後でやればよいと。


そういう訳でありまして、「記事未分類」をメニューに追加します。
また、ここに置きます記事は、内容も気が向けば校正し、清書する事もあろうかと思います。

◆記事未分類◆には、「決意 夢の実現力 Enterキー」にあたるものや、
「ちいさな一歩」の無料公開セミナーでもあるワークショップにあたるものも書いてゆくかもしれません。

というわけでありまして、今日は記事をいくつか書いてみようかと。


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神性の階段の補足

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  神性の階段の補足

 昨日記事にしました、「霊性精神性の階段を登る方へ向けて。(神性の階段)」の補足になりますが、
その行いは目的なのか、それとも手段なのか?
これに関して以前にも書いておりました記事がありますので、
今日はその記事のお知らせです。

「願望成就、引き寄せに必要なもの 愛の念は徳のエネルギー」 
「心をこめる 行為そのものが目的であること」これは本日、どなたでも読めるように再公開にしておきます。
「心をこめる・・・」では、なぜ行為そのものが目的であるべきなのか、その理由も述べてあります。


愛上王
11/01/20 23:24:40

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実は単純な事なんです

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  実は単純な事なんです
 
 今回は記事、「神性の階段の補足」にて頂きましたコメントの返信を
こちら記事内でするものとします。




> 自分の行いに愛だと思っても、心の中に 無意識に見返りを求める部分があるとき、愛じゃないですね。結果をみると相手に笑顔がないですから、結果は正直です。


 そうですね、見返りを求めたら愛ではないですね。
まあでも、相手に笑顔がなくてもいいんですよ。
太陽は私たちに恵み与えてくれていますが、私たち人間や動植物に笑顔すらあてにしていないですしね。


今回、ざっとしか書かなかったんですが、
今回の話は、自と他が分離存在した形の、二元論での説明なんですよ。
本当は自他同一であり、自と他の区別すら感じることなく問題にすることなく、行う。
それの前振りみたいなものなんです。



自と他の区別感すらしないで存在する時が最高の愛の状態で、存在そのものが純粋愛であると。
でも、本当は愛だの純粋愛にこだわる必要もないんです、自他同一が完成した時は。
存在そのものが愛であり、宇宙と一体。 すべてが自分、私はあなたであると。



だから、本当は単純なんです、
自分がされたらいやなことは人にしない。 自分がされたら嬉しいなって思えることは人にもどんどんする。
だからその行いが本当に愛に沿ったもので、誰彼問わず、いえ、自分だの他人だのという区別の概念すらなく、
ただ愛を行うと。


愛上王
11/01/21 22:18:41

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見性の特徴のひとつ(悟りの特徴一部)

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  見性の特徴のひとつ(悟りの特徴一部)
 

 今日はちいさな一歩で小出しにしてゆく予定のもので、
これまで出し惜しみがちだったものを少しだけここに公開します。

以前の記事にて、「実践的ワークショップ すべてに献身し 心をニュートラルにしてゆく」といったものを書きましたが、(更新日2010/8/31)


その中で私は以下のように記しました。

---------------------------------
欲望にはまりすぎない。
足るを知る。
不正を行わない。
道徳を厳守する。
こうしてゆくことにより心はニュートラルになり、
不正をしている人やインチキも割りとすぐに見抜けるようになります。
(これらははるか以前に、「上を向いて歩こう」の「嘘は身に還る」でも多少触れています。)

そしてこれらは別の言い方をすれば、ありがちな損得ばかりを考えず、できるだけ他者と自分を区別しないということでもあります。 
それは自他同一。 (注へ

たとえばですが、透明で澄んだ水になにかモノを落としたとしましょう、
透明で澄んだ水であるなら、水の中に落とした物、それらはすぐにその異物の正体がわかるというもの。
これら欲望にはまり過ぎず、道徳を守り、不正から離れてゆく姿勢というものは、水で例えればにごりをできるだけ少なくしてゆくことなのです。
---------------------------------

この記事は一読して頂ければおわかりになるように、「見性」(けんしょうと読みます)について触れたものでありますが、
しかしこの記事ではポイントだけを押さえ、かなり大雑把な説明しかしておりませんでした。

なぜ欲望にはまりすぎない事が大切なのか?
なぜ足るを知り必要以上に求めないほうが良いのか?
なぜ不正を行わず道徳を守るべきなのか?
そしてなぜそれらをしてゆくと心はニュートラルになると断言ができるのか?
そのニュートラルとは一体全体何を意味したものなのか?
ニュートラルという表現だけではあまりに曖昧すぎるではないかと。

繰り返しますが、この時の記事は「見性」を扱ったものです。
「見性」、別の言葉に言い換えればそれは「悟り」であり、
「円成実性」という言葉でも表すことができるそうです。
できるそうですだとか、あいまいな表現になってしまうのは大変に申し訳ないのですが、
私が「見性」という単語そのものを知ったのは去年なのです。
しかしこの「見性」の状態を初めて体験するようになったのは、
「上を向いて歩こう」の第一部の、「愛」を書きだした、2000年の年末。
この原稿は「見性時」の年末に下書きが出来上がり、清書が完了したのは翌年の1月7日。
この時生まれてはじめての断食行をし、初めてでありながらも丸9日間の断食に成功し、
この間に初めて「見性」に手が届く。
その特徴の幾つかを列挙してみますが、
まず我執が消えていると自身でもしっかり理解ができ、(普段の私はもちろん我執はあります。)
那田尚史さんのサイトの説明にもあるように、我執なく心がまっさら状態であるゆえに、
これがもっとも重要だと思いますが、
物事、事象を見つめるときに、「偏った偏見がない」のです。
これは磨ききった鏡のような心境であると表現がなされていますが、
この状態の時、目の前の視界が異常なくらいにクリアで、
これを表現するのは非常に困難なのですが、この地上世界、つまり3Dの中の、
さらなる明確でハッキリしすぎた3Dの中を見開いている、とでも言えば表現はいくらか近いでしょうかね。
私たちは平面ではなく、立体的な世界でモノを観、生活してるわけですから、
3Dのさらなる明確でハッキリという表現がおかしいのは承知はしています、
しかしそういう表現しか私には思い浮かばないのです。
とにかくこれは筆舌に尽くしがたく、表現の困難なクリアー状態であると。
この時、書こうとする主題に関するものはブレなく真理が私の中で広がるような感じでスラスラと出てくると。


