愛と幸福、人生の成功を実現する者、それは行う事のできる者

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 【 愛と幸福、人生の成功を実現する者、それは行う事のできる者 】

 求めるものは境界線のようなものです。 望むものは本当はすぐそこにあるのです。 
いつも私達はどちらかを選べる境界線にいます。
今の自分を楽にさせてくれる道と、進むのが一見難しそうにみえる道。
私達はいつも夢や希望を捨てたことがありません、なのに求める物を掴もうとしないまま人生が終わってしまう。
いや、そんなことはない、いつだって本当に満足できる自分、夢と希望を求めている。
そうつぶやきながら私達は時が過ぎてゆく中でただ黙って過ごしてきた。
 この「上を向いて歩こう」を書き始めてから7年間、私は原稿を書き続けながらずっとひとつの業界に身を置いて、
その中で愛や夢、幸福を求めている人たちをみつめてきました。
皆誰もが幸福を求めています、なんの希望もない人は誰一人いませんでした。
ある人は生活のよりよい改善を求め、ある人は裕福になることを求め、皆少しだけ熱く夢を語るのです。

けれど誰一人自分の夢を叶えてみせた者はいませんでした。
なぜでしょうか?
ある人は独立して自分で商売を始めたいと言い、ある人は国家試験に合格し、この業界で出世し、もっと沢山の給料を得たいと望む。
そしてある人は理想の恋人を求めている、生まれ生きた時間よりも長く過ごす生涯の伴侶、何が起きようとも互いに支えあう誠実な異性。
そんな夢と希望を持ち続けながら誰もそれを掴めない。
でも本当は、自分が心底求めている夢と希望を現実のものとしようと誰一人してはいなかったのです。
求めた夢や希望が得られないまま数年が経つと皆一様に同じ事を言う、
「こんなはずじゃなかったと。」
夢や希望、幸福は、ただ語るだけじゃついてきやしないのだと誰もが知っています。
なのに求めはしても何も動かない。
自ら動かなきゃ歩けない、立ち止まったままじゃどこにもいけやしない。
 朝、いつもの一日がはじまる、昨日と同じ今日がまたやってきた、
始業時刻から終業時刻までをただ過ごしてゆく、毎日その繰り返しをしてるだけで私達は給料が貰える、
それのどこがいけない?
熱き希望を胸に膨らませながらも、こうしてみな口を揃えて同じ事を言う。
自分で商売興す時には絶対成功させるし頑張ると、だけど今のこの仕事で何も頑張る必要ないじゃないか、
あくまで生活のために仕方なくやっているのだ。 「誰だってそうだろう?」
皆こうして一様に同じ事を言う。
そうかもしれない、あるいはそれがごく普通なのかもしれない。
就業時間をただ過ごせばいい、今のこの仕事は生活のために仕方なくしてるのだと口にする人たちを随分とこの目でみてきました。
今一生懸命なれないでどうして自分が全部責任持たねばならない自分で興す商売が成功をするだろうか?
どうして夢や希望を現実のものとして掴むことができようか?
じっとしていたら誰かが夢や希望を叶えてくれるとは誰も思っちゃいない、なのに誰も自分からは動かない。
すべて望むものは、日頃の自分の姿勢なのだと分かっていながらも今のままでいようとしてしまう。
目の前にある自分を楽にさせてくれるもの、求めながらもみずから動かない自分を正しいと信じこませる、「誰だってそうだろう?」
「そう、人間は誰もが怠け者なのさ、周囲をみてみるがいい、誰も一生懸命などしやしない、人より余計に頑張る?
ばからしい、なぜ疲れなきゃいけないんだ? どうして楽にしてちゃいけないんだ?」
そうやって自分を楽にさせてくれる言葉で(注、自己欺瞞で)「自分を騙してはいけない。」
そうやって知らぬまま「自分を縛りつけてはいけない。」
「自分で望むものから遠ざかってはいけない。」
替わりに失うものはいつの時代も大きい、いつかこの世を去るときに後悔と不満でいっぱいになる時、
本当はそれを自分に向けて生涯を閉じてゆくのだ。
不甲斐ない自分をみつめては、求めてやまなかった幸福とは比べ物にもならない瞬間の刹那で日々満足していた自分の浅はかさに気づく。
幾度となく生まれ、幾多も経験した私の生涯。

