公開お返事や普段言えない話
公開お返事や普段言えない話
今日は頂いたコメントへ公開お返事です。
○○さんこんばんは、毎度です。
ぶりかえし? そんなことないですよ。
そもそも終了してないじゃないですか。
被害者抑制は当ブログのコンテンツの一つですからね。
あの方の、「神のメッセージ」かのような文が、実は創作である目立つしるしがいくつも出てきた以上、
終わることはありませんし。
話は脇にずれますが、あの方の決意表明というのはですね、
信者さんもその「決意」に右に倣えというメッセージでもあるんですよ。
単に私のブログを読みに行くなと言うよりも、「決意」として自身が読みに行かないのだから、
あなたたちも特に何も言わなくともわかるでしょう? といったような響きが込められているよう感じます。
するとどうでしょう? 創作のしるしが具体的に指摘されている記事とか、目を通す人は着実に減らせると。
そしてまた、自分は終了宣言してるのに あの人はまだやってるよとも言えてしまえると。
相手を悪印象で染めるのもしやすいのではなかろうかと思います。
とまあ色々と、こうして観察をしてみますと、そうした面では知恵が回るというか、賢いのかもしれませんね。
ボロさえ出しまくらなければ、ちょっかいを出されさえしなければ、私は忙しいのもありましたし、
いつまでも気づかなかっただろうにと思います。
さて話を戻しまして、
画面の右の方と言うと、「上を向いて歩こう」の一部抜粋記事ですね。
そのうちまた他のものも再公開するかもしれません。
もっとも、あの原稿群はですね、書いてはすぐにサイト上でどなたにも読めるようにかなり長い年月の間公開してきていましたが、
元々は書籍化を計画しているものなんですよ。
出版社への企画の持ち込みを怠って、またもや数年が経ってしまいましたが、(校正し直しが遅れているからですが。)
校正をしてまた持ち込みをしてみようかと考えています。
まあもしくはですね、今のこの時代ですから、いきなり紙媒体でなく、はじめは電子書籍でもいいかもしれませんね。
幾ばくかでもそれが収入になったならですが、
働けない体の人たちとか、生活に困ってる人とかが食べてゆけるような、そんな施設を作りたいとずっと考えてきました。
するとどうしても畑や田んぼだって必要になるでしょうし、
そのためにもどうしてもお金は必要になるだろうと考えています。
書き始めた当初から数えると、書籍化を考えはじめて既に17年もの歳月が経ってしまいましたが。
できたらですね、寄付金などでなく、できるだけ自分で稼いでそこから始めたいと思ってきたのですよ。
なので私は一部の人たちには勘違いされているかもしれませんけど、商売そのものを否定してる人間ではないんですよ。
とは言え、スピグッズのようなもので商売するつもりはもちろんありません。
「ちいさな一歩」の方で展開してゆく予定の、霊性や精神性向上の無料セミナーはですね、
これは私が日頃書いてきた「上を向いて歩こう」がベースになると思います。
基本的にもちろん無料ですが、何かの媒体化する時には、またまったく別の機会になろうかと思いますけど、
その時は書籍化などもありえるかもしれないですね。
しかしまあ、「ちいさな一歩」にご参加される方には無料で読めるようにしてゆきます。
内容は当ブログで一部触れています霊性や精神性といった魂の向上を目指したものになります。
しかし普段記事やら何やら校正もしなくちゃいけないとか、色々ありすぎて中々書き進まないのですがね。
このおおよその内容については時間が取れたときにでもおおまかにまとめてみたいと思います。
さて、その働けない人たちや生活の苦しい人たちへの支援をしてゆく施設作りですが、
以前からこうした畑やら田んぼやらが必要となるものを作りたくて仕方がありませんでした。
このあたりのことは10年以上前から、古くからの私の日記サイトで時折書いてもきましたし、
このブログでもその部分転載はしてきています。 (記事、「ことはじめと展望」http://firstdoor.jugem.jp/?eid=155 )
しかし私はもしかしたら意固地になりすぎていたのかもしれません。
どうしても自分が汗水垂らして得た金銭で始めたいという風に。
とは言え、だから寄付金を集めようと初っ端から考えてはいけないんです。
いけないんですよ!
