疑うことは悪いことではありません
世の中にはあっちこっちから寄せ集めてきて焼き直しをし、
それをさも持論かのようにブログやサイト、書籍等で振舞われている方が何人もいるということをこのブログでもずいぶんとお知らせしてきました。
それらはわかりやすく実直に言えばパクリなわけですが、
パクリは正確に人に伝わっている事はまずありません。
大抵は歪曲されて伝わり、そこから更に多くの人々にも歪曲されて伝わってゆきます。
これは、真理を伝える姿勢ではないんです、それは悪行なのです。
なぜなら、それらは人々に誤った知識を広める行為だからです。
しかし、ブログやサイト、書籍等に執着されておられる方の中には、自身の無責任なそれらにより、
人々が実は迷妄にひた走ってしまってしまい、
ただ「人気者」でいたいがためにそれらを続ける者が何人もおります。
しかしそれらは観る人がみればその様子はわかります。
なのになぜ多くの人々はそれらに気づかず洗脳されてしまい、
信じてしまうのか?
実はですね、嘘や妄想の創作、あちこちから拾い集めてきたパッチワークによるパクリゆえの矛盾や理解の浅さ、誤った理解の仕方等、
こうした整合性のなさに気づき、洗脳されず、信者化をしていない人たちも大勢います。
それは、これが重要ですが、妄信信者化してる場合、その人の精神的な発達度合いや霊性、広範では少々申し上げにくい点もありますが知能指数など、
こうした様々な面において、そのブログ主や著者らよりも大抵の場合は低いか、せいぜい同じ程度である場合が非常に多いのです。
ですから、とあるブログ主が自前のブログにて、嘘八百妄想でたらめな創作を並べようとも、
同じラインあたりの人々は気づけないことが非常に多いのです。
ブログ主が妄想系の場合、本当に残念なことですが、そのブログの熱烈な「信者」も同じ傾向にあります。
妄想をなんの根拠もなく信じてしまわれているのです。
しかしそうでなく、その嘘や妄想で創作している、本当は稚拙なブログ主や著者よりも、霊性なり精神性などを真に磨いておられる方の多くは騙されないのです。
これがそのブログ主の「妄信化している信者」と「アンチ」の二通りに別れる理由なのです。(大抵の場合、アンチの方が冷静で理や分のある意見が多いのはこのためです。)
私はこれまで、こうしたインチキや偽霊能者、インチキチャネラーやスピヒーラーの見分け方を幾度も述べてきました。
それは、知らずに信じて騙される人たちを想っての事。
そのためにこそ私はこれまで幾つもインチキさんらを見分けるお手伝いとなる記事を書きあげてきたわけです。
しかし、ここから先しばらくは、こうした負を見分ける記事を書くのをしばらくの間は控えるつもりです。
私は、嘘や妄想で創作したり、あちこちのブログや書籍からパクって焼き直しをしては「先生」になりたがるインチキさんらから、
疑うことを知らない純真無垢な方たちを守りたい、そういう気持ちでこれらの記事を書き上げ、人々のお手伝いをしてまいりました。
しかしここから先は、皆さんお一人お一人に任せるしかないと考えています。
悪行を行う者がおり、その者に注意せよとこの私がどれだけ声を高らかに叫ぼうとも、
その様子を見、ただ批判しているのだと受け止める方までいる始末。
もっともそれらの声を発する方というものは、インチキさんらに洗脳をされてしまった、ひいきの目で見てしまっている、
いわばレンズを曇らされている犠牲者とも呼べる信者化した人たちなのですが。
もしも誰かが断崖絶壁の崖を目指して走っていたとします、
それをみて注意を促す者は悪でしょうか?
