幸せを分け与えるということ

JUGEMテーマ:引き寄せの法則
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第1回は
【幸せを分け与えるということ】

 とある国のお坊さんは、人に、自分が幸せになって余ったなら分けてあげればいいと言いました、
しかしこれは小乗仏教そのものなんですね、
日本に伝来されて根付いた仏教は自己と他者の幸福を願うのが根底にある大乗仏教や真言宗にみられる密教が主ですから
日本人は小乗の狭い考え方を仏教としては捉えづらい。
それは慣れ親しんできた大乗仏教とは異質な狭く利己的な教えに聞こえるからです。
 (注、小乗や大乗といったものは後世の人々が枠組みしていったものであり、
仏教の祖であるお釈迦様は本来、小乗だ大乗だと分けてきたわけではありません。)
わかりやすく言うなら、狭く自己を追求したところが小乗であり、
仏教のベースが小乗が基本となっている国々は実の所は発展途上の国々がほとんどなのです。
それはその土地に生まれ住まうその人のカルマが他を省みる余裕のない小乗的なものを多く有しているからであり、
仏教が伝来している国々の中で大乗が基本ベースになっている国々は栄えている国が多い。
大乗の根底となっているものには他者の幸福をも同時に願うより本来の仏教、慈悲が大きなウエイトを占めているゆえんと思われますね。
自己ばかりを追求した小乗は大乗の広義な慈悲を人に向けてはいません、
そこにこそ国々やそこに住まう人々の姿勢が発展途上として現実に現れていると言えるのです。

「日本人は大乗仏教」
 大乗的に物事を捉えて考え、生活してゆく習慣のある人は、
その人の魂の成長段階として小乗的な自己を追求してゆく成長過程からはすでに卒業しているのであって、
心が成熟して大乗仏教のステージにいる人に、成長段階として下降してゆく形になる小乗仏教的な物の捉え方を勧める事は良いことではありません。
日本では実際に小乗仏教が基本ベースとなっているものは尊ばれません、
それは日本人の大半の人々が小乗をほぼ卒業し終え、
心の成熟、魂の段階として大乗クラスの仏教が段階として受け容れるのに相応しいといった
カルマがあって日本に生まれてきているからです。
私たち日本人の多くが、私さえとか、まず自分が、と考えたがる人を見つめては心の狭い人と感じるのは、
日本人のその多くが他を思いやって成熟成長してゆく魂の成長段階として日本に生まれてきているからです。
当然小乗仏教的な狭い考え方や捉え方は卒業し終えている人がほとんどですから小乗的なものは尊ばれないし流行らない。
小乗仏教の国々の人が日本にやってきても聖者としてはまず扱われませんし、
人々はその多くを行者のような受け止め方でいます。

「苦楽は鏡のように自分に還る」
 ある小乗仏教の国の坊主は苦が嫌いだと言いました。
嫌いであろうと好きであろうと、人が日常で味わう苦と感じる物はすべて、
自分が自分に与えている事に坊主でありながらも小乗ゆえに気づいていない。
カルマ的にみるならばそれは、嫌いなものがあると言うことは実は自分を嫌っていると言うことだからです。

この坊主は、自分が幸せになって余ったなら、それを人に分け与えればいいと唱えていましたが、
まずなにより自分がと血眼になっている者が、いざ自分が幸せに満たされて余った時に人に分け与えるはずがないのです。
(注、その人の考え方の根底が小乗であるからこそと言い直してもいい。)
私たちが住む日本を見渡せばこれは一目瞭然なんです。
百や二百と世界に国々がある中で、日本はその中でも大変に恵まれています、水と安全はタダの国と言われるほど治安はいいし、
食べたい物をいつでも好きな時に食べられる、娯楽の部分も他の国々に住む人々よりも恵まれています、
他の国々では娯楽を考えるより今日の糧をとそこまでのゆとりがないのが実状なんです。
日本人はさほど幸せに溢れているわけでないごく普通の人ですらこれだけ恵まれている、
そんな私たち日本人が幸せに溢れた時、自分の幸せが余ったならその時人に分ければいいと教えられたとして、
その時になって他を省みる余裕が本当にあるでしょうか?
実際に今、物質や精神、どれもが幸せに満たされ余っている人が今現在どれだけ他の為に幸せを分け与えているでしょう?
人に幸せにしたいと思う気持ちは、自分の今の幸せとはまったく関係のない別のものなんです。
私の幸せが余ったなら人に分けようと言うのは、
「自分が幸せでないなら人を幸せにしてあげたくないと言っているのとなんら変わらないのです。」
これは物惜しみやねたみひがみの根元のひとつでもあります。
どうして「私が」幸せでないのにあなたが幸せにならなくちゃならない?
自分が幸せでないなら人に分け与えない人というのはこういったねたみやひがみがその人の奥底にあるのです。

こうしてまずは自分の幸せをと血眼になる人は、これらねたみやひがみが心の奥底にあるからこそ、
それが原因となって自分自身が望んだように幸せにはなれない。
これら心の奥底にあるネガティブな感情は、私たち自身を幸せにするのを妨げている大きな要因なのです。
拙著「上を向いて歩こう」の中でも血液に例えましたが、
これは他に養分を流さないで自分が自分がと他から求める一方の状態なんですね、
他に流してゆかずに求める一方だからこそ詰まってしまい、他から自分の許に流れてこない。
幸せがやってこない人はこうした悪循環を自分で招いているんです。
この悪循環から抜けてゆくにはどうしたらよいでしょう?
「上を向いて歩こう」の中でも唱えましたが、物事は逆説の中にあります、
他を幸せにする事は究極的には自分を幸せにしているのと変わりがないのです。
それをカルマといい、私たちが人々に向ける苦楽は鏡のように現実に自分に還るからです。
「上を向いて歩こう」の表紙にはこれらの答えの鍵となるみかんの話を載せてあります、
もし人が幸せでないなら、その悪循環から抜けて自分が幸せになるには「まず人を幸せにする事なのです。」



2003/9/21






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