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■過去世が見えるというウソ■

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■過去世が見えるというウソ■

 よく巷には、人の過去世が見えるという霊能者がいるそうですが、
これらはほぼ間違いなくインチキなのです。
偽霊能者らがなぜこういった、過去世が見えるのたぐいの、耳を傾けてみたとて、ウソかマコトかわからぬものを堂々とクチにし、
人々を平然と惑わすのか?
それは、まさしくそのたぐいのものの背景にあるのです。
どんな事を言おうが言われようとも、聞く側はそれがウソかマコトかを確認などしようがない。
彼らはそういった確信があるから行うのです。

しかし、それらバレやしないと信じ切っている偽霊能者らにも、実は普段は気づかぬ落とし穴があります。
もしも人々の遠い過去世が見えるのなら、うまれ変わる以前などでなく、もっと近い、
今生の過去も見えなければならないのです。

なにしろ、さかのぼる量は転生以前を見通すよりも圧倒的に浅く軽いものだからです。
今の人生を迎える以前の過去世を見通せるのなら、今生の過去などはもっとより簡単に見通せるのが道理だからです。
もしも霊能者によっては、過去をさかのぼり見通す力に技量差があったとしよう、
その場合、もし仮に、今生の様子を見通すのがせいぜいの人であるなら、
過去世 < 今生となると考えていいが、
過去世を見通せると言い張る人は、
式が、過去世 ⊇ 今生 となり、
転生以前の過去世が見通せるなら、今生の様子も含まれるのである。
つまりそれらは、過去を見通す力に含まれる、部分的なものだからだ。

いずれにせよ、
もし過去世が見通せると言い張る霊能者がいるのなら、
そんな誰も確認しようのない事を聞くよりも、
話題を変え、これまでにあった今生の事を問うてみるのがいい。
いきなりの話題チェンジに一瞬まごつき、戸惑いの色を隠せなくなるはずです。
なにしろ今生のできごとは「あなた自身が」いくらでも確認ができ、
偽霊能者も迂闊に適当な事が言えなくなる。
今生の事について問うてみて、もしほぼ無回答なら、その自称霊能者は100%ニセモノであり、
なんとかバレずに取り繕うとする場合には、あたりさわりのない事や、あてずっぽうで答えても不自然さがない答えばかりに偏るでしょう。
しかし、幼いころに肉親が死んだなどといった、ではそれは兄弟なのか両親なのか祖父母なのかといった、
正確に答える必要があるものなどには何一つ答える事ができない。

しかしこれにも例外があります。
それは芸能人などの著名人の場合。
つまりこれは事前調査、ホットリーディングによる工作をされるケース。
とは言え、その人の人生のこれまですべてを調査する事は実質不可能なので、
調査では掴みようのない過去のエピソードを言い当ててこない限り、
やはりそれらはあたりさわりのない、適当なあてずっぽうや事前調査でしかないのだ。

どこかの自称霊能者は、いつも確認のしようがない事ばかりをクチから並べてはいませんか?



今回、こうして過去世が見えるのウソの見破り方を公開したわけですが、
この看破法が世に浸透をしてゆくようになると、
過去世が見える、過去世がわかる、から、やり口を変え、
背後霊だの守護神に教わっただのとやり口を変えて逃げ込む偽霊能者が必然として増えるかもしれない。
しかしもしそれらの人が現れたなら、更にバレにくいようにと工作に工夫を凝らしているにすぎない。

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オーラが見えるのウソ

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 オーラが見えるのウソ

 近頃巷では、人様の持つオーラを目で見る事のできる方がおられるそうですな、
私、実は、そういう話を聞いたりしてはおなかを抱えていました。

無論私は、日記サイトのソース内で、ある少年グループたちのどんよりどす黒いオーラを観たとも書きましたし、
隠し裏日記でも、今時珍しい理想に燃えているように私の目に映った、
政治家の講演を聴いている時に青いオーラをはっきりと観てもいますし、
自分の持つオーラが青紫色であったのを、以前に自分のこの目で観てもいます。
でもですよ? 私はオーラをこの肉眼で観た事はありますが、(実は誰でも観れるものなのですが。)

他の方々のオーラを見つめて、ああ、貴方のオーラは何色です。
だとか言うのは、とても真似できません。
逆立ちしたってかないません。
だってあんなもの、できないんですから。
実はオーラは、物理的な私たちのこの目で観ることのできる可視光線とまったく周波数が同じなんです。
だから私たちのこの肉眼で観ることができるんです。
ですが、蛍光灯でもなんでもいいですが、照明のあるような場所では、
他の光源にかき消されてしまい、観ることは不可能なんです。
それほどにまで、人間が放つオーラの光は微弱なんです。

私が以前、日記サイト内で書いた、
ある性犯罪少年グループたちに取り巻くどす黒いオーラを電車内で観ることができたのは、
外は夕方にはまだ時間があるにも関わらず、
空一面は今にも大雨が降りそうなグレーの雲で覆われて外はかなり暗く、
電車の中はかなり薄暗かったという好条件が揃っていたから。 
そして尚且つ少年らが10人前後で固まっており、性犯罪者のお仲間同士に相応しく、
皆が同じオーラを発散していたからでもある。
そう、夜の電車のような蛍光灯でいっぱいな電車ではなかったという好条件に恵まれていたから。
そしてもう一つ、体育館の壇上で講演していた政治家のオーラが観えた時も、
演出の為なのかは分からないが、体育館の中は夕方近かったとは思うが、
大変に薄暗い照明がおまけ程度に点いているだけで、
壇上に立つその人の周囲は照明らしいもののない、かなり薄暗い状態だったと言う事。
こうして、余程の好条件が揃わないと人様のオーラを観る事はできないのです。

私が自分のオーラを青紫色なのだと知った時も、
もちろん光のほとんどないような薄暗い場所でようやく観れた位に視認は難しいものなんですよ。
視認する時は暗い方が良いと言えども、色を見分ける事が出来る程度にでなくてはなりません。
ではいったいどうしたらよいのか?
そうですね、たとえば、真夜中、部屋のカーテンをしっかりと閉め、
もちろんあらゆる明かりは消しておき、真っ暗でほぼ何も見えないと感じてから2.30分ほど経って
部屋の中の様子がうすらと分かる程度の状態、
この状態位でないとオーラを視認するのはほぼ無理です。