 こうしていつも人が不本意なままで終わるのは、
求める夢や希望、愛と幸福にそって実際に行うというたったこれだけの事が欠落していたのだ。


 ここではそれをこんな話で。
ある会社では統括する責任者が退職することになり、本社から一人の責任者が新たにその支社に配属をされました。
その責任者、大勢の従業員をまとめる新しい上司は、一生懸命働く者には正当に評価をする者として以前から評判のあった公正な人物でした。
その上司は努力に見合う相応しい者を引き上げて昇進を与える者であると。
新しい上司のこの評判を聞いた者達の一部は、これで自分たちも正当に評価をされて出世ができるやもしれない、
給料も引き上げられるに違いないと内心思う者たちもおれば、
今までの上司と同様に正当な評価などされるはずもないといった具合でした。
これは目の前に求めるものがあってもそれを信じずあきらめてしまっていると言えばいいだろう。
しばらくするとその上司の許で働いていた何人かは昇進をし、給料が引き上げられ、より責任あるポストを任されるようになった。
行いに相応しいものが与えられたのだ!
しかし昇進を得ることのできなかった者達、特に先を越された形になった古参達は多いに不満を表す、
自分の方が長く勤めているのだから順番から言えば昇進するのは私のはずだと。
ここで読者はこの不満をぶつける者をみつめてこう思うことだろう。
「あなたの所有する会社ではないのだからあなたの勝手な自分に都合よいルールは通らないと。
得ることのできなかった者は本来、評価に見合うだけの仕事を一生懸命して昇進した者達と同じように、
自分も得るに相応しい行いをすればよかったのだ。
昇進を望みながらも得られなかったこの人は、その望むものに相応しいルール、
それは、「得るに相応しい行いを実際に自分がやる」ということによって得られたのです。
(注、正当な努力をしていてもえこひいきで昇進してゆく者もいる、そう言われる方もいるかもしれません、
ここでは本書も終盤なのでこれらの疑問をいだいたなら第二部の因果の章全般を読み直して下さい。)


 善き事も悪しき事も、すべて、与えているのは運でも天にまします神でもありません、
この話の中で昇進を得た者は、一見表象上は人の手によって与えられたかもしれません、
ですが本当は違うのです、
すべては自分が与えているのだ。
それはふさわしく。


 一切に偶然はないのです、一切に不公平というものは存在しません、
一切は厳粛に公正なのです。 なんの狂いもありません。
貧乏に生まれたのも、富豪に生まれるのも、身体が不自由なのも、一見差別をされることも、
成功も挫折も悩みも苦悩も−−−
生まれ育てる親を選ぶことすらも−−−
一切は自分が相応しく用意したもの。
愛と幸福を夢見て本当に掴むことも−−−
人生は自分の手によって思うままに変える事ができる
愛と幸福を選ぶなら−−−
掴むことができるのです
人生のすべては自分の手によって創っているのですから。


□ ここで読者にもう一度伝えたい言葉があります。
「どんな分野、物事においても私達はがんばる事ができる、最善最上を尽くす事ができるのです。
人よりがんばると疲れるとか損だとか楽をしていたいとか−−−
本当は些末でどうでもいいことではないですか?
働きと行い、心に見合うものだけを私達は受け取れます、
生きてゆく中で様々な自分が撒いてきた因果によってつらいことも苦しいこともあるかもしれません、
ですがどんな境遇にいようともですよ、因果を真に理解したとき、私達はこの世界の見方ががらりと変わるのです、
この世界は本当は私達に様々なチャンスを与えてくれているのだと!
因果を真に理解したとき、私達はこの世界が本当は薔薇色なのだと気づくのです。」 




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