M原T子さんの2012年5月16日の日記
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M原T子さんの2012年5月16日の日記
M原T子さんの2012年5月16日の日記
M原T子さんの2012年5月16日の日記の方を読まれた方、もう一度目を皿のようにして再読してみてください。
さて、私の昨日の記事は皆さん読まれたでしょうか。
「今日このごろと重要ピックアップ記事」2012.05.15 23:45 http://firstdoor.jugem.jp/?eid=453
最近書きました記事の紹介で以下のように書いたのですが。
というわけでして、ここ最近数回に渡って書いています、「心の主人であることの大切さ」ですが、中々続きを書くタ イミングが取れません。
k http://firstdoor.jugem.jp/?eid=399 http://firstdoor.jugem.jp/?eid=400 http://firstdoor.jugem.jp/?eid=416
この中の416の記事ですが、
こんなことを書きました。
自由とは、我執からくる、何か好きなことをしまくれる状態を指す言葉ではないからです。
そう、私は昨日の記事で以前の記事をいくつか紹介したわけですが、
その中の一つ、もっとも新しい記事の中で、「自由とは、好きなことができることを指すのではない、」と読者に伝えたのでした。
さて、そこでですが、M原さんの2012年5月16日の日記を読んでみると大変に面白いですよ、
まさかこのタイミングであんなゆかいな記事を書いてくるなんて思いもよらないですわ。
あの方が当ブログを以前から読まれているのは気配がありましたから不思議ではないですが、
よりによってのこのタイミング、要するにこれは挑発なんでしょうね。
言わば大胆というか、頭がおかしいのか? つまりは宣戦布告なのでしょう。
世の中には、自分を客観視できない人っているようでして、
自分からどんどんと黒である証拠を世間に撒き散らす奇特な人もおられるようですね。
たとえば、3月に書いた記事なのに、
後だしで2月に書いたように工作をし、
世の人々を騙す人。
しかもインチキがバレればそれらの記事を削除してごまかそうとする人。
しかしそれって、これすごく重要なことなんですが、
犯罪者が犯罪の証拠を消す為に指紋を消しまくるのと同じなんですね。
自分を客観視できない人は、消し去ったからバレないと思い込みたがる。
しかしもし後ろめたさがないなら、消す必要性など微塵もないのに、わざわざ消すのは、
世間に自分はヤッていると白状しているのと変わりがないのです。(このことに気付けない故に客観視が欠落していると思われます。)
要はこういう人は、後先を考えず、いきあたりばったりの取り繕いに奔走をする人。
犯罪に頼る人というのは、大抵は自分を賢いと思っていますが、
でも実は自分自身を客観視できていない人が多いのです。
なので自分のどんな行動がミスを犯しているのかもよく分かっていないことが多い。
結果、刑務所で長い間生活するはめになる人が多いのはこのタイプです。
2012/5/16 18:52現在、以下は白文字でこっそり記しておきます。
しばらくした後に文字色を変更します。
私がこれまで書いてきましたものは、
1996年より開設しています、 http://www.osk.3web.ne.jp/~lovenet/ の中でセカンドコンテンツとして書き進めてきました、
(1997年あたりから2003年頃までの、ネットの1ジャンルとして、ネットアイドルというのは隆盛を極めた時期でしたが、
CuteGirlsJapanなるサイトはその中で最老舗であり、もっとも人気の高い総合ポータルサイトでした。 よって人々の目にも触れやすかったのでした。)
「上を向いて歩こう」や、並行して書いていました半パブリックな扱いの、原稿の下書きでもありました個人日記サイトなど、
啓発系の作家や、ここ数年はスピカウンセラーなど、それは古くから数多く盗作をされてきました。
それらの様子は個人日記でもそうですし、このブログを開設してからも時折触れてきました。
なぜ私の書いてきたものは盗作をされやすかったのか、今でもされるのか、
それは、啓発系やスピカウンセラー、はたまたニセ霊能者など、
そうした人達がこぞって欲しがる内容のものを、遥か以前から書き続けてきたからです。
それはここ数年の「現代スピブーム」を迎える以前の1996年から。
もし、今これを読まれているあなたが、本当に盗作されるだけの内容なのか疑問に思ったなら、
私がこれまで書いてきましたものを、ぜひ隅々をくまなく読まれてみてください。
そしてもし、盗作をしたであろう方の内の誰か一人にでも心当たりがあるのなら、
私が書いてきたものと、その方の書籍やブログとを比較検証されてみてください。
私は、盗作をされるという不本意な形ではありますが、流行りを迎えた以降の、
今現在の「現代スピ」のベースとなった概念を幾つもパクラれていっているのです。
1996年当時、いまでこそすっかりメディアの力によって浸透をしました「鏡の法則」と呼ばれていますもの、
これをインターネット上で最初に広めていったのはこの私でした。(16年前)
実の所は概念がパクられ、なんにでも「法則」という名称を付け足したがる方の手によってすっかり浸透をしたわけですが、(パクリですな)
当時、人間関係が鏡というのは概念としては異端でした。
書いた私ですら、記事として世間に出すのは勇気のいるものだったのです。
なぜ、姿形も生い立ちも性格もまったく違う人間同士が「鏡」などと言えるのか、
浸透する以前は、こうした当たり前の疑問を抱かれるのが当然だったからなのです。
そう、浸透する以前は、鏡の概念は本来は普通に見つめれば異端なのです。
だからこそ、今となってはすっかり浸透してしまっていますから、
遥か昔からあったであろう概念とすっかり思い込んでおられる方も大勢いるかもしれませんが、
鏡の法則なるものがメディアの力によってすっかりと浸透をした今だからこそ、
随分と昔からあったであろう概念なのだと今や人々は錯覚をしてしまっているのです。
現在、メディアの力によってこうして急速に世に浸透をしていった「鏡の法則」は、元がパクリから世に広まっていったがためにですが、
とても重要な意味が欠落している部分があります。
オリジナルであります私はこの部分について触れるつもりではおりますが、
何年も断念をしています。 すっかり浸透してしまった鏡の法則の肝心な部分を今になって世に伝えたとしても、
またパクられてスピカウンセラーあたりが持論のごとく吹聴して盗まれる、それを前もって理解しているからです。
あともう少し、私が力をつけたなら、その時こそ、鏡の法則と言う名でパクられていったその概念のとても肝心な部分を世に広めようと思います。
さて、最後にもう一度言います。
鏡の概念を今から16年前に最初に書いた当時、
性格も生い立ちも何から何までが違う人間同士を「鏡」と呼ぶには概念としてはあまりに異端過ぎました。
1996年以前には人間同士を「鏡」といった概念で考えることは普及などこうしてしていなかったのです。
今浸透しているのはメディアの力によるものなのです。
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- 2012.05.16 Wednesday
- 盗作されてきた件について
- 19:47
- comments(6)
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- by 愛上王