つまりですね、人間が放つオーラはあまりにも微弱すぎるんです。
ましてですよ、その人の健康状態が悪いようであれば、
尚の事その人から発せられるエネルギー、つまりここではオーラですが、
人様が見て視認できるほどのパワーはないんです。

もう一度ここで言います、オーラは物理的な私たちが感知する事の出来る光と同じ域にある周波数、
いわば私たちが日ごろ触れている物理的な帯域の光なんです。
だから微弱すぎる上に照明で明るい部屋にいるならば、どれだけ凝視をしても、
普段は私たちの目に見える他の光線にかき消されてしまい見えません。(蛍光灯など)
これはいわゆる上書き状態と言えるもの。
さてでは、オーラは本当に、
物理的な私たちが普段感じている周波数帯域のものと同じなのか?
オーラは実は、専用のカメラや機械で写す事ができます。
これは私たちが目で捉える事のできる可視光の証拠です。
オーラは物理的な光ですから、当然機械さえ揃えば撮影ができます。
「オーラ撮影」で検索されてみてください。
これはつまり、かき消してしまう日常光線をさえぎる形で撮影をしているのですね。


結論。オーラを観る能力は霊能力でもなんでもありません。
なにしろ微弱なだけで、可視光なのですから。



今回、
2006/12/24に別の日記サイトの方に綴っていましたものを整理してまとめてみました。


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オーブの正体

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 オーブの正体

 よく巷では、光の玉のようなものが写っている写真に対し、
これは未浄化霊だの自縛霊だの、もしくはあなたにとり憑いた、なにか障りのある霊体であるかのように説明する、
こういった自称霊能者が数多くいるそうです。
はたまた時には、この玉の正体は、あなたを守護してくださる先祖霊であるといい、
あなたは霊格が高く、そのおかげで守護をされているのだと説明するケースもあるようです。
しかし、前者のケースや後者のケースには、自称霊能者にとって、それぞれキチンとした意味があるのです。
前者の場合なら、相談者の不安を掻き立てることにより、自称霊能者が自ら浄化の儀式をしてあげると言いやすくなり、
相談者に向かって相応の金銭の寄進をしなさいと要求がしやすくなります。
あなたにとり憑く邪霊を取り払うだの成仏させてあげるだの、しかしそれには実費もかかるし日数も必要だといった具合に。
さももっともらしく装い、相談料はおろか、悪霊退散の儀と称して、多額の金銭を巻き上げやすくなるという、自称霊能者にとてもメリットがあるのです。
自称霊能者らにとって、実際は写真に写っている光の玉の正体などは、本当はどうでもよいのです。
お金に結びつけることができるなら光の玉であろうと単なる偶然にできた影であろうと、それがなんであれ、
相談者の不安を掻き立てられるならなんでもよいと。

後者のケースは、前者と入り混じってやる場合も多く、
こちらの最近の写真はあなたにとり憑く霊で、
あちらの数年前の写真に写っている光の玉はあなたを導く先祖霊や守護霊であると。
こういった混ぜる技法は、相談者にとってもっともらしく聴こえ、ただ不安を掻き立ててばかりいるよりも信憑性が高く見えます。
これは相談者に対し、自称霊能者の真偽を疑わせず、信頼を高めようと言った趣旨があります。
他には、自称霊能者が相談者を取り込み、自分の信者にしたい場合、
相談者に向かって、高級霊があなたを導いており、さもあなたは霊格が高いとおだてあげ、気分をよくさせる場合です。
相談者はこういった言葉を聞かされれば、なんだか自分の値打ちが一枚上がったかのように感じ、気持ちよく自分に酔ってしまい、
その霊能者を疑うことなどしなくなりますし、その霊能者のファンとなってしまいます。
いわゆる信者化するというもの。

こうして自称霊能者らは狡猾に、あの手この手で自分に都合よいように物事をもってゆくのが実にうまいのです。

さてでは、よく写真に写りこむ、オーブと呼ばれるもの、これは本当に霊なのか?
実はオーブは霊などではなく、空気中の塵やほこりがフラッシュ等の光で反射したものが写りこんでいるだけのものなのです。
ですからフラッシュを焚かない時の写真には大抵は写っていません。
(周囲の光源の具合次第ですから写ることもあります。)

さて、このことをカメラメーカーであり、フイルムメーカーでもある富士フイルムが、
富士フイルムの公式サイトでその原理を説き明かしています。

富士フイルムホールディングス
オーブが写真に写る原理を説き明かしたもの。
http://fujifilm.jp/support/digitalcamera/others/case/index.html

他には、ASIOSというサイトでの、「心霊写真の解明と再現」を挙げよう
http://www.asios.org/ghost_photo.html



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偽霊能者の目立つ傾向

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 偽霊能者の目立つ傾向

 偽霊能者は人々の目に自分をより本物のようにみせかけようとしたがるため、教義や論理を書籍やネット上のブログからパクル傾向があります。
そしてそれらの教義や論といった内容にも、一貫性がみられない場合が多い。
これは、あちこちからのパクリによるパッチワークがおもな原因です。(パクリでできた「つぎはぎ」という意味です。)
教義や論に一貫性がないという事は、それぞれの論に相反した矛盾を抱えており、
それらの論の深い部分、真意といったものを理解できていないという事になります。
深い部分を理解していないからこそ、相反した矛盾したことを並べたがる。
そしてこのあたりが、いくらかでも教義や論を示したがる霊能者やスピカウンセラー、
引き寄せコーチや人生成功コーチの真贋を見分ける重要なポイントになります。


