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霊性精神性の進化

JUGEMテーマ:スピリチュアル
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 霊性精神性の進化

神性の進化について簡単なまとめ
http://firstdoor.jugem.jp/?eid=334

霊性精神性進化の為に必要な事
http://firstdoor.jugem.jp/?eid=328

今日は過去記事のピックアップです。


 今回も2つの記事ですが、
前半記事は、そのブログなり教えなりが、読者をどの位置まで連れていくことができるのか、その目安を具体的に書いてあります。
後半記事では足を引っ張ろうとされる方々の特徴や目安を書いてあります。

実の所、この霊性や精神性に関した記事は他にもまだ書き上げた記事がありますが、
このブログでUPする予定は今のところありません。
少しでもこうした事に関心のある、まじめに邁進をされることを望んでおられる方は、
別サイトであります、「ちいさな一歩」にご参加ください。
あちらの無料ワークショップでこうしたものも企画しておりますので。


 神性の進化について簡単なまとめ

 今現在、精神世界やスピリチュアルと呼ばれているものに触れておられる人たちにとっては、
おそらく意外に思われる方も大勢いるかもしれませんが、
霊性や精神性の向上、これはその魂の悟性や神性と置き換えてもいいですが、
これら魂の進化は、何かしら不可思議な理論や、スピ論のようなものを学んで進むものではありません。(注1へ)
私は特にこの部分を強調しておきたいと思いますが、
私たちの魂の進化は、実際は日常生活の中にこそその機会があるのです。
霊性や精神性の進化、置き換えて言えば悟性や神性といったこれらは、
何も滝行のようなものや、一般的に思われている修行や、出家生活のような特別な事をしなくとも、実は日々進化進歩を本来はしてゆけるものなのです。
(もし何か特別なスピ的な儀式や体系を学ばねば霊性進化もアセンションも超えられないのなら、
私たち人間のそのほとんどは無理ということになってしまいます。)



今後web上で進めてゆきます体験型ワークショップでは、
分類上では悟りにあたります、「見性」も可能になります。 (これらについては他記事を参照のこと)
これまで私は見性に辿り着くプロセスをそうとは知らずに、日々20年近く行ってきました。
それらを体系的にし、体験型ワークショップに組み込んでゆきます。

これは以前の記事で、見性状態にたどり着くことのできる方法として、
特別な修行をせずとも誰でも霊性精神性を磨いてゆける法の流布をしてゆくとお話をしました部分になります。




ここで今一度、以前の記事から抜粋しておきます。

【これは肝心な事ですが、私たち人間は、普段日常生活の中で、いわゆる滝行やら特殊な修行をせずとも、
そう、出家僧のような生活をせずとも、本来悟りに到達できるだけの資質を誰もが持っているものなのです。
(修行が無益であるとは言いません。適応性がある方なら進み方は速いでしょう。)
悟りだとか覚醒だとか霊性や精神性の向上、次世代を担う進化した新人類。
こういったものは特殊な修行をせずとも、本来誰もが手が届くよう、人間は神の創造により設計をされているのだと言いましょう。
なぜなら、私たち平凡な人間は、修行やら出家などをしなければそれらに手が届かないほど不幸な生まれをしてきているわけではなく、
人間の生の営みとして当然な、家族を持つ者であっても、そう、それは出家生活をせずとも、誰でも公平にそのチャンスは与えられているのだと。
もし出家や特別な修行をすることのできる、恵まれた者にしかチャンスがないのなら、
私たちの99%は生まれた時からそれらを手に入れる事はできないということになってしまう。
私たちは動物とは違います、知性と精神性を授けられた、自由に選択肢を選ぶことのできる、すぐれた生き物。
地球上の神の創造物の中で、この地を治めることを許された、最高位の種であることに疑いの余地のないことだからです。】




 精神性や霊性の向上は、その人の人々との関わり方にあります。
人間よりも進化しているであろう天界の住人、それは神人なり、
そして神々、完全に悟性を開ききったわけではない修行中の菩薩であれ、
その魂の姿勢は、他の魂に向けた■利他心■であります。
(より厳密には利他心の更に進化した姿、自他同一ですが、ここでは割愛します。 私のブログやサイトなど、これまでの記事や今後の記事をご覧ください。)
この利他心はひとつめの自身の成長にも当然及んでおり、
日常で人々に利他心をもって接して生活する人は、菩薩や神々らのように、自身の霊性や精神性など、神性を高めてゆくことでもあるのです。

精神世界系やスピ系なる分野の教えにあたるもので、隣人に対しての利他心について触れていなかったり、
重要視をしない、もしくは軽視をしているものは、実際は決してその人の神性を引き上げるものではありません。
これはその論や体系の姿勢と言ってもいいですが、
おおまかに分けて、
「利己中心」
「利己利他混在」
「利他」

この三つに分けられますが、
論と勧める行いの内容が「利己的」なものなのか、「利他的」なものなのかで
その魂をどこに連れてゆけるかがそのまま示されているのです。
利己的な教えが神々や菩薩らの基本姿勢である、
利他的な境地なりステージにまでは引き上げることがないのはお分かり頂けると思います。


ですから、我によしが基本となっている利己的な教えは、同じように利己的な状態に縛り付けるもので、
一見どれだけ高尚な教えのようにみえたとしても、その人の魂を進化させることはありません。
私はこれを、意識的にせよ、無意識にせよ、こうした教えを流布したがる方達は、(注2へ)
「光と闇の戦い」の闇側に加担してしまっている人たちの教えと判断しています。
一見同じように霊性や神性の進化を勧めているようにみえることが多いですが、
闇側の教えかどうか見抜くには、その内容にもっともらしくこじつけた、
利己的なものが盛り込まれているか否かで見抜けるのです。

