神と人間 親と子供 依存と自立

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 心の主人であることの大切さ 4 神と人間 親と子供 依存と自立

精神世界系やスピリチュアルと呼ばれるもの、
また神霊関連や宗教関連など、これらは、大まかに括って精神世界系統と考えていますが、
こうしたものに触れる人々には大別しますと二つに分かれていると考えられます。
それは、自己の中において、自立性が大半を占める人と、依存性が大半を占める人です。

依存性のある人の軸となっていますものは、関わる人々や周囲、環境から、自分に対して何かをしてもらおうとか、
自分に益があれといった人となります。
これはどちらかと言えば、自助努力を省ける形で自身が得することや恩恵を受けようといった傾向の強い人と言えます。
「依存性の中に潜む根底には利己性といったものがあり、人々に対する依存性があまりに強くなりますと、極端な利己主義になってしまいます。」


しかし私たちを見守るであろう、高級神霊は、人間関係に例えれば成長を望む親と子のような関係であり、
人間が保護者に頼ってばかりでいつまでも自立しないのを望むはずがありません。
神は依存をしてばかりの人をヨシとはしないのです。
もし自立性がなければ人の成長は望めないからです。
これらは、いつまでも手のかかる子供のままでよいと思う親がいないのと同じことなのです。





数日前でしたが、職場で泥棒がありました。
職場は建設関係でして、職人さんや作業員さんらが大勢詰めています。
休憩所でありますプレハブには、この時期は熱中症対策の一環としまして、
水分や塩分補給の為の業務用スポーツドリンクの10L用の粉末が箱で置いてあります。
12時の食事休憩に入る寸前、箱には9個と使いかけが1個、確かにそこにありました。(普段頻繁に盗まれているので常にチェックしているのです。)
私は食事に行き、帰ってきましたのが12時30分。
箱を覗いてみましたら4つ消えていました。
たった30分ほどの間に、その休憩所で休んだり弁当を食べていた作業員の手により盗まれたのでした。
(挙動の不自然なおかしさゆえ、犯人は分かってはいます。)

ここで例に挙げています、泥棒という行為も、利己性や他に対する依存性の表れなわけですが、
依存性の強い人は楽して自身に益アレという、こうした傾向が強まってしまうと分別や理性がなくなり、(注1へ
モラルを欠いてしまうこともめずらしくありません。
悪行や悪しき因果の根底にあるものはこうした利己性にあるのです。

(泥棒をした作業員は複数で、盗んだものを数人で分け合ったようですが、その人らはもうこの職場には二度と来れませんし、
雇い主であるその作業員の会社もその人たちを信用することはもう二度とないでしょう。
彼らは自分自身で自分を貶めているのです。
たった数百円程度のものを盗むことにより、自身の信用はもちろん、自身の心を貶めているのです。
利己性なり依存性の強い人はこうして自身自らが自分を貶めてしまうのです。


利己性や、強度の依存性はモラルの低下や悪行につながることが多く、
自身の魂の品格とも、魂の位階とも言えますものが汚れてしまいます。
要はそれら悪しき行い、悪しき因果により、それらの行為にふさわしい位置に魂は縛られてしまうということです。
泥棒をするような人が死後に天国に行けるとは誰も思わないでしょうし、
普段の人間関係や周囲の人々、交友関係も自身に近い、ふさわしいものになりますし、境遇もふさわしいものになります。
自身の心や行いが因となり、結果引き寄せるものが果となるわけですが、
これは言い換えれば、私たちの心や行動が私たち自身の境遇を作っているのです。
私たちの幸不幸を作っているのは自分自身なのです。(注2へ

もし、私たちが利己性や依存性からできるだけ脱却をし、もし、生きる上での基本的な軸を「利他性」を主体としたなら、
私たちは自分自身で自分の境遇を高めることになります。
自身の幸福と利他性は密接な関係であり、それはそのまま直結をしているからです。
与える人は人々からも与えられる人となるからです。
奪う人は、実は自分自身で自分から欲しいもの求めるものを奪っている図式なのを気づけない人なのです。