また、偽霊能者は、自分を人々の目からより尊大に見せたがる場合も多く、
この場合は特に、並べる論や教義に、わざわざ小難しい表現や単語を使いたがる人も多くいます。

これは、難しい表現であればあるほど、自分は難解なものを理解できている人物なのだと人々に無意識にアピールをしたがっているのです。
しかし実際は、学校の教師であれ、塾の講師であれ、人に伝える教えるという姿勢をきちんと持った人たちは、
学ぶ者の妨げになりかねない表現や、ことさらに難しそうな表現、または「余計な表現を付け加える」といった事を避けるものです。
ですから、こういった傾向を持つ人は、実際は人々に何かを伝えたいのではなく、
自分を世間に誇大広告的にアピールをしたがっているのです。 要するにその人物のエゴなわけです。

また、理解がきちんとできていないからこそ、わざと難しそうな表現を使いたがる場合もあります。
書籍やネット上からかき集めてきた論で、自身がしっかりと真意を理解できていないのを実は承知している場合や、あいまいに理解している場合、
きちんと理解をしているフリをしたいが為に小難しい難解な言葉を並べて読者をケムに巻こうというもの。
いずれにしろ、そのどちらもその偽霊能者らのエゴなわけですが。



今回のこの記事が世間一般に浸透した場合、当然偽霊能者らは、(偽のヒーラーやチャネラー、人生コーチや引き寄せコーチなども含め。)
論や教義を解りやすい文に直してくるかもしれません。
ですが、書籍になってしまっているケースや、ブログ上の過去の記事など膨大な場合、そのほとんどは今更改変する余裕はないと思われますので、
その人物がこれらに当てはまる人物なのかどうか、ブログの過去記事や過去の書籍を参照すればいいわけです。




今回は「続 一匹見つけたら三十匹」内で記しましたものの中で、
偽霊能者やインチキ、引き寄せや人生コーチなど、
ことさらに自分を本物のようにみせたがる人々の傾向を抜粋した形で記事をまとめてみました。



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偽霊能者を思考ロジックで見破る

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 偽霊能者を思考ロジックで見破る

 今、精神世界系のブログランキングの上位では、神様とお話ができるだとか、守護霊とお話ができるとか、
自己の中のもう一人の自分、たとえば自己内おじいーちゃんとお話ができるとかいう、いわゆるチャネリング系統がかなりの数を占めています。

これはなぜなのか? はてさて何か意味があっての事なのか?

それはですね、WEB上であちこちを読まれる方たちの中でも、スピや神霊等、精神世界全般に興味を持たれる方の多くは、
何かよくはわからない、確かめようもない、実は正体を確認しようもない、上の存在と思われるもの、
こういった存在に関心を示す傾向があるようです。
ですから、みなさん真似をされてはいけませんが、こういうブログはたしかに読者数は増えます。
しかし民度と言えばよいでしょうかね? 少々問題もあります、
そういったブログは、これ大切なポイントなんですが、
【多少いいかげんなものを盛り込んでいても】、実際は読者はあまり疑問に思わず、もしくは感じず、信じてしまう。
これはいわゆる妄信化と呼ばれるもの。
これって、自覚のある方は少ないようですが、スピ系や神霊系といった、精神世界全般に関心を持たれる方に多い顕著な傾向なんですよ。
(この点については過去記事、「理解のあいまいさといったものが人生の邪魔をしています」を参照のこと。 

さて今私はいいかげんなものを盛り込んでも、などと、やや過激な表現をしてしまいましたが、
そういった「いいかげんなものを」チャネリングやら霊言やらと詐称しておられる方、
実際にあちこちのブログランキングの上位10以内はもちろん、10位未満にも、たくさんいます。

では、この「いいかげんなもの」とはなんなのか?
多少マシな方の場合、キチンと神霊からの言葉を告げておられるようにみえる方もおられます。
しかし、「いいかげんなもの」を記事ブログのあちこちに載せている方の場合、
中には神霊や守護霊、ハイアーセルフと対話ができたり、最低限にはなりますが、お言葉を告げられ、受け取るだけはできる方もいるのだろうとは思いますが、
しかし、チャネリングが毎回いつでも好きな時に自由自在にできるわけではない人は、(実際はこういう人がほとんどなんですが)
これポイントなんですが、創作をしたり、ヨソのブログや書籍を読み漁り、
伝えたい真意だけは残して演出をがらりと変えてしまうという焼き直しをされておられる方が実際大勢おられます。
(トップ10の中にもいます。)
たとえば、「あなたはあるがままでいい」などといった、今のままでよいという、その人の成長の芽を摘んでしまうような文面のチャネリングメッセージやお告げは、
ほぼ9割はそのブログ主の創作や焼き直しであると。 残り1割程度は、光と闇の戦いの闇側の存在からのメッセージであろうと。
闇側からのメッセージの場合は、人々から向上心を奪うという目的もあろうとは思いますが、
「神様のお告げ創作マンの場合」、そのブログ主は勘違いをしているのですよ、
あなたは今のままでいいとか、あるがままでいいといった、この手の言葉を神様風にして仕立てあげれば、
なにかしら理解のある神のように人々には映るだろうと内心では計算をし、読者にウケると思い込み、そういう虚言を並べているのですよ。
(こういう、人間の持つ思考の筋道、組み立て方の傾向を「思考ロジック」と言います。 後述します。)






こうして、ブログでいいかげんなものを並べている方は、
神様なら、守護霊様なら、きっとおそらくこんな風なことを語るだろうといった、
想像で書かれている方が大変に数多い。
そしてこれは当然ですが、こうしたデッチアゲをする人は、ヨソを読んでの焼き直しも多い。
なぜなら、卑怯なデッチアゲをする人には、悪いことをするにもあれはいいがこれはダメという境界線はないからです。
要するに、モラルのない方には悪徳の手段はどれでもよい事だからです。

さて、スピや神霊モノに限ったことでなく、その人の文体や物事の説明の仕方、話し方、考え方、
こういったものにはその人の価値観や思考法が反映しているわけなのですが、
ここではそれをわかりやすく「思考ロジック」と言いましょう。
この思考ロジックには当然ですが人により個人差があるわけです。
この思考ロジックは例えば例をあげますと、私は読者にできるだけわかりやすい納得のしやすい論拠を並べて、
噛み砕くように読んでもらおうといった、私の思考方が如実に出ているこういった文の書き表し方、
こういった私独特のクセのようなもの、ここではおおまかな説明ではありますがこういうのを指すわけです。
たとえばですよ、一枚の絵があったとします、しかしその絵を見て、綺麗に思う人もおれば、寂しさや悲しさを印象に持つ人もいるという、
いわば印象の違い、こういったものに大変に似ていると。
そう、それは個人差。
ところがですよ、ブログ上で神様やら守護霊やらハイヤーセルフ様やらの答えている文面ですが、
よくよく冷静に客観的にみつめ、読んでゆくと、
そのブログ主さんの思考ロジックそのままだったりする。
これはいったいどういうことなのか?

