スピ系の診断を求める前に

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 Kenshyoさんシリーズ 第二回 スピ系の診断を求める前に

 誰だって自分に自信を持てなくなる時や、誰かに背中を押してもらいたくなる時ってあるだろう。心がちょっともろくなっている時には冷静な判断力が欠けてくる。こういう時、スピ系の診断を求めていい結果に終わる事はほとんどないだろう。なぜなら、彼らはそういう誰にでもあるちょっとした心のスキを狙って商売にしているからだ。その心理をよくわかって言葉巧みに誘って来る。あなたの魂を癒します、浄化しますとか。知能犯になると魂の本当の目的を知りたいと思いませんかと直接言わなくても、クライアントの体験談など出して、潜在的にそう語りかけて来る者もいる。

自分自身や、今の自分の状況をを変えられるのは自分しかいない。自分で乗り越える事が人生の学びの一つだと僕は思っている。人に何かを求めるというのは依存心から来るもので、自分で自分ときちんと向き合おうとしてないからだ。自分と向き合わないという事は、知らずのうちに下を向いて歩いているようなものだ。よくありがちなのは、スピ系の人達に相談に行き、言われた事に不安や疑問を抱き、これは本当だろうかと更に他の人に聞き、その人の判断さえもどう思うだろうかとまた誰かに相談してしまう等というケースだ。

下を向いていては、前は見えない。そして、見えないままにただ不安の中をどうどう巡りして人生を無駄にしてしまうかもしれない。愛上王さんの言う"上を向いてあるこう"という言葉を思い出そう。とにかく上でも前でもいいから下を向くのはやめよう。その時に完全な答えは見つからなくても、ちゃんと顔をあげて進んで行くうちに、解決の糸口は見つかるものなのだ。全ての物事は考えようで、堪え難い事も角度を変えてみると、納得できたり心穏やかに受け入れる事が出来たりするものだ。

自分のカルマに気づきそれを乗り越えて行くのは、自分自身に与えられた課題で、他の人に気づかせてもらったり、変えようとしてもらう事ではない。どんな時もちゃんと自分と向き合っていれば、答えは必ず見つけられる。気づこうと前を向いていれば、自分で気づく時が来る。少なくとも僕はそう思う。まして大金払ってまで人に依存すると、お金払ったんだからその分の価値はあったと思うと、自分自身に納得させてしまおうとする心理まで働くからタチが悪い。まず乗り越えるべきカルマは、そういう依存心の解消なのではないだろうか。

また、たとえそう大げさな悩みはなく、ただ興味本位や安易な気持ちで"私もこの世に生まれた目的を知りたいわ。"とか、"アセンションに向けて魂の浄化をしたい。"などと言う場合も、気持ちが浮き足立って盲目的にスピ系の広告を信じがちで、心のスキを狙って商売されようとしている事に気づかないものだ。

心のスキを狙って商売しようと仕掛け、待ち構えている者はまだまだいる。冷静な目でそういう人達の宣伝媒体である、ブログやHPを見れば必ず矛盾、嘘、誇張、疑問点が見えて来る。とにかく心のスキをなるべく作らないようにするのがベストだ。でも事実、アセンションを目前にカルマの浄化、過去世、魂系の商売にはとてもつけ入れられやすい時期となっている。その巧妙さにつけこまれない為に、第三弾ではその具体例を事実と共に、日本では認識がまだ薄く、とてもつけこまれやすい過去世、魂系のヒプノセラピーについて話したいと思う。


今回も最後まで読んでくれてありがとう。

Kenshyo

この度は記事の寄稿を快く承諾くださいました
Kenshyoさんに感謝します。

 人の痛みを我が事のように感じる方、
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永久保存版の内容でした。

頭の中が整理されてない私などからしたら

羨ましいかぎりです。
| レインボー丸 | 2011/09/21 13:41 |
レインボー丸さん、

そんなコメントもらってしまって恐縮です。僕だってツギハギだらけで人にエラソーなことを言えるような人間ではないんだよ。

ただ子供が物心ついて色々見てるなって思った時からアセッてちゃんとした人にならなきゃって必死で頑張ってるけど。第一そんな家族が有る事自体、僕の魂は未熟なんだなって思ってる。

なぜなら、僕の友人(独身)が彼のサイケックの友人に”僕っていつか家庭もてるのかな〜”って言ったら、サイケックの友人さんは”それはないでしょう、その(結婚とか子育て)修行はもう過去世で終わってて、今世の課題はそれじゃないからねぇ”って言われたそうで、じゃあ家庭がある人間(僕)は、家庭が有る事で修行させられてて、その魂は家庭がない人ほど進化していないんだって、思っちゃったから。

たしかに結婚や、子育てから学ぶ事は多い。というか、僕にとっては我慢の連続で妥協と忍耐を学ぶ機会ではあるんだ。

と。。話がそれてしまったけど、頭が整理できない時にこういうのはどうかな?ブッダの教え一日一和という本にある言葉なんだけど、

私たちは、なかなかシンプルには生きられません。なぜかというと、過去をふり返り、先のことを心配して、いまどうすればいいのか、わからないからです。

そういうときには、やるべきことを
「ユニットごとカット」してみるといいのです。「この十分で何をすべきか」
「この三十分で何をすべきか」

そういう短い単位でカットすれば、
「これだったら、何ということもなくできる」ということがわかってきます。

どお?

--K



| Kenshyo | 2011/09/21 16:10 |
今晩は  
分単位で、何かを考えるという発想は今まで
無かったですねぇ 県民性ですかね〜(沖縄県民です)

私は結婚して16年になるのですが
子供はいません。周りの方々が心配そうにしてる反面、私達夫婦はノホホンと生活しております。

私の実家は6人兄弟(姉4人、兄1人)で、両親の8人家族でした。
子供の頃は感じなかったのですが、大人になるにつれ、私は、親や兄弟に自分の感情や意見を言う事が少なくなり、
よそよそしく、居心地の悪さを感じていました。

 父が10年くらい前から、パーキンソン病で寝たきりになり、介護を、ほぼ、母一人でしていたのですが、さすがに疲労が重なり母まで入院してしまいました。

 そんな事があり、今まで正直、仲が良いとは言えない兄弟の間で話合いをする機会が以前よりは増え、少しは自分の意見も兄や姉に言える様になり、父や母の病気のお陰と言っては変ですが、言える様になりました。

食事介護やオシメの取替えもあと何回出来るのか?分かりませんが、介護からも逃げずに、向き合いたいと思います

介護が子育ての代わりかもしれませんね?

ではまた失礼します。
| レインボー丸 | 2011/09/22 19:16 |
レインボー丸さん、

僕の友人が義理のお母さんの介護をやっていた時、とてもイジワルな姑さんで毎日いじめられてて、気が狂いそうになってて本当に可哀想だった。結局1年くらいで亡くなったんだけど、一生懸命やったから心残りはないって言ってた。

少なくとも君の場合は一人じゃないし、自分の親だから良かったね。家族との関係も、それによって少し良くなってるんならいい機会が与えられたってことだよね。人生にムダな出来事はないって友人にいわれたことがあるけど、そうだと思う。それにしても、西洋では介護とかって家族がやることは少ないけど、アジア人は偉いよ。

ユニットごとに考えるのって、辛い事でもただそのときやるべき事を淡々とやりこなすってことじゃないかな?あまり余計な事は考えるな、考えると辛くなるからって事じゃないかなって思うんだけど。これは僕の解釈だけどね。これからも頑張ってね。

--K

| Kenshyo | 2011/09/25 07:21 |









 
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