2002/1/11に、「上を向いて歩こう」内に記しました、「利己利他4分類」を以下に挙げておきます。(より正確には利己利他6分類でも7分類でもあるのですが。)
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 【 利己利他4分類 】

 以下の大まかに分類した4つは人の利他利己の傾向です。

「利己中心」 自分がよければ他人に苦痛をもたらすことにためらいのない段階。
心と行動をもって、求めた愛と幸福が身にやって来ず、かえって苦痛と不幸が身にやってくる事が多い人はこの利己心で行動することが常の人。
■ 利己心で行動する者を当然と捉え、得る為には人より一層利己的であるべきと考える。

次の段階である「利己利他混在」への移行期は身近な人たちへの善は行える。
(注、これらの多くは自己の利益に結びついている事が多い。 )

「利己利他混在」 因果を知り、苦を味わいたくないから人に苦を与えないとし、
善を人に与えてそれらが自分に還ることを求める段階。(注、これらは次の段階に進む為にも必要不可欠。)
この段階では人の身を案じて苦を与えず善を与えようというのではなく、自分に苦が還らず善が還る事を期待して行うという利己部分はあるが、
善を行い、楽が自己に還ることを身を以て知るという学習期間とも云えるもので、次の段階に移行するためにこれらを繰り返す必要性はあります。
■ 利己心で行動する者を幼き者として捉え、軽蔑心が芽生える事もある。

次の段階である「利他」への移行期は幸福状態、
楽が自己に還るのが恒常状態であるので利己部分による動機は必要性が薄れてゆき、学習したものを自然と振る舞える段階。

「利他 (愛)」 前段階で苦を味わいたくないから人に苦を与えないという利己部分がなくなり、
誰もが自分と同じように幸福であるようにと考えて行うようになる。 これは他人を尊重するという段階。
この世に他人は一人もいないのだとおぼろげながら知りつつある段階でもある。
■ 利己心で行動する者を途上における過程者と捉えようとし、軽蔑心は自己を振り返る事により芽生えない。

「合一 もしくは別無 (純粋愛)」 前段階で自分と同じように他者の幸福を行ってきた者はついには自己も他も同じと観る、区別がない。
区別がないので利他とは云わず。
一切の心と行動はすべては人に向けると同時に自分に向けているのと変わりないことを完全に知った状態。
■ 自他の区別がなくなり、自分という執着がないので物欲すらもない。

 私達はあまりに自分の価値観とかけ離れている場合にはそれらを理解することができません、
おぼろげながらも理解できるものは隣接しているすぐ上のものまでになります。
「利己中心」が常の者にとって「利他」の概念は理解を超えていますが、
それが自分の為に行うという「利己中心」に通じるものが含まれる「利己利他混在」は理解しやすく受け容れやすいのです。
同じように「利己利他混在」のステージでは自己も他者も同一という捉え方をする「別無」のステージを理解できません、
自己と他が分離存在した形で因果を行使してゆくと考えるからで、
自分という利己部分が消えてゆきはじめる「利他」のステージになって初めてそれらを徐々に理解し始めるようになります。


 人は利己利他混在までの段階においては、錯覚からくる代替えによる満足や幸福を味わおうとし続けてしまいがちで、
私たちが本来真に求めている確固とした幸福状態に移行してゆこうとすることがなかなかできません。
決して心から望む満足ではない事を私たちは薄々気づいてはいます、
しかしそれらを手放して真に望む幸福、満足が得られるかどうかに根拠のない一抹の不安があると云ってもいい、
ぬるま湯のお風呂に浸かりながら、もっと暖かい湯で満足を得ようと求めつつ、あきらめてしまっていると云えよう。
これは利己利他混在や利他の段階の必要性といったものに目を向けようとできなくなってしまっている状態と言ってよく、
これらの状態は前述しましたが、利己心の特徴として目先の事にばかり関心を寄せてしまうというその傾向は、
表象上のもっともらしく自分を安逸とさせる都合よい理由ばかり探そうとしている事が起因しています。
この状態にいる事がいわゆる精神的に視野が狭くなってしまっている状態と云えるのです。