さあみなさん、ここまで言えば、もうおわかりですね。

これはインチキさんらの見分け方のひとつとなります。
(私が行う、自称霊能者さんらの鑑定のやり方のひとつでもあります。)


さてみなさん、当ブログを読みに来られている方の中には、
いつもあちこちの、そういった神様と話ができるだの守護霊と話ができるだの、自己内のなんたらと話ができるだのいうブログやサイト、
読みにいかれている方も中には大勢いらっしゃることと思います。
でしたらぜひ、「その方の普段の、そしてこれまでの、文体からにじみでる「思考ロジック」と、
その神様だかご守護さんだかハイヤーセルフさんだかの「思考ロジック」とを、
緻密に客観的に冷静に、見つめなおしてみるといいでしょう。

しかしそこで騙されてはいけないのは、「文体の作風ではありませんよ。」
ブログ主が一見気弱そうな人物なのに、
神様は威圧的だったり、妙に人間に甘い理解のよすぎる過保護さん風だとか、
こういったキャラクターの違いを看るのではありません。
こんなものはインチキさんらは先刻承知で多少は工夫済みなんです。
そうでなく、「そのブログ主とその神さんの「思考ロジック」の様子を看るのです。
(今後、ニセ霊能者らは、インチキを見破られまいと演出に手を加えてくるかもしれませんが、
膨大な過去記事までいじるのはほぼ無理なので、読者は相変わらず見破れるはずです。)

さて、インチキさんらも結構な数が読みに来られている当ブログですが、
再三ですが述べておきましょうか、
そう、私は、インチキさんらにとっては、天敵なんですよ。




さて、他にも書きたい記事があるのですが、それは明日にしましょうか。


 こうしたインチキさんらの見分け方を人々に広めてゆきます
 人々を騙すニセ霊能者は許せない
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疑うことは悪いことではありません

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 疑うことは悪いことではありません

 世の中にはあっちこっちから寄せ集めてきて焼き直しをし、
それをさも持論かのようにブログやサイト、書籍等で振舞われている方が何人もいるということをこのブログでもずいぶんとお知らせしてきました。

それらはわかりやすく実直に言えばパクリなわけですが、
パクリは正確に人に伝わっている事はまずありません。
大抵は歪曲されて伝わり、そこから更に多くの人々にも歪曲されて伝わってゆきます。
これは、真理を伝える姿勢ではないんです、それは悪行なのです。
なぜなら、それらは人々に誤った知識を広める行為だからです。


しかし、ブログやサイト、書籍等に執着されておられる方の中には、自身の無責任なそれらにより、
人々が実は迷妄にひた走ってしまってしまい、
ただ「人気者」でいたいがためにそれらを続ける者が何人もおります。
しかしそれらは観る人がみればその様子はわかります。

なのになぜ多くの人々はそれらに気づかず洗脳されてしまい、
信じてしまうのか?
実はですね、嘘や妄想の創作、あちこちから拾い集めてきたパッチワークによるパクリゆえの矛盾や理解の浅さ、誤った理解の仕方等、
こうした整合性のなさに気づき、洗脳されず、信者化をしていない人たちも大勢います。
それは、これが重要ですが、妄信信者化してる場合、その人の精神的な発達度合いや霊性、広範では少々申し上げにくい点もありますが知能指数など、
こうした様々な面において、そのブログ主や著者らよりも大抵の場合は低いか、せいぜい同じ程度である場合が非常に多いのです。
ですから、とあるブログ主が自前のブログにて、嘘八百妄想でたらめな創作を並べようとも、
同じラインあたりの人々は気づけないことが非常に多いのです。
ブログ主が妄想系の場合、本当に残念なことですが、そのブログの熱烈な「信者」も同じ傾向にあります。
妄想をなんの根拠もなく信じてしまわれているのです。
しかしそうでなく、その嘘や妄想で創作している、本当は稚拙なブログ主や著者よりも、霊性なり精神性などを真に磨いておられる方の多くは騙されないのです。
これがそのブログ主の「妄信化している信者」と「アンチ」の二通りに別れる理由なのです。(大抵の場合、アンチの方が冷静で理や分のある意見が多いのはこのためです。)


私はこれまで、こうしたインチキや偽霊能者、インチキチャネラーやスピヒーラーの見分け方を幾度も述べてきました。
それは、知らずに信じて騙される人たちを想っての事。
そのためにこそ私はこれまで幾つもインチキさんらを見分けるお手伝いとなる記事を書きあげてきたわけです。
しかし、ここから先しばらくは、こうした負を見分ける記事を書くのをしばらくの間は控えるつもりです。


私は、嘘や妄想で創作したり、あちこちのブログや書籍からパクって焼き直しをしては「先生」になりたがるインチキさんらから、
疑うことを知らない純真無垢な方たちを守りたい、そういう気持ちでこれらの記事を書き上げ、人々のお手伝いをしてまいりました。
しかしここから先は、皆さんお一人お一人に任せるしかないと考えています。

悪行を行う者がおり、その者に注意せよとこの私がどれだけ声を高らかに叫ぼうとも、
その様子を見、ただ批判しているのだと受け止める方までいる始末。
もっともそれらの声を発する方というものは、インチキさんらに洗脳をされてしまった、ひいきの目で見てしまっている、
いわばレンズを曇らされている犠牲者とも呼べる信者化した人たちなのですが。