これは否でしょう。
ところが、ネットの世界ではひいきの心から自分の足元をみれず、
聞く耳をもたぬ人は注意を促す者こそを悪く思う。
私はこういうのをとても残念でなりません。
仮にの話ですが、殺人犯がいたとしましょう、
私は彼は殺人犯だと言うでしょうし、人々に注意を促すでしょう。
万引き犯がいればこれも同じと。
性犯罪者がいれば女性に注意を促すでしょうね。
そしてそれらは批判とは呼べないものです。
目を背けずに悪を悪と知ることは人間にとって必要なことですし、
人々に注意を促すことは必要なことだからです。
スピや引き寄せ、チャネラーやら霊能の世界、これら一般に「精神世界」と呼ばれるものの中にも悪意ある人たちは大勢いるのです。
それは私たちの住む実社会となんら変わりはしません。
世には振り込め詐欺や悪徳商法などが溢れています。
それとまったく同じなのです、
私はそういった人たちから人々を守るために注意を呼びかけ、その行為が批判をしてるだけと一部の方たちに受け止められようとも、
私は、悪行を行う者を観て見ぬフリはできませんし、
悪行を行う者らに騙される者たちを放っておくこともできません。
だからこそ私はインチキさんらの見分け方をこのブログで散々載せてきたのです。
インチキさんらの多くは実に無責任です。
利己的で自己中ゆえに、自分さえよければいいという本質が仮面の裏に隠れているからこそ、
我ヨシの思想をなんのためらいもなくスッと自然にブログで表現しますし、
信じてしまった信者化してしまった人たちもそういうものなのだと受け止めてしまい、
心にそれらを刻んでしまう。
これでは世は益々悪化をしてゆくばかりになってしまいます。
これらの例のように、そのブログ主の傾向に合わさった方たちが主な信者となります。
それは元からそういった気質の方はすぐに信じてしまうでしょうし、
そうでない、幾ばくかでも懐疑心のある方であっても、いつのまにかそのブログ主の妄想や無責任さを受け入れ、
霊性や精神性といったものが感化ゆえに引きずり降ろされてしまう。
皆さんの一人一人にお伝えしたい事は、ゆめゆめこんな事のないように、
「懐疑心」を持て。 なのです。
世には勘違いをされている方もいるかもしれませんが、
疑う事は実は決して悪いことではありません。
それよりもやみくもに信じてしまうことの方すらよほど危険であると。
みなさん、懐疑心を持ってください。 もしそのブログ主や著者など、何かの縁で知りえたのなら、
徹底的に懐疑をしてください。 その方の言を信じたいと思うのならなおのこと懐疑をしてください。
ここではたとえをしますが、もしもですよ、私がなにかの教祖であったとしましょうか? その時私は、私の言論をなんでもかんでも鵜呑みにしてしまう、やみくもになんでもかんでも信じてしまうような人は歓迎できませんし喜びません。
もしそんな人が現れたなら、その人の精神性や果ては知能指数すら疑うことでしょうね。
私の言の中に、信じるに足る、確たるものがあるのかを探そうとせず、鵜呑みにしてしまう方がもしいたのなら、
そんな方は考えることを放棄した、あやつり人形も同然と考えるからです。
もしもどこか誰か、ブログ主でも著者でもいいです、信じてみたいと思うのなら、
「懐疑」をしてください。 とことんまずは疑い、「あらさがし」も大いに結構、ぜひしまくってください。
話に矛盾なく、キチンと整合性がとれているか否か、確かめもせずに鵜呑みにして信じてしまうほうが本当はよほど失礼なことなのですから。
そんな方なら私は歓迎しません。
そう、この私すらも疑ってかかってください、以前に「上を向いて歩こう」の中でも簡単にですがこの事を書いた記憶があります。
信じるためにこそ、確かめるためにこそ、懐疑心は大いに結構なことなのです。
その人を真に信じるに足る、その確証となるものを探す行為なのですから。
(余談ですが、私は普段、懐疑し、疑われてもいいように、理に欠けた妄想文体にならぬよう、
できるだけ納得のしやすい説明を心がけるようにと、論拠根拠をできるだけ並べる文体にしてあるわけです。)
(私の目であらゆる角度からみつめ、インチキと判断しました方は、名指しは避けますが皆さんがわかるように今後もこっそりとヒントを差し上げます。)
小生の記事や思想等、もしくは、 偽霊能者による被害者防止にご賛同くださる方、 応援クリックお願いします
すべて新しいウィンドウで開きます
当ブログがあなたのお役に立ちますように |
コメントにて感想歓迎です