■ 日常の価値観や判断基準は慣れ親しんだ結果である固執の場合が多く、
それらは他に意識を向けないままでいる事が起因している錯覚の場合が往々にしてあります。


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注1、依存性の強い人は楽して自身に益アレという意識がありますが、これは自助努力を省きたがるそれです。
この場合の自助努力は、「自身で働き得た、正当な報酬により買い求める」というものですが、これを省きたがるということです。


注2、私は1996年より数年に渡り、「上を向いて歩こう」という愛を軸としたものを書いてまいりましたが、
その中から派生した形で時折ブログでも書いています、「引き寄せ」に関しますもの、こうしたものも愛が重要な軸を占めています。

関連記事
ひとやすみ 世界に溢れる愛という名の血液  http://firstdoor.jugem.jp/?eid=372

今回の記事はまとめきれていませんが、時間が取れた時にまとめたいと思います。
2012/10/1 0:42 愛上王

 私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、
どうぞよろしくお願いをします。

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コメントにて感想歓迎です




愛上王さん、お帰りなさい!^^/
心配してましたよ。グロッキーになってるんじゃないかとか、もしや入院?とか何とか(笑)
でもやはり筋の通った記事を読むと健在だと安心しました。良かった。

私は相変わらず翻弄されておりますが、あと少しのような気がします。神様ってエライ!ですね♪
何もかもお見通し。
これは皆様に当てはまることだと思いますのん。
その存在を知れば平伏して両の手の平を挙げて降参してしまいます。必ずです。神の目、仏の目、これから逃げおおせる輩はいない。


愛上王さんの復活を祝って久し振りの書き込み♪
身体がキツければお返事はいいでっすよ。^^v
| coomi | 2012/10/02 00:57 |
夜が長くなってきました。
虫の声を聞きながら考え事をするのに、調度良い季節ですね。
とはいえ、まだ昼間はちょっと動くと汗があふれてくるような暑さです。

うちの近所では道路工事を毎日どこかでやっているので回り道になることが多いですが、こうやって暑い中補修してくださる方たちのおかげで普通の生活が保たれているのだなあと思います。
利己中の人は、自分が損することだけに敏感で、見えないところで助けてくれている人まで考えが及ばないような気がします。
自分も利己中なところが多いのであまり人のことは言えませんが…。

愛上王さんの望む速度で、進んで行かれますように。^^
| げたんは | 2012/10/02 15:04 |
coomiさんこんばんは、ご無沙汰してました毎度です。
ようやく復帰なんですが、
ややバテですかね、帰宅後、今の今までグッスリ寝ていました。

で、あの方の件ですね?
今どんな様子なんでしょうね?
チェックしてないのでさっぱりですけど、
名指しは避けた上で、思い切ってこれまでの顛末を明かしちゃってもいいような気もしますけどね。



げたんはさんこんばんは、毎度です。
まだまだ暑い日がありますね、
昨日一昨日も職場は30度超えてましたわ。

そうですね、皆互いに支えあって生きているのだと思います。
そうしたことを忘れずに、これからも感謝して生きていきたいと思います。
| 愛上王 | 2012/10/03 01:32 |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2012/10/03 01:43 |
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| - | 2012/10/06 04:56 |
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| - | 2012/10/06 11:02 |
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| - | 2012/10/19 05:29 |
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| - | 2012/10/19 05:36 |
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| - | 2012/10/19 09:59 |
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| - | 2012/10/29 12:16 |
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| - | 2012/11/16 04:19 |
りこさんこんばんは、お初です。

その方の宣伝になりかねないのと、
表向きここではお話できない訳もあってコメントは非公開にしておきます。
ですが、色々あった経緯はぜひお聞きしたいですので、
よろしければコメント欄にてメアドをお願いします。
| 愛上王 | 2012/12/04 22:03 |