もしも誰かが断崖絶壁の崖を目指して走っていたとします、
それをみて注意を促す者は悪でしょうか?
これは否でしょう。
ところが、ネットの世界ではひいきの心から自分の足元をみれず、
聞く耳をもたぬ人は注意を促す者こそを悪く思う。
私はこういうのをとても残念でなりません。

仮にの話ですが、殺人犯がいたとしましょう、
私は彼は殺人犯だと言うでしょうし、人々に注意を促すでしょう。
万引き犯がいればこれも同じと。
性犯罪者がいれば女性に注意を促すでしょうね。

そしてそれらは批判とは呼べないものです。
目を背けずに悪を悪と知ることは人間にとって必要なことですし、
人々に注意を促すことは必要なことだからです。




スピや引き寄せ、チャネラーやら霊能の世界、これら一般に「精神世界」と呼ばれるものの中にも悪意ある人たちは大勢いるのです。
それは私たちの住む実社会となんら変わりはしません。
世には振り込め詐欺や悪徳商法などが溢れています。
それとまったく同じなのです、

私はそういった人たちから人々を守るために注意を呼びかけ、その行為が批判をしてるだけと一部の方たちに受け止められようとも、
私は、悪行を行う者を観て見ぬフリはできませんし、
悪行を行う者らに騙される者たちを放っておくこともできません。
だからこそ私はインチキさんらの見分け方をこのブログで散々載せてきたのです。


インチキさんらの多くは実に無責任です。
利己的で自己中ゆえに、自分さえよければいいという本質が仮面の裏に隠れているからこそ、
我ヨシの思想をなんのためらいもなくスッと自然にブログで表現しますし、
信じてしまった信者化してしまった人たちもそういうものなのだと受け止めてしまい、
心にそれらを刻んでしまう。
これでは世は益々悪化をしてゆくばかりになってしまいます。
これらの例のように、そのブログ主の傾向に合わさった方たちが主な信者となります。
それは元からそういった気質の方はすぐに信じてしまうでしょうし、
そうでない、幾ばくかでも懐疑心のある方であっても、いつのまにかそのブログ主の妄想や無責任さを受け入れ、
霊性や精神性といったものが感化ゆえに引きずり降ろされてしまう。

皆さんの一人一人にお伝えしたい事は、ゆめゆめこんな事のないように、「懐疑心」を持て。 なのです。

世には勘違いをされている方もいるかもしれませんが、疑う事は実は決して悪いことではありません。
それよりもやみくもに信じてしまうことの方すらよほど危険であると。
みなさん、懐疑心を持ってください。 もしそのブログ主や著者など、何かの縁で知りえたのなら、
徹底的に懐疑をしてください。 その方の言を信じたいと思うのならなおのこと懐疑をしてください。
ここではたとえをしますが、もしもですよ、私がなにかの教祖であったとしましょうか? その時私は、私の言論をなんでもかんでも鵜呑みにしてしまう、やみくもになんでもかんでも信じてしまうような人は歓迎できませんし喜びません。
もしそんな人が現れたなら、その人の精神性や果ては知能指数すら疑うことでしょうね。
私の言の中に、信じるに足る、確たるものがあるのかを探そうとせず、鵜呑みにしてしまう方がもしいたのなら、
そんな方は考えることを放棄した、あやつり人形も同然と考えるからです。

もしもどこか誰か、ブログ主でも著者でもいいです、信じてみたいと思うのなら、
「懐疑」をしてください。 とことんまずは疑い、「あらさがし」も大いに結構、ぜひしまくってください。
話に矛盾なく、キチンと整合性がとれているか否か、確かめもせずに鵜呑みにして信じてしまうほうが本当はよほど失礼なことなのですから。
そんな方なら私は歓迎しません。
そう、この私すらも疑ってかかってください、以前に「上を向いて歩こう」の中でも簡単にですがこの事を書いた記憶があります。
信じるためにこそ、確かめるためにこそ、懐疑心は大いに結構なことなのです。
その人を真に信じるに足る、その確証となるものを探す行為なのですから。

(余談ですが、私は普段、懐疑し、疑われてもいいように、理に欠けた妄想文体にならぬよう、
できるだけ納得のしやすい説明を心がけるようにと、論拠根拠をできるだけ並べる文体にしてあるわけです。)

(私の目であらゆる角度からみつめ、インチキと判断しました方は、名指しは避けますが皆さんがわかるように今後もこっそりとヒントを差し上げます。)






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話が脱線しましてパワーストーンの真実

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 話が脱線しましてパワーストーンの真実

 私たちの霊性精神性の向上は、日常生活の中にこそあります。
神々に依存をしすぎても実際は向上をしませんし、
やれ禊だの何かの儀式だのといったものでなければ向上をしてゆけないのではありません。
もしもそうしたものでなければ向上をしてゆかないのであれば、
そうした文化のない国々生まれ、生活をしている人々は向上の機会がないということになってしまいます。
しかし実際はそんなことはありません。

例えばですが、心身の浄化を例にたとえてゆきますが、浄化とは神に祈りを捧げたり、祝詞やお祓いのようなものを指すわけではないのです。
それらがまったく意味が無いとは言いませんが、あくまで補助的なものと言えます。
(部屋のゴミや散らかりようと、うわべだけの掃除に例える)
(なんたら浄化遠隔ワークだかで浄化されることはありません。 商売に都合がいいだけの概念であって、伝統的なものにそうしたものはありません。 そうしたものはカモに対する便宜上の詭弁なのです。)


どんなに神に祈ろうが祝詞だろうが宗教的な儀式であろうとも、またそれが遠隔なんたらワークであろうともですが、
部屋の中が散らかっているのは少しも改善はしないのです。
もし、部屋の中を綺麗にしようと思うなら、自分自身がその部屋を掃除してゆかねばいつまでたっても散らかったままなのです。
何かに頼ることで部屋の中が綺麗になることをアテにしても一向に綺麗になりません。
まずは自分自身が実際に部屋の中を片づけ、掃除してゆかねば綺麗にはならないのです。
(現代スピの中でも商業スピと言われるものは、この、人々のショートカットしたがる気持ちや、安楽を選びたがる部分を巧妙に突いてきているのです。
ですから、今現在のスピと言われるものは甘やかしであり、商業的に都合のいいように歪曲をされて形成されていった部分がとても大きいですし、
そうしたものなのだとすっかり浸透してしまっている風潮すらありますから、
スピ関連グッズや有料セミナーもそうしたものが誇張されすぎています。
例で挙げるならパワーストーンが代表格。