さて、この状態がなんなのか、それは、レンズに付着した色が取れた状態でもありますし、
濁りと言い換えてもいいかもしれませんが、生活環境のなかで染み付いた「偏った偏見」が取れている状態なんです。
これを私は前回記事であります、「実践的ワークショップ すべてに献身し 心をニュートラルにしてゆく」の中で
お伝えをしたかった、「ニュートラル」部分なのです。
「偏見」がないんです。 だからニュートラルなんです。
例えば、王様とは支配的だ。
これは実は偏った偏見なわけですよ。
では、偏見の無いモノの見方で王様を見るとどうなるか、
王様とは、人の個性が沢山あるのと同じように様々である。

さてでは、スジある意見を述べるとします。
でもある人はそれを批判と受け止めると。
しかし偏見が取れてゆくと、
自身も周囲にとっても益となる建設的な意見であると。
こうして、物の見方が変わってくるのですよ。
そう、まさしくニュートラルにです。
ではなぜ私がこうまでして「見性時」のこの性質、特徴を重んじようとするのかと言えば、
「偏見」を抱いたままの状態にしがみついている限りは、「悟り」とは程遠いのだと言う事。
悟った覚者はご覧のように「偏見」がありません。
色の付いたレンズでものを観ているうちは悟りではないのです。
悟りに偏見は持ち合わせていないのです。 それは相反したものなのです。
その事象を曇りなく、レンズの色を通して事象を観るという事をしていない状態だからです。
悟りとはなんなのか? 今回はその特徴の一つを挙げたわけですが、
欲望にはまり過ぎず、足るを知る。
これは偏見を芽生えさせたり増長させない為に必要なものなのです。
不正を行わず道徳を守るも同様で、他者に害を為さず、利他的であるよう維持をしてゆく最低限の戒であるからです。
そしてこの偏見を無くしてゆくには、自と他の区別感をしないよう意識的に持ってゆき、生活をしてゆくのが一番良いのです。
自と他の区別感を無くしてゆくとはつまり、自我に執着をしてゆかないと言うことであり、
自身に執着がなければ「偏見は生まれようもないのです。」
偏見は自と他の区別感、この二元論で言えば分離存在した形である、
他者をまさしく他者と観るからこそ生まれる、執着に起因したものなのだ。


しかしもちろん私たちのこの現実の世界では、当然ながら他者とは分離存在をした形であるのは事実ですし、
それを日常生活の中で否定せよと言っているのではありません。
分離存在をした他者ともうまくやってゆき、自身のごとくその幸不幸に一喜一憂する。
他人が喜ぶことを自身に向けるが如く区別せずにただ行ってゆく。
こうすることにより魂は、霊性精神性と置き換えてもよいですが、
そのステージは神性を益々帯び、愛である利他以上のステージに駆け上がってゆく。



そして最後、付け加えておきますが、
「あるがまま」に「観る」とは、この状態時でのモノの見方であり、
「見性」を迎えた時にこそ相応しい表現であり言葉なのです。
日常生活の中にある「偏見を引きずった状態で事象やモノを見たとしても、それは色つきレンズを通してものを見ているに過ぎないからです。」

(以前の記事、 http://firstdoor.jugem.jp/?eid=280 このコメント部分で触りだけお話してありますが。) 



注、
怒りの意識は一見すると、負には見えますが、必ずしも悪感情とは言い切れません。
この件についてはまたいずれ。


注2、
「見性」時は物事を捉えて考えるとき、それに沿った真理が湧きでると少し前に書きましたが、
それと同じように、他者が書いた、もしくは他者が唱える真理が誠なのか、
その真贋を見極める事ができると記しましたね、
それは「偏った偏見のないこの状態だからできるのです。」
その事柄を見つめたときに真理が浮かび上がりますが、
偏見が消えたまっさらで鏡を磨ききった状態であるからこそ、
説や論のおかしい部分があればクッキリとわかるのです。



今回のこの記事はまとめたら ■ ちいさな一歩 ■ に移動します。
ここで再三ですがもう一度。
いわゆる「悟り」、「見性」には、
状態として、その質として、この時、偏見が消えています。
悟りの質、その一側面は、偏見がない事。

私が進めてゆく、  ■ ちいさな一歩 ■ のワークショップ部分では、
この偏見を日常で少しずつ断ち切ってゆく為のものも盛りこんでゆきます。

出家者であるお坊さんらの方が市井の中で過ごす我々よりも悟りを早く得やすいのは、
その禁欲的にみえたりする生活やそれら修行生活にあります。
彼らの多くは若干消極的な手法と言えるかもしれませんが、
触れない事によって偏見を抱かず、断ち切ろうというもの。
私はそう判断をしています。

(過大な期待をされたら困りますので再度ここでもお断りをしておきますが、
私は「見性」に手が届いたと言えども、年に数日、あってせいぜいが10日前後あるかないかですから、
覚者ではありません。
しかしこの入口部分までなら、多くの人にとって私は先達であろうかと思いますので、
それらを今後も少しずつ記してまいります。)

さてさて、書き始めると言い尽くす所まで書きたくなってしまうのが小生w
いいかげんここらで筆を置きます。
今後これらに関連したものを書いてゆきますので。


しかしいいですか、
こんなモノより大切なものがあるんです。
それもいずれ記事にはしますが、
そのとても大切なことをみなさんにお願いをしようと思います。
どうかランキングを応援してください。
他者に少しでも多く献身をする為に、
少しでも縁を広めてください。
この私たちの人生の最大のキーワードは他者への愛なんです。