もしできるなら、はじめはゆるやかであろうと自分で稼いだ金がいいと。
人に出してくれと言うのは簡単です。
何しろそれは「クチだけ」なわけですから。
私は以前に小さいながらも商売をしていたことがありましたが、
職がなく、住まいもなく、着の身着のままの年配のちょいワル風なおじさんに
色々なことをせがまれたことがありました。
その方は私に向かってなんべんも「信用してくれ!」
こればかりしか言わないわけです。
部屋を用意し、二ヶ月位は生活できる程度の金銭もまわしました。
でもですよ、口だけで信用してくれと言う人はやはり信用のおけない人でしたね。
もちろん私は感謝をされたくてしたわけではありませんでしたが、
感謝どころか平然と裏切る人でしたね。
この時はいい勉強になったわけでしたが。
なので口先で信用させたがる人はそういうクセがついており、
中々実行動で信頼を得ようとはしませんし、
むしろ口先で信用をしてくれるのならうまく騙してしまおうくらいの人たちも多いと普段感じています。
以前、営業マンをしてたころ、同僚たちとあちこち営業にゆきました。
その時車内で街角の募金活動の話題があがったことがありました。
その時は募金の中でも、あの、恵まれない人たちへと称した、募金箱を手にして迫って来るあの方たちの話題でしたが、
あの方たちは、集めた募金でその日の自分たちの食事をまかなっているらしいと同僚が話してくれました、
まあいったいそれがどれだけ信憑性のある話なのかは不明ではありますがね。
しかしですよ、もし本当にその恵まれない人たちへ届くのではなく、
自分たち募金活動をしている人たちの食事代で消えてしまうのなら、
皆さんならどう思われます?
いやいや、そうした募金活動をする人たちがいるからこそ、
募金も集まるのだし、食事代はそこからであって当然ではないかと思われる方もいっぱいおられるかもしれませんね。
確かにそれも有意義なのだろうとは思います。
でも募金で集めたお金って、要するに寄付金なんですよ?
もし本当に誰か恵まれない人達の為に役立ちたい、そういう想いから募金活動をしているのなら、
なぜまずは自分たちが汗水垂らして得た金銭で役立てようとはしないのか。
せっかく集まった寄付金を目減りさせていいものなのか?
もし本当に善意からの行動であるなら、集めた寄付金を食事代に充ててはいけないだろうと。
そういう議論が車内で同僚たちとの間であったのでした。
この時のことはもう随分と経ちますけれど、
この時の記憶が今でも私の中にあるんですね。
なので何か善意で始めるものであっても、それが何か人々のお役に立てるものであれ、
自分が稼いだ金銭から始めたいと強く思うわけなんですね。
しかしじゃあ寄付金が不正なのかとか悪なのかと言えばそうじゃないわけです。
こうした問題っていうのは本当に難しいのだと思います。
誰か善意の人達の好意を裏切る真似をしてしまう人そうじゃない人、
世の中には色んな人が沢山いるわけですよ。
しかしやはり私は、
なぜまずは自分が汗水垂らして得た金銭で役立てようとはしないのか。
こういう気持ちが強すぎたのはあるかもしれません。
自分が書いてきたものを書籍化するのは中々大変です。
何かしら収入手段を考えたいと思います。
しかしここでフト思うわけです。
こんな記事をあげてしまうと、
スピだの霊能だのと言ってる人たちが寄付金詐欺でもしたがるのではないかと。
人の話を聞いてなんでも真似をしたがる方というのはいるものですからね。
さて、そんなこんなでありまして、
原稿の校正もしてゆかなくちゃ書籍化だってできません。
私が以前と比べて記事をあげてゆくペースがこうして落ちていますのは
そうしたことへの時間を充ててゆくためでもあるんです。
ですので記事更新に間が空くこともあるかもしれませんが、
皆様なにとぞ宜しくお願いします。
今日は他にも普段は言えない話と称して記事を書いたものがあるんですが、
それは明日以降にでもUPしますね。
私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、 どうぞよろしくお願いをします。 「ちいさな一歩」特設サイトはこちらをクリック |
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JUGEMテーマ:スピリチュアル
- 2013.02.01 Friday
- 霊能 観察日記
- 23:57
- comments(5)
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- by 愛上王
tearsと平気で書くような人って(笑)
ちなみに私、高卒です
誰が困ってるのかってなれば、誰しも困っているのだけれど、明日の生活をも知れない方優先は賛成です。
皆様、お休みなさいませ