  ↑
上記は機会あれば清書し、適切な単語にも直し、続きを書いてゆきます。

*----ここから先は別の話が続くのですが、書いてる最中に以前からお話をしていました、パワーストーンに関する脱線をしてしまいました。
  せっかくなので今日はこのパワーストーンに関して脱線しまくりましょうか。----*

「パワー」などと商業スピの人たちが勝手に響きのよい言葉を呼称に加えていたりしますが、
鉱石は人間に幸運をもたらすだとか金運がよくなるだとか、異性運がよくなるなどは知りもしないのです。
そうした「運気」なるものは動物の中でも、文明生活を築くようになった、ここ数千年の間に人間が考えだした概念でしかないのです。
当然、もし仮にの話ですが、鉱石類に私達人間と会話ができるとしたとします、
彼ら鉱石にとって、金運なるものはなんなのか?幸運がやってくるなどというのはなんなのか?
反対に質問攻めにされるに違いありませんし、
鉱石は所持している人間に幸運なり、そうした「運気」なるもの、こうした事柄に好影響を与えるなどと約束もしてくれませんし、
パワーストーンを所持すれば人間に何か好転が起きる、運がよくなる、などというものは、
人間が商業スピ関係者に乗せられて信じてしまっているトンデモといってもいい。
確かにあらゆる鉱石には人間の都合で様々な象徴が「付け加え」られてはいます。
しかしそれは花言葉などと同じで、象徴する意味は確かに加えられてはいても、
その象徴する意味をパワーとして人間に与えるなど誰も約束していません。
例えば私の別ネームには、「椿」という花の名が名前の中にありますが、
椿という花の象徴、加えられているものは、純愛だとか最高の愛だとかだそうです。
しかし、じゃあお花屋さんで、もしくは森の中で、季節ごとに咲き乱れる花言葉に沿った花を手に入れたらその象徴、シンボル、意味する所、花の場合なら花言葉と呼ばれもしますが、
その意味するものを力として与えてもらえるのか? そのシンボルとされるものが何か神秘的な力となって所持する者に影響を与えるのか?
おとぎの国のファンタジーではありません。
まるで一昔ふた昔前の漫画の中の魔法のようなものであり、あくまでも憧れであり、夢見がちな人が空想する程度のもの。
しかしどうでしょう?現代スピを迎えた前後からはそれら空想はすっかりゲンジツ、リアルであると思い込みたがる大人が増えてしまった。
現代スピが流行る以前にも似たようなものはありました。
ローエングリンのペンダントだとか、様々な縁起のよさそうなエピソードなどが添えられ、
それらはその品を持てば幸運になれるのだと、「人々は勝手に思い込み」、そうして商売が成り立っていたのでした。
今はそうしたものが「パワー」ストーンと、この名称にもちょっとした洗脳じみた仕掛けがある。
石は誰もあなたにもあの人にも幸運を授けてくれるなど約束してくれていないのに。
(逆に今でも信じたい人には問いたい位です。 なぜその石を所持すると運気などが良くなると断言できるのか?
論拠根拠を事細かに納得のいくように説明ができるのかと。)


鉱石、それは宝石類も当然含まれますが、所持するだけで幸運を引き寄せるなどありえません。
そうした浸透した思い込みは、それで商売をする人たちが都合がいいから徐々にゆっくりと緩慢にではありますが広めていったもの。
とは言え、幸運を引き寄せてはくれずとも、古代からある面では効果が認められてきたものがあります。
それは病気やカルマの影響に関した分野で。
これはインド、特にヒンズー思想を細部まで研究しないとその論拠根拠の具体性は示せそうにありません。
私もそうしたことを細部まで詳しくはありませんので、そうした分野で一部効力が認められているといったことを、そうしたことを世間に真っ向に広めようとも肯定しようとも思いません。
ただし、それらが効力を発揮する条件は、いくつかあるのですが、今日、一部だけ公開します。(全部公開はしませんし、残念ながら今回はソースはスピ商売人の言い訳やこじつけ言い逃れに悪用されるおそれもあるのでできません。)
「穴の開いていないもの。」
よって、パワーストーンブレスレットとかで売り出されているものは当然穴が開けられているので意味はありません。 しいて言えばあくまで綺麗なアクセサリーといった所です。
それはホースや風船のように、穴が開いた時点で期待できる効力は漏れてしまうからだと私は判断しています。
本日よりおそらく、ブレスレットタイプ以外をメインに扱おうとされるパワーストーン屋さんは増えることでしょう。
しかし、パワーストーンと呼ばれるものが実は虚構でしかないことを知らなかった商売人も数多くいたことを多くの人々は知ることになり、
必然、そうした商売人も世間に流れている思い込みをただ利用し、自身さえもそうした思い込みで単に商売していただけだった、そのことを人々は知ることになる。
私がこのブログの記事やコメントで時折、パワーストーンなるものを販売している霊能者はニセモノと説いてきたのはこういうことです。
スピ商売人たちの商売の都合で流布されてきた、作られ、世間に浸透した概念。
こうしたことに気づくこともなく、パワーがあるのですやら運がよくなるやらとヨタを飛ばして販売をしてきた人々、
そんな自称霊能者は意識無意識に関わらずニセモノなのは明白です。



まだまだ続くのですがこのへんで切り上げます。
エセスピだのニセ霊能者、そうしたものを信じ、それがウソと明らかになったあとでもまだ信じたがる、
そうした人達の顕著な傾向の一つが上記にも挙げました思い込み、スリコミなのですが、
話が長くなってしまいますのでまた別の機会に。

とは言え、ここまできたなら、以前に書いたとても重要な記事であります、
「理解のあいまいさといったものが人生の邪魔をしています」 これをぜひ読まれてみてください。

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偽予言者、偽霊能者、偽スピカウンセラーの実際の手口から見る見分け方