愛上王
11/01/24 23:15:09


おそらく今まで、「見性」、悟りの質なり特徴を、ここまで公開した人はいないはず。
だから言いますよ。
パクリは厳禁。
こういう事は毎度我執から言ってるのではありません。
悪行をさせないため。
そう、未体験なのに体験したかのように振る舞いたがるインチキ先生をさせないため。
それにより騙される人たちを抑制するためでもあるのです。

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自身の浄化 まずすべきこと

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  自身の浄化 まずすべきこと
 

  浄化という言葉があります。 
これ、何も何か特別なスピ的な儀式や術のようなものばかりで行うものではありません。
自身を浄化するには、これまでの自身の「心と行いによって」浄化が必要となったわけですから、
「自身の心と行動により浄化してゆけるものなのです。」
なぜなら、ここは物理的な地上世界であり、私たちが行動をもって「心」を行う場所世界だからでもあるのです。

この世界は心と行いによって表現、自身を表す場所であり、
その自身が為してきた、心と行いによって浄化が必要となったのですから。

さて、もし何かのスピ的な儀式のようなもので個人の浄化ができたとします。
でもそれは、実はあくまで副次的なものでしかないのです。
なぜなら、もし自身の心と行動をあらためてゆかなかったなら、
それはほとんど意味のないものになるからです。
それは以前に「上を向いて歩こう」内でも記しましたが、
いわば汚れたキャンバスに絵を書こうとしてるようなものですし、
汚れたままの壺に清らかな水を注ぐのにも似ています。
どんなに清潤な水を注ごうとも、器が汚れているのならほとんど意味のない行為と言えます。
スピ的な、儀式的な浄化が副次的なものであると私が言うのはそこにあります。

では浄化の儀式を執り行いますので、金5万円を指定した口座にお振込みください。
などといったものをこの世界ではたまに見かけますが、
そんな必要はありません。
神社などで行うお清めやお祓いには意味はありますが、
自称スピカウンセラー等が言う浄化の儀式など、お金をドブに捨てるようなものです。
彼ら彼女らはそういうビジネスチャンスの機会として参入してきてるのですから。
そういった実例をみてきていますし、その実例を読者の皆さん大勢にみせてあげたいわけですが、
残念ながら名指し行為となるため、それらの膨大なログをお見せすることができません。


■この自身の浄化に関するものは、今後「ちいさな一歩」の自身に向けたものとして扱ってゆきます。






浄化は自分の実際の心と行動で行ってゆきませう!
などというのがこれから流行りますよぉw
とまあこうして釘を刺さねば本当にパクられ流行ってしまいますw
そして月日は流れ、私の論なんですが;; などと言っても世に浸透したころには信じてもらえないとw
これらはこれまで度々でしたのでこうして釘を指すわけです。

盗作される事によって霊性向上を目指す人達の目にもとまり、
それはヨイことでは?とコメントをくださった方もいますが、
そうではありません。
もしそう思うのなら、
自分の持論や思想かのように騙るのではなく、
それら人々に良い影響を与えると思われる文なり思想は、
■その大元のブログや書籍を紹介すればヨイだけの話なんです。■
盗作なのに自分の論かのように振舞うのはエゴそのものです。




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本物は限りなく無償に近い

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 Kenshyoさんシリーズ 第一回 本物は限りなく無償に近い


 前置き:愛上王さんの行為で、一読者であった僕が3回に渡って話をする機会を与えてもらった。こんな機会を与えてくれた愛上王さんにとても感謝している。日本語は僕の母国語ではないから丁寧な言葉遣いは出来ないし、解りづらいところも有るかもしれないが、その点はどうか大目に見て欲しい。


 本物は限りなく無償に近い

 この言葉は、愛上王さんからの僕の以下コメントに対しての返答の中にあったんだけど、的を射てるからタイトルにさせてもらった。

僕の友人の奥さんで、不思議な能力の有る人がいるんだ。子供の頃からずっとそうだったそうだが、彼女が体験する事を話すと兄弟達からさえも気持ち悪がられるだけなので、人に話すのはやめ、ずっとどうして自分だけ他の人と違うのか悩んでいたそうだ。でも、大人になって同じような人が居る事が解り、そういう人 たちと親しくなる事で、自分をそのまま受け入れられるようになり、その仲間らの励ましで自分もサイケックになる事にしたんだと、ある日打ち明けられた。

確かにそれ以前は何も僕に言わなかったんだけど、それからは会うと"ケンちゃん、今、こうこうこういう風なの?"って、僕は誰にも何もそれらしいこと言っ ていないのに、僕がちょっと悩んでる事や、僕の心情をズバって言って来るんだ。僕はドキッとして、"どうして?"って訪ねると、"今エンジェルが私にそういったから"って言うんだ。彼女に僕の全てを見透かされてるようで、誰にも知られたくないような悩みとかが有る時は、彼女と話すのは避けてる。

そんな彼女はサイケックとしてやって行ってるけど、まずブログもなければ、HPもない。全く宣伝はしていなくて、口コミだけで相談者を受けている。そして料金は設定せず、"あなたのお気持ちで結構です。満足頂けた分でいいです"って言うんだ。

彼女いわく、サイケックの中には、本当は答えが解らないのに、お客さんが喜びそうな事を言って人気を得ている人もいる。でも、私は解らない事はスピリット 達が教えてくれなかったと正直に言うの、ってさ。そしてサイケックによって得意な分野と不得意な分野があるそうだ。僕はサイケックリーディングに興味はないというか、そんな事で翻弄されたくないから、そんなことは個人的にはどうでもいいんだけどね。

ただ、生涯に1度だけサイケックリーディングに行ったというか、連れて行かれた事が有る。高校生の頃に、すごい当たるオヤジがいるから一緒に行ってって当 時のガールフレンドに頼まれたんだ。そのオヤジ、僕は僕の事まだ何にも話してないのに僕の家族や過去の事を話しだすんだ。すごい、全部当たってる!もちろ ん、一緒に行ったガールフレンドも知らないような過去のことなんだから、彼女が前もってそのオヤジに僕のことをあらかじめ話していたとも考えられない。僕 はほんとにビックリして、その後何言われたかも記憶にない。