(闇側に加担をしてしまっている方達は、本日以降、愛とか一見利他的にみえるものを多く盛り込もうとされる方が急増します。
ですが、今日以前の過去の記事群と読み比べれば、らしく装うことでごまかそうとしているのかがわかります。)





注1、巷にスピ系の高額セミナーが存在するのは、実際は受講者のためでなく、開催者の金儲けのためにあります。
そのしるしのひとつとして、何度も通うようにリピートを勧めてくるはずです。

注2、無意識に加担をしてしまっている方らは、こうした世界にて
金儲けのために参入されてきた方々が多いので見分けるのは決して難しくありません。

2011/6/24 6:11 愛上王



 霊性精神性進化の為に必要な事

 もう2週間くらい前になりますが、関東圏では、
2007年の年末頃に大きな問題になりました、牛肉偽装の再現TVをやっていました。

これら食品偽装はやってはいけないことで

そのTVではそれら食品偽装に手を染めていった様子が実話を基にしたドラマ仕立てで映しだされていました。
はじめ、同業他社に価格競争で勝つため、
本来なら廃棄にされる肉を卸業者から仕入れ、それを正規品かのように扱い、販売しだし、
次第にその不正はエスカレートしてゆく。
増量やコストを抑える目的と思われるが、
コッペパンをミンチに混ぜたり、
ビーフのはずなのに豚肉を混ぜたりといった具合に。
次第にさらに大胆になり、豚肉100%なのにビーフとして販売をしてゆく。
こういったことがなぜできるのか?
それはお客には真贋などわかりはしないというタカをくくった気持ちが一連の不正の間に芽生え、
何をしてもわからないと消費者を見下す気持ちが強くなっていったものと思われます。
そう、へっちゃらになってしまうのだ。
理性や神経が麻痺してしまうといっても言い。

これと同じことが今現在のスピ系や精神世界系のブログやサイトでも言えます。

おそらく最初はみんな、ほんの少しだけのつもりなのかもしれません、
妄想作り話をほんの少し盛り込み、
バレる気配がないのをその目で知り、
次第にエスカレートしてゆく。
いつしか不正に対して歯止めはなくなり、ためらいはすっかりなくなってしまう。
すると妄想作り話やパクリなど、不正の種類手段は問題にはならなくなってゆく。
見つかりさえしなければ、バレさえしなければ、ナニをしたっていいのだとなってしまう。

これは理性を壊してゆく過程とも言えるもので、
抜け出せなくなるパラドックスに自分から邁進してゆくようなものとも言えます。
なにしろ引き返すための理性そのものが麻痺してゆく過程でもありますから、
引き返すことすら思いもよらないようになるのでしょうね。
「甘いお菓子 光と闇の戦い」や、その「続編」で触れました利己主義思想、人格破壊プログラムもこれらと同じです。
はじめゆっくりと、次第に傾斜の強いものになり、這い上がれなくなってしまいます。)

豚肉100%の肉をビーフと詐称して堂々と売る神経は、まともな理性を保っている人には到底できません。
バレたらえらい事になると容易にわかりますからね。

ではなぜこうした不正をする人らはそうしたことを平然とできるのか?

私はこれらは、
日々のちょっとずつの不正の中で、
理性を壊し、モラルを欠いてゆくための一種の訓練を、
自分から喜んでしている状態なのだと考えるのです。

これらはいわゆる一般で言われる所の、後天的なタイプの方の人格障害に、
自分から進んでなってゆく過程でもあると考えています。

先天性のものは別だと考えられますが、後天的な人格障害などはこうした、
日々身を置く環境や価値観、こうしたものが多大な影響を与えているのだと。

いわゆる反社会性人格障害や境界性人格障害など、
他者を省みず、利己の利益や快楽のために不正を行うことに対し、罪悪感が薄れているか、もしくはない。
もうお気づきと思いますが、
これらはそのまま理性が麻痺してゆくよう、
不正を積み重ねる訓練をしていった結果なのだ。

不正やモラルなき行為は、精神世界で指すところの善や悟性などから遠ざかり、
魂の自由からも益々遠ざかる行いとも言えます。 それは実質、霊性や精神性の進化において、
魂の退行であり、魂の野蛮化と言ってもいいものだからです。

やれそれがアセンションだとか、進化だ二極化だ、本当の真我だとか言いつつ、
実際の行いはそれらとは遠ざかる行いであると。
精神世界、それは今風な言葉で指す所のスピもそうですが、
こうしたものに携わる人、触れてゆく人々にとって、
モラルなき不正は相反したものなのです。

余談にはなりますが、こうしたものは矛盾と言えるもので、以前に「上を向いて歩こう」内でも書いた記憶がありますが、
失敗するダイエットにも大変似ています。
やせたいと望みながらも、実際の行いは甘いケーキを食べ続けてしまうというそれに。

他にはこんな表現で書いた覚えもあります、
(このブログにも一部載せてあります「上を向いて歩こう」内です。 お暇な時に読んでみてください。)
白いものを欲しがりながらも、
両手で別の黒い物にしがみついている状態なのだと。
ならまずすべきことは、両手を離し、そうして白いものをつかみにゆくのだと。
こうしてはじめて本来欲しているものを本当に掴むことができるのです。


これは重要なポイントになりますが、私たちは何かを得ようとしながら得られない事ままになるのは、
大抵はこうした何かしらの矛盾を行っているからなのです。



今回の記事は「ちいさな一歩」内の無料ワークショップ内で扱う予定のものの一部を、煮詰めて書いてはいませんが、
暫定的にこちらブログで記事にしたものです。
校正、清書をしましたらば、「ちいさな一歩」の無料ワークショップに移行します。



2011/6/17 6:00 愛上王

 私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、
どうぞよろしくお願いをします。
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