輝く未来を創るために

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 輝く未来を創るために
 
 今日は過去記事のピックアップです。
(管理人の別サイトであります、「CuteGirlsJapan」で長らく公開をしてきました「上を向いて歩こう」より。)


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 【 愛のステージへの導き手 因果の法則 】

 これまで私は、苦が自身に還るのは目先を追う事による過失からくるのだとお話してきました。
多くの場合人は、後々に注意をはらわずに目前の雑多な事に振り回されがちな生活を送っています、
これは目の前にある事こそが普段私達の気を引いてしまう問題だからでしょうね。
この、今起きている事象、目前の事ばかりでなく、少し先を見越して行動を選んでゆくことは実はそんなに難しい事ではないのです。
未来をみつめて生きることは自転車に乗る事にも似ています、仮にあなたが自転車に乗って道を進んでいるとしましょうか、
走っているその瞬間は車輪が大地を践んでいるその場所かもしれません、これが「今」です。
ですが自転車を漕いでいる私達は、その道の平坦な部分や邪魔となりそうなもの、通りすぎる人々、道をまたぎる犬や猫、
これらに注意しながら自分の進む先をみつめて自転車を漕いでいるにちがいありません。
私達は自転車という、乗るならば注意が必要な乗り物に乗る時は、数十メートル先という未来をしっかりと見越して自転車を漕いでいる。
これが先も見越して進むと云うことなのです。
そう、自転車の進むその先は今でなく「未来」なのです。 数メートル先や数十メートル先といったものは、
目をよく凝らして見つめるならばはっきりと迫ってくる未来。
私達はこの人生という世界を、この身体に宿って必死にペダルを漕いでいるのです。

 最近は風潮としてか、今こそが一番大事だと叫ばれる人々がいます、それは正しい事です、
でもそれは、すべてを見つめてではなく局所的な正しさと言えます。
今というものはいつの時代も大切なもの、そしてこれからやってくる未来とは、いずれ必ずやってくる「今」なのです。
言い換えるなら未来は沢山やってくる「今」なのです。
そしてこれが肝心なのですが、十歩先の未来は放っておいても素晴らしいと期待してはいけないのです、種は植えなければ芽がでることはありません。
今というこの瞬間が大事な人ならば、その一歩先も十歩先も大切にしなければいけないのです、
何しろ未来は私達の手で、このたった「今」以上にも、素晴らしいものとすることができるのですから。


 では私達はいかにしてこの世界を、持って生まれた心と体という自転車で進んだらよいのでしょうか。
すべての魂には進化の段階というものがありますが、これは私達人間という種の中にも細かな無数のステージがあります。
私達人間という種のその多くはこの地上に生まれて、時に嬉しいことや喜び、そして時に悲しみや不幸を味わいます、
これはそれらの幸不幸を味わうのは、本当はそのステージに添った必要なことではあるのです。
悲しみや苦しみは、そこから脱して愛と幸福を求めるための刺激としてあるからです。
人は意志によって行動をし、時に悲しみを味わい、時に自分の行動のあやまちに気づいて後悔をすることのできる優れた種なのです。
人間以前のステージに生きる種にはこれら自分の行動の結果を後悔するという概念はほぼありません、
後悔することは人間というステージにまで至った優れた魂の、いわば進化して勝ち取ってきた学習であり、
人がより精神的に進化し、また益々聡明になってゆくにも不可欠なステージなのです。
こうして人は後悔する事によって反省をし、悲しみや苦を避けてより良い結果を求めるようにと自分の行動を思慮をもって慎重に選んでゆく事を学んでゆきます。
ですから、後悔というものは人間という種にとって、それまでの種のステージにはなかった愛と幸福に向かうための一種の起爆剤のようなものであり、
人間というステージまでみずから励んで登ってきた魂の新たな特権と言えます。
しかしこれはあくまでも途中のステージでしかありません、人間という段階に生きる私達には無数のステージがあり、
最上かそれに近いステージでは愛と幸福はあっても苦悩や悲しみはないのです。
この最上や最上に近いステージを人間が一代で達する事は誰しもが可能です。
この段階では人々大勢に愛され、自身も大勢の人々を愛しています。
日々が自分の放つ愛と無上の幸福状態に包まれて生きているので不幸や悲しみ、苦が近寄れないのです。
愛なく思慮なく行動をした結果である苦はその人に触れることもかすることもできません。
後悔するという人間の知による特性は、いわばある段階までの一種の人の先生なのです。
しかし私達が自身の愛を大きく伸ばし、聡明に思慮をもって行動を選んでゆくようになってゆくと、
後悔の元となる苦しみから離れてゆく事ができるようになり、
結果それまでの途中のステージに居た人の導き手であった後悔は、もうその人の先生ではなくなるのです。