でも、あと覚えているのはそのオヤジが"未来の事は不確定な要素がありすぎて、正直、必ずそうなるわけではない。僕が見えたのは、そうなるかもしれないと いう可能性の一つでしかない。"って言った事と、お代はお気持ちで結構ですって言った事だ。そのオヤジは体が不自由で歩く事さえできない人だった。今思え ばあんなボロ家で生活保護に頼って生活していたんであろうに、すごく謙虚な人だったなってこと。

あと、これはレイキなんだけど、僕の友人でレイキマスターの女性がいる。彼女は有名なレイキマスターから、手ほどきを受けた。もちろん、マスターになるにはすごい時間とお金を費やしている。数百人に臨床を行ってその分析もリポートして、本当に大学のマスターコースに行くような事もその1部だった。

あれだけ時間とお金を費やしたのに、その友人はとにかく要望があればレイキを無料で施してあげている。そして毎週、病院の入院患者にレイキを施すボラン ティアをひたすら続けている。僕も1度やってもらったことがあるけど、その時も絶対に私にお金を払わないという条件ならやってあげるわよと言われた。レイ キマスターとして、人にレイキを教えてあげられるほどの人だけはあって、すごかったよ。ものすごい気が入って来たもん。彼女の場合は極端な例かもしれな い。僕は20年彼女を知っているけど、どんなにいそがしくても必ず何かのボランティアをやってきている。それが生き甲斐みたいな人だからね。でも、ほんと にそういう人はいるんだ。

スピ系の本物は実力をもっているけど、謙虚で正直である。この分野の本物はブログやHPで宣伝なんかしていない。その必要がないからだ。本物は自分からクライアントを探さなくてもクライアントの方がその実力を聞きつけてやってくる。

これは人としての本物とも言えると思うが、本物は謙虚で誠実で慈愛と感謝に満ちている。謙虚とは自分を卑下する事ではなく、自分を過信しない、ひけらかさない、偏見がなく自分を押し通そうとしない。誠実とは自分にも他人にも正直であるということ。慈愛とは、心から相手を大切にしようとする心。感謝に満ちているとは、損得なしに小さな事にも感謝の心を持っているだけでなく、自分の不遇でさえもあるがままに受け入れ、決してそれを悔やまない。

そんな人は多くいないだろう。でも何か相談をあおぎたい時はなるべくそれに近い人を選びたいと思う。医者や、仕事のアドバイス、何かを学ぶときの先生、子供の事などなど、他にも相談したくなる事はたくさんある。スピ系の相談もそうだ。何事もアドバイスを得たい時は、まずそれにふさわしい人格の持ち主であるかという事が最も重要なことで、それを見極める目を養う事が大切だと思う。

しかしながら、究極はスピ系の診断なんて誰も必要ないと気づくことだ。まず乗り越えるべきカルマは、そういう依存心の解消であることに気づくべきだ。次回はそれについて話したい。

Thanks for reading.
Kenshyo


この度は記事の寄稿を快く承諾くださいました
Kenshyoさんに感謝します。

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スピ系の診断を求める前に

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 Kenshyoさんシリーズ 第二回 スピ系の診断を求める前に

 誰だって自分に自信を持てなくなる時や、誰かに背中を押してもらいたくなる時ってあるだろう。心がちょっともろくなっている時には冷静な判断力が欠けてくる。こういう時、スピ系の診断を求めていい結果に終わる事はほとんどないだろう。なぜなら、彼らはそういう誰にでもあるちょっとした心のスキを狙って商売にしているからだ。その心理をよくわかって言葉巧みに誘って来る。あなたの魂を癒します、浄化しますとか。知能犯になると魂の本当の目的を知りたいと思いませんかと直接言わなくても、クライアントの体験談など出して、潜在的にそう語りかけて来る者もいる。

自分自身や、今の自分の状況をを変えられるのは自分しかいない。自分で乗り越える事が人生の学びの一つだと僕は思っている。人に何かを求めるというのは依存心から来るもので、自分で自分ときちんと向き合おうとしてないからだ。自分と向き合わないという事は、知らずのうちに下を向いて歩いているようなものだ。よくありがちなのは、スピ系の人達に相談に行き、言われた事に不安や疑問を抱き、これは本当だろうかと更に他の人に聞き、その人の判断さえもどう思うだろうかとまた誰かに相談してしまう等というケースだ。

下を向いていては、前は見えない。そして、見えないままにただ不安の中をどうどう巡りして人生を無駄にしてしまうかもしれない。愛上王さんの言う"上を向いてあるこう"という言葉を思い出そう。とにかく上でも前でもいいから下を向くのはやめよう。その時に完全な答えは見つからなくても、ちゃんと顔をあげて進んで行くうちに、解決の糸口は見つかるものなのだ。全ての物事は考えようで、堪え難い事も角度を変えてみると、納得できたり心穏やかに受け入れる事が出来たりするものだ。

自分のカルマに気づきそれを乗り越えて行くのは、自分自身に与えられた課題で、他の人に気づかせてもらったり、変えようとしてもらう事ではない。どんな時もちゃんと自分と向き合っていれば、答えは必ず見つけられる。気づこうと前を向いていれば、自分で気づく時が来る。少なくとも僕はそう思う。まして大金払ってまで人に依存すると、お金払ったんだからその分の価値はあったと思うと、自分自身に納得させてしまおうとする心理まで働くからタチが悪い。まず乗り越えるべきカルマは、そういう依存心の解消なのではないだろうか。

また、たとえそう大げさな悩みはなく、ただ興味本位や安易な気持ちで"私もこの世に生まれた目的を知りたいわ。"とか、"アセンションに向けて魂の浄化をしたい。"などと言う場合も、気持ちが浮き足立って盲目的にスピ系の広告を信じがちで、心のスキを狙って商売されようとしている事に気づかないものだ。