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 偽予言者、偽霊能者、偽スピカウンセラーの実際の手口から見る見分け方

 まずはyoutubeで見つけました、ブラジルのTV局が暴いた、
自称予言者であるジュセリーノのインチキのボロがいくつもあらわとなる様子や、
予言者を気取りつつ、日本でもよく見かけがちな霊能や浄霊除霊といった金銭搾取に誘導してゆく様子や、
いい加減スピカウンセラーぶりをとくとご覧ください。


http://www.youtube.com/watch?v=jvmOBczvuFs&feature=related

さてどうでしょうか、観てると、彼の手口は古典的な、自称霊能者らがこぞって使う、日本でもよく見かけがちな手口とほとんど同じものばかりですが、
正直、こうまで手口があらわになってしまうと、やってることは詐欺です。

まず、こうした不安を煽り、浄霊やら除霊を薦めてくるものはほぼ99%が商売上の都合がいいからのこじつけと判断していいでしょう。
スピカウンセリングの部分もそうで、世間的によくありがちなことを適当に吹いているだけのヨタ話でしかない。
なにしろ何一つ当たってなどいないし、この動画の中で自分の子供の相談をするフリをしている人には、
実際は子供などいないのだ。


今回、超常現象の謎解きのハリー・フーディーニが、ある偽霊能者のインチキを暴いた時の様子が記されたアドレスも明記しておきます。
http://www.nazotoki.com/hot_reading.html
この記事にぜひ目を通され、ブラジルのTV局がやったように、ハリー・フーディーニが同じくやったように、
自称霊能者に接する時は、ぜひウソの情報を与えて、その様子をつぶさに観察することをみなさまにお薦めします。

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付加価値商法 今まで言えなかった話


 付加価値商法 今まで言えなかった話

 あのパワーストーンとかの話ですが、私、控えて書かなかったものがあるんですね。
貴石の代表格である「宝石」類、パワーストーンと便宜上呼んでいる鉱石類、
こうしたククリ、分け方というのはですね、人間が勝手に便宜上分けているだけであって、
石の側からすればですよ、やれどの石が宝石だのどれそれの石がそうじゃないだのと、仕分けされるのは心外?
かもしれませんね。
その上でお話するとですが、
過去数百年の間に、いったいこれまでどの国で、いったいどんな「宝石」がどんなパワーやらどんな運気あげにいいだの、
ましてや金銭運向上だの、愛情運向上に効果がありますなどといった販売のされ方をしてきただろうかと。
近代、いや、もっと最近のことですので、古くてもここ20年位でしょうかね、
何かまるで、おとぎの国の魔法のような効果があるかのように静かに吹聴がなされていって販売されるようになりだしたのは。
さて、控えて書かなかったと言う部分に触れたいと思いますが、
なぜ触れなかったかと言う部分もお話しなければなりませんけど、
この精神世界やスピ系世界で似たような何かに転用しようと考える山師がまたも現れ、
類似犯が続出してしまうのではないか? そういう懸念があったからでした。
要はですね、最近のパワーストーンでもそうですし、20年以上前に今のパワーストーンのような売り出し方をされて目立っていた、
あの、ローエングリンのペンダントでもいいですが、
これは「付加価値商法」と呼べるものなんです。
何か理由を付けて、本来の価値よりも一層価値あるものかのように演出する「後光効果」と言えばいいかもしれません。

こうした付加価値や新しい市場を徐々に敷いてゆき、長いあいだ商売の基盤にしてゆくのがうまい民族はユダヤ人なんですが、
さて皆さん、今から30年前、スイートテンダイヤモンドと言う概念、聞いたことはあったでしょうか?
それ以前にそんな概念は誰も聞いたことはありませんでした。
確かあれは90年代だったと思いますので、あれは今から20年くらい前頃からだったでしょうか、
結婚10周年のお祝いに奥さんに10粒のダイヤをプレゼントとしようというCMが盛んになり始めたのを。
しかしスイートテンは金銭的にかなりきついことなので今現在それほど浸透はしてはいないのも事実ですが、
こうして新しい概念を敷いてゆくという、言わば付加価値商法はユダヤ人は非常にうまい。
ここでお断りしておきますが、スイートテンそのものを悪く言ってるわけではありませんよ、
愛しい奥様に日頃のねぎらいでダイヤを買うくらいのこと、余裕があるならどうぞしたらいいですよ。

とまあこうしてですね、世の中の流れというものは、誰か世間の商売人の都合で形作られてゆくことがしばしばあるんですね。
控えていたもの、もう一つは、もし、今のパワーストーンなる付加価値商法がなかったとしたなら、
貴石の中でも宝石とくくられている石類は相変わらず需要はあったことでしょう。
しかし、今現在流通しているパワーストーンと呼ばれている宝石扱いにはほぼされてもらえない石類は、
彼からのプレゼントされた私の指輪、水晶なの、とか、ローズクオーツなのー とは、女性陣は人に言いたくないに違いありませんね。
つまりやっぱり、人間側のくくりとして宝石以下の扱いでしかないんです。
そう、もしパワーストーンなる付加価値が付けられていなかったなら、そのほとんどが今ほどは流通せず、埋もれてしまっていたでしょう。
昔、原宿とかで、単なるアクセサリーとして売られていたのをみましたが、
ああしたヒッピーなどが露天商などで扱っていたペンダント、あの程度の需要しか見込まれていなかったのです。
それがどうでしょう! 今や「パワーストーン」と銘打って何かにあやかろうとされる方々の購買欲を大いにくすぐっていると。
私はこれをショートカットしたがる方たちとみていますが、こうした方々が主な顧客となっています。(注へ)
とある、パワーストーンの卸商の社長を数年前にTV出演していたのを観た事がありましたが、
彼曰く、パワーストーンの輸入卸商で年商200億円の商いだと語っていたのを今でも覚えています。
そう、商いをする人たちにとっては付加価値はありがたいもの。
しかし私は、パワーストーンに乗せられてお金ドバドバとか異性運グングンになったという人を聞いたことはありません。
ブームはやってくるのではなく、ブームは人間が作っているのです。