人間がこうした悲しみや苦しみから離れて愛と幸福を選んでゆくには意志という行動に聡明さと思慮がなくてはなりません、
それまでの先生であった後悔から学び取ったものには行動を慎重に選ぶというものがあります。
行動を選んでゆく。 これは目前にとらわれることなく、自分の行動の結果である、先々に起こることを見通して行動を選んでゆく事です。
それまでの目前にとらわれて生きるステージから、行動という原因と数歩先にやってくるその結果、
いわば今と未来を連続体のように捉えて生きるステージ。 この時人は失敗して後悔から学ぶ必要性はなくなっています。
人はこの時すでに一段上の段階に進化しているのです。 すべての行動は思慮よく愛に基づいて聡明に行ってゆくようになるので最善な行動を選んでゆくようになるからです。
人間は魂が進化をしてゆくと、先を見通して原因と結果の法則を取り入れてゆくので苦を招くものを自然さけるようになり、
その行動は自然と身に還る愛を基としたものとなり、愛と幸福に包まれた生涯を送るようになるのです。
進化した人にとっては、愛と、原因とその結果である因果の法則が新しい導き手となるのです。
それは原因とその起こる結果を見通して因果の法則を自分の先生とする人です。

■ 未来を見通す瞳をもって、望む未来に、私達は誰もが進むことができるのです。
■ イエスの言葉には、「明日を思い煩うな」という言葉があります。
現代では今こそが大事であると叫ばれる時にこの言葉を引き合いにされる人もいるようですが、
当時の「明日を思い煩うな」は、現代のより正確な意味に訳すなら、「起きてもいない心配事で思い悩むな」になるのです。
イエスのこの「明日を思い煩うな」という言葉を聞いた民衆は、どうして明日を考えずにいられるだろうと反発をしました、
これは当時の、収穫の心配や病気の心配、商売の様子、様々な事を心配する人々に、
まだ起きてもいない心配事で心を悩ます必要はないと教えていたのです。
しかしこれは決して明日を忘れて目前のことだけを楽しめではないですし、明日を忘れ明日の自分の準備を怠れと勧めているのでもないのです。
もしあなたが今日という今が大切ならば、明日やってくる今もより良い日となるように。
■ 後悔はある段階における人の先生です、後悔をしない人には2種類あります。
ひとつは行動に思慮と聡明さがまったくなく、行いが粗暴な人。 後述をします人間の精神性を表した「利己利他4分類」では
「利己」になります。 後悔を自分の先生とすることがまだできないステージです。
そしてもうひとつが原因と結果である因果の法則を取り入れて先々を見通して行動を選んでゆくようになった時に後悔を必要としなくなるステージ。 「利他」になります。
同じ後悔をしないという点ではちがいはありませんが、その人の人生はまったくちがうものになります。
この場合の後悔を必要としない人の新たな先生は最善となる行動を選んでゆくように指導する因果の法則が取って代わっています。
□ 愛と幸福で包まれた人の人生の導き手は因果の法則です。





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