心のスキを狙って商売しようと仕掛け、待ち構えている者はまだまだいる。冷静な目でそういう人達の宣伝媒体である、ブログやHPを見れば必ず矛盾、嘘、誇張、疑問点が見えて来る。とにかく心のスキをなるべく作らないようにするのがベストだ。でも事実、アセンションを目前にカルマの浄化、過去世、魂系の商売にはとてもつけ入れられやすい時期となっている。その巧妙さにつけこまれない為に、第三弾ではその具体例を事実と共に、日本では認識がまだ薄く、とてもつけこまれやすい過去世、魂系のヒプノセラピーについて話したいと思う。


今回も最後まで読んでくれてありがとう。

Kenshyo

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ヒプノセラピーと養成校に要注意

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 Kenshyoさんシリーズ 第三回 ヒプノセラピーと養成校に要注意

 アセンションを目前に、過去世、魂系の商売にはとてもつけ入れられやすい時期となっている。こんな時はむしろ外に目を向けるのではなく、
心の内に目を向けてスピ系の変な情報に翻弄され、心にスキを作らないように心がけるのがベストだと思う。しかしながら、
人間は弱いものでとても巧妙な仕掛けは見落としがちになり、ついハマってしまう事もあるものだ。

ヒプノセラピーは、アメリカなどでは実用的に使われているが、日本では認識は薄く、あまり情報もなく、その知識は限られている。
特に、魂を覚醒させるという過去世系ヒプノセラピーは正直、野放し状態で今、最もつけ入れられやすい分野と言えるだろう。
しかしこのヒプノセラピーが日本より定着している国の事情と比べてみると、あるべき姿が少し見えて来ると思う。僕が紹介する情報はヒプノセラピーに関して読んだもののほんの一部だが、判断の参考にしてもらえれば幸いだ。

今回は長くなるのでまず、結論を先に書いておく。僕が調べた限りの結論としては今の日本には、本物のヒプノセラピストはほとんどいない。また、それを十分に養成できる学校はない。
なぜそう言い切るのかは全部読んでもらえれば解る。僕が調べた限りと言うのは、HPもなく全く宣伝もなく、ひっそりとやっている本物はいるかもしれないからだ。

アメリカでの信頼できるヒプノセラピストは、

* 一般に、心理学博士や看護婦等、分野によってヒプノセラピー以外の専門家である
*  C.Ht.やA.C.H.としての認定を持っている。持っている人は、名前の後に“山田花子C.Ht.”などと付いているから解りやすい。これはヒプノセラピストとして最低の教育はを受けているという証拠。
*  専門とする分野の経験が最低でも10年はあるマスターから100や200時間の実践トレーニングを受け、実践能力を認められている(多くの場合、xx博士からコレーニングをどれくらい受けたとかをプロフィールで書いてある)
*  専門とする分野の経験を十分に持っている(うまい下手の個人差があるので何を持って十分とするかは難しいが。。)
* 過去世、魂系のヒプノセラピストは、C.Htをもらった後、さらにそれ専門のコースを終了し、 専門の実践教育を受けて経験も積んでいる。


以上のように、過去世系ヒプノセラピストとは100発100中的確に退行催眠まで導ける技術と経験、心理学の豊富な知識、それ以前に人としても良識が必要なのだ。あやまってクライアントにまちがった記憶を作ってしまい、その人の人生に影響してしまう危険性があるので、心理学の知識はとても重要となる。

プロフィールで米国催眠療法協会認定ヒプノセラピスト(American Board of Hypnotherapy、またはABHと書いている事もある)、THA認定もしくは単に認定ヒプノセラピストとだけ言っている人はヒプノセラピストとしてはほど遠い(それが書いてあるのは見分けるのに解りやすくていいが)。ブログ村ランキング他、色んなブログランキングで宣伝しているだけでもかなり居る。

米国催眠療法協会(American Board of Hypnotherapy)認定ヒプノセラピストなどという彼らは2日のコースを終了しただけで開業した、素人となんら変わりない人たちである。
日本でのヒプノセラピーの認知度が低く、今、過去世、魂系の商売に人気があり、簡単で騙しやすいのでやっているだけの詐欺師のようなものである。
プロフィール欄にヒプノセラピストとしての経歴が詳しく書かれていない場合は、全部この手の人達なので要注意だ。

THA認定とはたぶんお金儲けの為に日本人のだれかが作り上げた認定で、世界が認めるヒプノセラピーのレベルには程遠い。
もし、その人がC.Htなどの認定もあわせて持ち、上記に示したような経験とトレーニングを積んでいるなら別である。

米国催眠療法協会(American Board of Hypnotherapy)認定自称ヒプノセラピストは、主にクライアントをハイヤーセルフにつなげるという、素人で十分できる簡単な催眠を使っている。しかし、それすらも時々うまくいっていないようだ。現に、ブログ村ランキングで上位10位くらいの葉山でやっている人の所に行って、なんの変化も感じなかったというコメントが愛上王さんに来ている。彼は自称する通り、ライターなのである(この指摘の後、スピリチュアルライターというのをプロフィール欄から削除するかもしれないが)。クライアントのプライバシーであるセッションの内容を断りもなく誇張(とおそらく妄想も)加え、宣伝の為に書いているだけなのだ。どこまでも人を利用する事しか考えていない。

自分のハイヤーセルフにつながるには自己催眠で十分にできるので、その程度のことをやりたいのならヒプノセラピストに行く必要はない。(詳しくは一番最後を参照)これとは別に、ハイヤーセルフにつながるのをお手伝いします的なものも出ているが、高額を申し付けているところはこれもお金の為だけだ。


ここでもう一つ重要な事は、催眠中に見たり経験する事は全て催眠にかかっている人の想像であるという事だ。少なくとも現在のヒプノセラピーの分野ではそう言われている。
後に詳しく説明するが、催眠状態の深さを問わず、催眠とは変成意識状態なので想像力が思いっきり高まっていると同時に、とても暗示にかかりやすくなっている。

