ウソや偽を見抜く姿勢と愛を大きくする方法
JUGEMテーマ:スピリチュアル
ウソや偽を見抜く姿勢と愛を大きくする方法
前回の記事でも触れましたが、(偽霊能者と盲信者の行く末)
私たちは嘘をついたり、嘘をつく者を信じてしまったり、
中にはそうした人をかばいだてる人も世には大勢います。
そうした人達は自分自身にも大きな悪因といえるカルマを積んでしまっています。
こうした姿は、精神世界系統、とりわけ神を信じたり関わったり、霊性や精神性の向上といった、魂の向上を目指した姿とはかけ離れた、
本末転倒な姿と言えますが、
しかしそうした人たちの多くはこの重大な事に気づけず、
人々や自身に悪因を意識無意識かは別にして、平然と積んでしまうということから、
実際は霊性や精神性の下降を行なってしまっているのです。
今回、このテーマをいくつかに分けて書きたいと思いますが、
まず初回は、閲覧読者は勿論のこと、精神世界系統のカテゴリにてブログ主をされている方も含め、
こうした精神世界に触れておられます方々全般に言える事を進めてゆきます。
精神世界系統のブログやサイトが今や世の中にはごまんとあります、その形は様々ではありますが、
霊能関連や、浄霊除霊系、スピカウンセリング系、セミナー系、ヒーリング系、パワーストーンに代表されるスピグッズ系、後出しジャンケン予言系、神示系(99.9%偽ですが。)
大変に申し訳ありませんが、そのほとんどはいわゆるスピビジネスとして参入をされてきているであろう方がほとんどのようです。
なぜなら、要は何かに悩める人や、藁をもすがりたい人たちから搾取をするが為に、誇張やウソを駆使して商売に励まれている方があまりにも目立つからです。
こうした様子は日常の詐欺的な商売や、霊感商法などが連日のようにTVのニュースなどで流されており、
それらをじっくりとつぶさに見つめておられる方々であれば、そうしたあやしいスピビジネスになど本来は引っかからないはずなのですが、
人々は中々ウソを見破れずにいます。
なぜ見破れないのか。
実は見破ろうとしていないからなんです。
一度でも信じてしまったものを疑おうとは人間は中々しないものなんですね。
なぜなら一度信じてしまったものを疑うことは、
自分はニセモノを信じていた愚かな者と認めることになってしまうからです。
要はニセモノを疑うことを自分から拒否してしまうんです、これは自分自身が。
それは自分自身を守るために。
こうしたケースは盲信してしまった場合にあてはまります。
他にも疑うことをしないパターンというのもあります。
それは、世の騙される人々に関して無関心だからです。
自身に害がない限り、他者がどうであろうと関心がない、そうした心情の投影なのです。(魂のステージでいうと利己中心になります。)
今日は少々辛口なことも言わせて頂きますが、
おそらく、精神世界系統に関わっている方の半分はこうした方と思われます。
精神性だの霊性の向上、こうしたものが実際の行動とはかけ離れてしまっており、
単に言葉あそびのような結果になってしまっていると。
世間ではやれアセンションだのと言われてはいますが、残念でありますが、実際の行動がこのようである限り、
巷で騒がれていますアセンションなどはほど遠いと言えます。
なぜならそれには霊性や精神性の向上が必須と考えられるからです。
もし、幾ばくかでもそうした人々や社会の実害に関心があるならば、自分には関係ないとして知らぬふりをすることはありえないのです。
他者の幸福を自身の幸福と同じように考える人、そうした人はその魂の成長のステージを利他といいます。
(この魂の利己や利他の成長度合いに関してはできるだけ近日中に機会を設けて解説したいと思います。)
他人の幸福を心から願う、他人の不幸を心から悲しみ、できるだけそうしたことのないように出来る範囲で進んで努めてゆく。
こうしたことが私達は確かに忘れがちではありますが、とても大切なことなのです。
人としてそうあるべき、というのはもちろんですが、
私たちはこうした、日常生活で当然取り組み、自身のモノとして備えてゆくべき善性の心の姿勢をどんどんふくらませてゆくよう努めてゆかねばならないのです。
こうした霊的でもなんでもない、ありふれた日常のごく自然なものこそが、スピだの霊だのパワーストーンだのなんちゃら有料セミナーだのというものよりも、
尊く大切なモノなのです。
それを自然と振る舞える、自身の魂に備えてゆくこと、こうしたことこそが真に霊性精神性の向上であり、何よりの魂の成長だからです。
(余談になりますが、スピだの有料セミナーで高尚なものを聞きましただの儀式だのスピグッズを買いましただのをしている人より、
そうした他者に関心を寄せ、他者の幸不幸を自身のことごとく思い、行動をする者こそ、神は喜ばれるとは思いませんか?)
今回は、こうしたスピや霊能に関したことを引き合いにしていますので、そうしたものに騙される人の例を挙げているわけですが、
要はそうした人達に無関心であらぬこと。 また、騙す側の挙動を緻密に冷静に観察をし、自分には関わりのないこととして無関心に放置をせぬこと、なのです。
他者に無関心な人というのはですね、インチキや偽も実はあまり見抜けないんですよ。
それは無関心故に、普段の精査の度合いに限界がでてくるからなんです。
多くの精神世界系統に触れています閲覧をされている読者、そしてブログ主さんらで、
他の、偽霊能者に関心のない人達は、関心がない通りに、あまり見抜けていないんです。
そうした鑑識眼、精査、審神には、他者に関心を持つという、
人の幸不幸を自身のごとく喜び泣く、利他の姿勢がどうしても必要になるからです。
私は、まだ誰にも明かしていない、記事に書くのも控えています、
その人の愛の深さ大きさを30秒もあれば十分に測れる、ある方法を知っています。
その測り方は忠実に正確にその人の愛の深さ大きさを知らせてくれるものです。
私はその愛の測り方を人に知らせることはこの先もないかもしれません。
でも、人がそうしたものを知ろうと知るまいと、
実は私たちはいつも、人々に自分の愛の深さ大きさを見せて生活をし、人生を送っているのです。
「測り方」を人々にお教えすることはたしかにこの先もないかもしれませんが、(悪用されますからね。)
でも、愛を深く大きくしてゆく方法なら、沢山お伝えできると思います。
それは、人々に関心を持つこと。
人の幸福を自身のことごとく喜び、人の苦を自身のことごとく涙すること。
2012/6/8 1:21 愛上王
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コメントにて感想歓迎です
- 2012.06.08 Friday
- 言葉
- 01:29
- comments(9)
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- by 愛上王
> 他にも疑うことをしないパターンというのもあります。
> それは、世の騙される人々に関して無関心だからです。
今日ほど心を動かされた記事はありません。
自分も出来うる限り、無関心から行動へ移したいと思います。