(注、精神世界やスピリチュアル系統などでショートカットをしたがる人たちとは、
「自助努力を省いて楽をしたがり、結果だけを求めたがる傾向の人たち。」
こうした人たちは、スピリチュアル系統の世界では商売人の側にとっては常に上客であり、搾取の主な対象にされがちな人々。
また、懐疑心が薄い傾向があるため、自分自身で考えずに人の言うことを鵜呑みにしてしまいやすく、
そのせいで騙されやすく、自分自身がすぐさま得をしようといった傾向があるために、物事を見つめるレンズを曇らせてしまいがちでもあり、
妄信的になりやすい傾向があります。

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立証を示そうとしない霊能者は信用されない時代になります


 立証を示そうとしない霊能者は信用されない時代になります

 最近の「現代スピブーム」のよくない点というものがあるんですが、
それは自称「能力者」、それは様々あると思いますが、
やれチャネリングだの、スピヒーリングだの、何かにパワーを込めるだの色々言われてはおりますけど、
何一つ人前でそれらを証明してみせようとはされません。
また、そうした具体的な証明がされていないものを「鵜呑み」にしてしまいがちな人があまりに増えてしまったという点でしょうか。

以前にですが、ここでは名を控え、K女史とさせて頂きますが、
その方は様々な能力があると吹聴はしてはいたものの、
何一つ人前でそれらを実証しようとはしませんでした。
その方はですね、実に巧妙なんですが、実証を余儀なくされてしまう、「念力」、
これ以外ならなんでもできると人々に吹聴をされていたわけです。
さて、その方は念力だけはできないと言われていたその理由が実に面白いのです。
それは、念力は能力の中でも下等なものであるからだと。
彼女曰く、なんでもできると。 しかし念力は能力の中では「下位の部類」だからできないと言われる。
一見、言ってることは整合性があるようにも聞こえてしまう、錯覚に陥るわけですが、
下位のものが出来てこそ上位の能力もできるようになってゆくのが道理なのですね。

たとえば足し算引き算ができてはじめて掛け算ができるわけですし、因数分解にしてもです。
下位のものだからできないなどということは道理に合わないわけです。
彼女のその言い回しはですね、下位のもの=下等なものというニュアンスでの言い訳だったわけですね。
こうして「目の前での実証が不可避なものは避けれるように詭弁で人々を欺く。」
もし、なんでもできるし念力もできると発言をしてしまったならばですよ、
じゃあやってみろと言われかねないわけです。
そこから逃れるための方便なわけです。

といったことが冷静に見つめていればですが、その発言の主旨、動機が見えてくるわけです。
あくまで冷静になればですが。

こうした、霊能者を気取る方もですね、人前で実証をせずに済ますための詭弁をあらゆる方便で用意してきます。
やってみろと言われてできなかったらボロがでてしまうからなんですが。
しかしそれにも増して今一番の問題と言えるのは、
なんら立証を確認しようともせずに「鵜呑み」にしてしまいがちな人々が増えてしまっているということです。

普段私のブログを読まれている方の大半は、懐疑心が悪いものではないことは十分ご承知でしょうし、
冷静さも賢明さも備えた方々ばかりだろうと思います。
すると、読者によるコメント欄もそうした冷静さや賢明さがコメントの質として反映してくると。
もし、上記に挙げたような、なんら立証することから詭弁で逃げていると思われる自称霊能者を見つけられたなら、
ぜひ観察をしてみてほしいものがあるのですが、
そうした詭弁方便でうまく立証から逃れ、言葉の暗示でうまく信じさせようとされている、そう感じたなら、
その方のコメント欄に注目をされてみてください。
立証なく信じてしまわれる方というものはコメントでの文章にもそうした傾向が色濃く表れてしまうものだからです。
この場合、そうした傾向のコメントが寄せられている自称霊能者は、元々立証などする気のない、
まやかしである確率は限りなく100%に近いと思って頂いてよいでしょう。
これは私の経験からも言えるんです。 これまで私は様々な自称霊能者と対峙をしてきましたが、
その中でもあまりにも印象的だったものにこんなものがありました。
ある、とある霊能者に、私は死んだことに勝手にされたことがありましたが、
この通り生きていると言えば、取り巻きの信者さんらは私に向かってですが、
「あなたが生きているというのはあなたの勘違いなのだ」と私に言うわけです。
こうした、霊能者の能力の立証をはじめから求めずに無視してみたり、論理や道理を無視して発言する信者の多さ少なさと言うものはですね、
その自称霊能者の実態の反映そのものなんですよ。

しかしこうした、これまでのような、
自身の能力を口先ばかりで信じ込ませようとするタイプの霊能者、
言わば立証してみせようという姿勢をみせない自称霊能者は、これからの時代は信用されなくなってきますし相手にされない時代になります。

2005年以降の流行りを迎えた以降を私は「現代スピブーム」と呼んでいます。
それ以前にもこうしたものは静かながらもあったとは思います。
国内でのそうしたものは主には「ニューエイジ」と呼ばれていたように記憶していますが、
今の流行りを迎えた以降ほど、なんら能力を目で確かめるように示そうともしないで口先だけで信じ込ませようとする時代はなかったように思います。
こうして「現代スピブーム」を迎えてまだ10年にも満たないわけですが、
こうした口先だけでなんら立証を示そうともしないでも人々は信じてくれる、そういう甘い幻想はそろそろ終焉を迎えます。
なぜなら、そうした口先だけで信用させようとしてきた人々がこれまでのブームで大多数であったことに人々は気づくようになり、
ブームに乗せられてきた人々もこれまで以上に冷静に、そして賢明になってゆくからです。
これからの時代は偽物と本物をキチンと選別した上で触れてゆく人々がこれまで以上に増えてゆくことでしょう。

立証を提示しようとしない自称霊能者、立証を求めずとも鵜呑みにしてしまいがちな人々、
こうした図式こそが今現在の霊感商法の大前提の部分であり、根底にあるものなのだと、多くの人々は深く、そして常識として、認識をしてゆく時代を迎えるのです。

 私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、
どうぞよろしくお願いをします。

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