変成意識状態であなたの守護神は誰ですかとか、言われるとその豊かになった想像力で思いっきり想像してしまうのだ。
もし過去にあなたの守護神はマリアさまですと言われた事が有る人は、そう信じたいと思ってる事もあって、その姿が浮かんで来る可能性は大だ。
あなたの魂はどこから来たのですかと聞かれて、自分では聞いた事もない星の名前が出て来たとしても、自分は聞いた事がないと思っていても、覚えていないだけでその名は自分の潜在意識の中にあった情報なのだ。

自分でハイヤーセルフにつながりたいと思って自己催眠をかける場合も、つながりたいという願望が強ければ強い程、豊かになった想像力でありとあらゆるハイヤーセルフのお言葉のようなものが想像されるだろう。だからハイヤーセルフにつながったんだと思える成功率は高いはずだ。

このように自己催眠にしろ、ヒプノセラピーにしろ、つきつめると自分の想像による自己満足的要素が強いのだ。
催眠療法懐疑派はこの点を指摘し、こんな果てしなくあやしい事では医療効果等期待できるはずはないと催眠療法を否定する。
しかし、推進派は思い込む力の影響とはとてつもない力があるというのも事実で、実際にその効果がある場合も有ると言い、推進している訳だ。
ヒプノセラピーが日本で定着していないのは、懐疑派の意見が主流だからかもしれない。

次に、アメリカでの信頼できるヒプノセラピスト養成校は、

* 最低でも1人の心理学博士または医師のヒプノセラピストが指導している
* 専門分野のヒプノセラピストとしての経験が10年以上の講師が最低でも1人いて指導している
* ヒプノセラピスト業界の中である程度、権威が認められている人がディレクターである
* C.Ht.やA.C.H.としての認定がとれるコースを持っている
* できればコース終了後のインターンシップ(実践のみ)もある、もしくはインターンシップ出来る所を紹介してくれる


以上が整っていない学校は学校として未熟である。未熟で道徳心のない学校は、2日でとれる認定コースなどをうたい文句に生徒を勧誘したりしがちになる。
certificate はいろんな意味に訳す事ができこの場合、コース修了書くらいの意味しかない。日本以外にもこの手の数日コースをやっている所(学校とは限らず、会場を借りて)があり、
これは問題視されている。これは100%金儲けの為だけのやり方であって、道徳心の欠如の現れで、恥ずべき存在である。これをやめない限り、2日のコースを終了しただけで認定ヒプノセラピストと名乗って開業する詐欺が後を絶たないからだ。

THA認定とは、さっきも言ったがたぶんお金儲けの為に日本人のだれかが作り上げた認定とは名ばかりのもので、世界が認めるヒプノセラピーのレベルには程遠い。
おそらくその認定を受けてヒプノセラピストと言っている人たち自身もそんな事も知らない被害者だと思われるので、非難するつもりはないが、だいたいカルチャーセンターなどで学べるレベルの事ではない事は棒の書いている事を見ればわかるだろう。
だからここの認定を取っても、ABH認定同様、せいぜい自己催眠でできる程度の事しかできないであろう。チャンネリングとヒプノセラピーを混同しているような節もある。

また、退行催眠、過去世系のコースが簡単に受けられる学校は、まず疑っていい。退行催眠は上級者向けだ。アメリカではそれを受ける前に300時間くらいのコースを受け、
試験に合格した者のみ受けられる等が一般的である。C.Ht.認定コースもなく、簡単に退行催眠、過去世系のコースがあるのは、100%金儲けのみと思っていい。受講する人は単なるいいカモだ。

参考の為に、以下のアメリカの学校はC.Ht.(Certified Hipnotherapist)には300時間、約80項目のコースを終了後、テストに合格したものに与えている。その項目はPDFファイルをあければ詳しくのっている。

http://hypnotherapyacademy.com/hypnosis_courses.html


では、すこし詳しい説明に入ろう。

催眠を理解するには
潜在意識とは何かをまず理解しなければならない。潜在意識とは表層意識の下に有り、呼吸をしたり、見たり聞いたり、痛みを感じたりとかの無意識のうちに働いている意識として主に知られているかもしれない。
だが、全ての経験と情報、感情がここに納められている巨大な倉庫みたいな所だ、表層意識の裏方で情報をもとに考えたりしている。
表層意識はその中からの考えを選び、行動に移したりするものである。何かの解決方法を探していた時、ある日突然ひらめいたとかという事があると思うが、
これは表層意識がその時に考えついたものではなく、潜在意識が既に考えて裏で用意していたものが引き出されただけなのだ。
また、潜在意識レベルの感情は理性等の表層意識に抑えられている。これが気づかないうちにストレスとなって体調に影響したりすることもある。

起きている時は潜在意識は裏方だが、寝ている時は表に出て来る。これを利用して、深くリラックスした状態でうまく催眠誘導する事で表層意識を持ちながら潜在意識にアクセスするのが催眠である。これを変成意識状態とも言う。

変成意識状態では眠っている訳ではないので、常に意識はある。普段の状態と違う点は、羞恥心、恐れなどの感情抑制のバリアである表層意識が抑制され、
普段表面にでてこない潜在意識が表に出て想像力や創造力が増している事と、とても暗示にかかりやすい状態になっている事だ。
抑制がはずされている状態なので自由で楽しい、とてもいい気分になる。 体が飛んでるように感じるほど軽くて気持ちよくなる人もあるようだ。
麻薬や酒に酔って気持ちよくなっているような気分に似ていると言ったら解りやすいかもしれない。

ヒプノセラピーはセラピストが感情や思考の抑制バリアがなくなっているクライアントの潜在意識に直接アクセスし、語りかけ、暗示にかかりやすい状態を利用してセラピーを施す。
とても暗示にかかりやすい状態なのでので、例えば“君は今水の中で溺れている”と言われると、本当に息苦しくなったりする。

EGG(脳波を測って)の研究によると、催眠状態中は起きているにもかかわらず、実際には眠っている時や白昼夢を診ている時の状態の脳波があがり、起きている状態の脳波は下がっている。
また、大脳皮質の変化を研究した結果では、 催眠状態中は左脳の活動が低下し、右脳の働きが活発になっている。つまり左脳の正しく行動しようとする力が低下し、想像力が増し抑制がはずされている状態であるということが、科学的にも裏付けられている。

催眠はかかりやすい人とそうでない人、始めはかかりにくいが一旦入ると深く入ってしまいやすい人と様々だ。
経験豊富なセラピストの場合、事前に簡単なチェックを入れてかかり易さを診る事が出来る。
また、トランスへの誘導のテクニックは主に以下の6つで、知識と経験のあるセラピストは、クライアントの性格、用途などによってふさわしいものを使い分ける。
(日本語訳は知らないので英語でそのまま記載)

Eye fixation
Progressive relaxation and imagery
Mental confusion methods
Mental misdirection methods
Loss of equilibrium
Shock to nervous system または Rapid


アメリカでは、ヒプノセラピーは 鬱病、恐怖症(高所恐怖症 、水恐怖症など )、パニック症、トラウマによる精神障害、痩身、禁煙、痛みの軽減(へん頭痛、術前/術後、癌、出産、歯科治療等)、不眠症、ストレスによる体調不良など医療目的に使われる。
これとは別にエンターテイメント系のショーでも使われる。医療目的のセラピーには、主に心理学者や、看護婦、西洋医学系以外のヒーリング(レイキや針治療士)をする人がクリニカルヒプノセラピーのcertificate(C.Ht.やA.C.H.)をとって行っている。

過去世系のセラピーは心理学者がやるのがほとんどだ。それは、その人の人生にまで影響してしまうかもしれない重大なことで心理学の理解が重要だからだ。
うまくやらないと間違った記憶をその人に作ってしまい。その人の人生をめちゃめちゃにしてしまったと、家族が裁判を起こしているケースもあるそうだ。

International Board for Regression Therapy (IBRT)という、過去世系ヒプノセラピストと過去世系ヒプノセラピーの研究に一定の基準をもうけようとしている協会がある。

http://www.ibrt.org/

左側のHomeの下のTherapist By Areaをクリックし、United Statesにリストしてある州の一つをクリックすると、アメリカの過去世系ヒプノセラピストのリストと経歴が出て来る。
それを見ると全員がヒプノセラピストの認定を持っているだけでなく、ほとんどの人が心理学の博士号またはサイコセラピストの資格も持っているのがわかるだろう。
経験年数が10や15年を超えている人も数いる。

以上、少しでもヒプノセラピーとその世界の事がわかる参考になればいいと思っている。脳や人のマインドがどう働くのか未開のままの部分は90%と多く、この分野も世界的にまだ解明されていない部分が多い。
実際に何%位の人に効果があることなのかの記載はみつからなかったが、効果がある人もいるし、実践できる用途も数有るし、正しく発展して行けばいいと思う。

ところで、自分のハイヤーセルフとつながる自己催眠の件だが、さっき話した通り、これは果てしなく想像と自己満足の世界とも言える。
僕はたとえ自分の魂とつながるという想像の世界だとしてもこういう何かに依存するという心を奨励しない。既に今有る自分に感謝の心と自信を持っているなら、
こんなの必要ないって解る事だ。でも高額払って偽ヒプノセラピストにだまされに行くより自分で試す方がまだいいだろう。
偽ヒプノセラピストは退行催眠をかける技術も知識はもっていないから、素人が自己催眠でできる程度の簡単な事をして、なんとかごまかして高額を申し付けているだけなのだ。
?
ハイヤーセルフを信じる人達は、ハイヤーセルフとは自分よりハイヤー(高い)な自分自身(セルフ)で、神や何か外の世界にあるものではないと言っている(少なくともアメリカでは)。
自分より高い自分とは、自分より自分の事を知っている自分自身(魂)。一体化する(と信じる)とたいていの場合、自分や自分のやろうとしている事をハイヤーセルフに肯定してもらえるようだ(自分の想像で)。この肯定が今一自分に自信がない人にはたまらなく嬉しいのだろう。毎日ハイヤーセルフとつながっているという人が以下にその一体化の方法を書いている。
僕は訳さない。本気なら自分で読んで試せばいい。http://www.globalpsychics.com/listening-to-you/spiritual-advice/higher-self-how-to.shtml

自分の事をもっと知りたいというのは自然な事かもしれない。でも、知れば知る程見失う事もある。増える分だけ失う事は人生にはよく有る事だ。
結局は今の自分の足が地についている事が大事だと思う。それは今の自分をよく見つめる事だ。

今回で僕の登場は終わり。読んでくれてありがとう。 質問があったらどうぞ。
そして、 愛上王さん、あらためてこの機会をありがとう。

Kenshyo


Kenshyoさん、こちらこそ多くの人々に有意義な記事の寄稿を快く承諾くださり、
ありがとうございます。

愛上王

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ゆとり教育は人類二極化の実験か

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 ゆとり教育は人類二極化の実験か

 ゆとり教育は昭和52年頃から徐々にはじまっていたとされていますが、
本格的なゆとり教育のスタートは公立学校での1992年9月から第二土曜日が休日になったあたりからが本格的なスタートと言えるでしょう。

1995年度から第四土曜日も。
2002年度からは全ての土曜日が休みとなりました。

さてここで注目をして欲しいのは、
以前の記事であります、甘いお菓子 「光と闇の戦い」続編 http://firstdoor.jugem.jp/?eid=216
の中で、ヒトラーが存命中にしたとされる予言の中身です。
今回一部を抜粋し、注目に値すると思われる箇所を強調しておきます。


50年後の1989年から、人類は二極化する。
すべてを操り、他を支配する、非常に少数の者達。
すべてを操られ、他に従属する、非常に多数の者達。
こうして、人類は、完全に、2つに分かれる。
天と地のように、進化か、退化か、選ばされる。
一方は、限りなく神に近いもの、神人に近づくが、
他方は、限りなく獣に近いもの、獣人に近づくのだ。
一方、獣人は、それに従って、生きるだけだ。
これは、ある意味、とても気楽な身分と言える。
戦争も気候も経済も、神人に制御されているため、
神人が許す限り、彼らは、多くのものを与えられる。
食物、住居、職業、娯楽、恋愛、時には、思想さえも。
機械人間は、支配されている事を、意識出来ない。
彼らは、自分で選択していると、思い込んでしまう。
しかし、実際は、家畜のように、神人に飼われている。
大衆という名の無知な奴隷、永遠の未成年者集団。
そして、彼らの上には、特殊な能力を持つ貴族階級。
このように、闘争により、新しい身分制度が成立する。
これらについては、東方が、巨大な実験場となるだろう


永遠の未成年とは、大人になれない者のことだ。
無論、そんなものは、正常な社会では有り得ない。
そうなる背景には、甘やかされた異常な社会がある。
大人になれない親に、ペットのように育てられるため、
たとえ、年を取っても、大人に成り切れない、のである。



このような、永遠の未成年者が現われる一方で、
幼少から、大人の理性と感性を持つ人間が現れる。
彼らは、胎児の時から、そうなるように教育される。
5つか6つで、彼らは、一人前の分別と感覚を備えて、
13、14歳にもなれば、並の大人を指揮する力を持つ。
(一人前の分別とあるが、少なくとも堕落の六項目に当てはまる人々でないのは理解できると思う。)

つまり、これは、両極端になる、ということだ。
肉体は大人でも、精神が幼児に止まるグループと、
身体は成長期でも、精神が大人を超えるグループと。

しかも、このことは、人間の発育だけに限らなくなる。

人類と社会、すべてのものが、両極端に分かれる。
例えば、資本、一方は、有り余るほどの資本を持ち、
止まりを知らず、豊かに肥える、貴族の階級が現れる。

他方、絶対に向上できない、未熟な連中も現れる。
支配者達が、笑えと言えば笑い、戦えと言えば戦う、
無知なる大衆、新型の奴隷、永遠の子供が増えていく。





段階的ではありましたが、ゆとり教育が本格的にスタートしたと捕らえることが出来るのは土曜日も休日と取り入れられた1992年ではありますが、
それ以前からゆとり教育導入に際して準備をされてきたわけであり、
1989年という数字が正確か否かは確かではありませんが、
これは日本で実施されたゆとり教育を指しているもののようです。
東方が巨大な実験場とある通り、日本は西か東かと言えば東洋に属し、人口の面からも巨大な実験場という比喩は的を得たものと言えるからです。
この、実験場という言葉が示す通り、
日本で行われたゆとり教育は支配する側らである少数の者らが臨床的な意味合いで実験として行ったものと言えるかもしれません。
ゆとり教育世代はあまりいいように言われてはいないことを私も知ってはいます。
ですが、風評にあがっている人たちらばかりでないのもよく知っています。
しかし確かに、世間で言われる所の部分を包容した世代の人たちも結果として数多くおりますから、
そうした観点から言えば、確かにこれは一種の実験であったようにも思えますし、
実験の成果であったのかもしれません。

 私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、
どうぞよろしくお願いをします。

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予言系で本物と判断するブログ


 予言系で本物と判断するブログ

 以前にアドレスを控えた形でですが、過去記事で多少触れたことがあります、
本物と思われるサイトが二つあります。 その一つはどうやら本当に過去世を見通せる人物であろうと判断しましたブログ。
しかし私は基本的に、人は過去世を知る必要性はないと考えています。
どんな人でもある時は時の有名人であったり、いいとこの家柄であったり、徳に溢れた時には天人であったり、
はたまた極悪人としての生を送ったこともあるやもしれません。
そしてまたある時は動物だったり地獄道や餓鬼道を過ごした生もあるやもしれない。
そう考えると、幾多とある過去世の一つくらいを知り得たくらいで一喜一憂する意味もありませんし、
へたに立派だった頃の前世を知り得たとしても、むしろエゴを喜ばす結果につながりやすく、
自分は特別、などと慢心もしやすくなってしまうとすら考えています。
そうした観点もありますし、また、閉鎖もしてしまったブログということもあって、アドレスはもちろんですが、ブログタイトルすらその時はご紹介するのを控えたのでした。
私たちの今一番大事なことは、前世で立派だった時の自分を知り、喜んだりすることでなく、今の生を精一杯生きるのが大切なことだからです。
(多くの人が過去世を覚えておらずに生まれてくるのが普通なのは、今生の人生にとって過去世を知っておく必要がないからです。)

もう一つ、本物であろうと判断をしていますブログは、予言系と呼べるものでして、
ご本人は控えめな方でして、これまでのところはランキングサイトなどにも参加はしておらず、
細々と隅の方でブログをやられております方がいます。
私はこれまで、当ブログのコンテンツの一つであります、霊能者の鑑定といったものも扱ってきました。
その中でも本物にもし出会えればですが、是非とも星を1.5とか2つ付けてみたいと常々思っておりました。
これまでのところは、星を2つ付けたのは既に亡くなられている伊藤良子さんのみですが、
予言系としては伊藤良子さんに迫る勢いの方がお一人おられます。
その方にはせっかくですので私からお願いをした形でアドレスの紹介のご許可を頂きました。
めずらしく本物と判断しましたサイト故、片隅で埋もれて欲しくないですし、
きっと多くの人々にとっても益となると信じるからです。

サイト名 青色えんぴつ http://aoiroenpitu.blog98.fc2.com/  管理人 coomiさん

今回ご紹介させて頂きましたが、皆様にお願いがあります。
個人的なことを予見してくれとかいった類のことや、何かを無理強いするようなこと、
質問攻めにしたりするようなこと、こうした時間的にも色々と手間暇かかることをブログ主に強いられることのないようお願いをします。

 私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、
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