書籍化を計画しています「上を向いて歩こう」の一部紹介
宙船
今回は書籍化を計画しています「上を向いて歩こう」の一部紹介です。
執筆を始めましたのは1996年5月頃からで、書き終えたました2003年6月までの7年間。
そこから更に今年2013年までの合わせて17年間。
書きかけの2002年や、書き終えた2003年、そして2008年にも、幾度か出版社に企画の持ち込みをしてはみましたが、
あるちょっとした困難もありまして、すっかり月日は流れてしまいました。 (「編集さんの、そそのかし」を参照のこと。)
この間、何もしてこなかったわけではありませんでしたが、
日々の生活のため仕事に追われ、中々書籍化を進める時間も取れないままに流されてしまいがちでした。
それはまるで、目的地があるのに浮かんだまま、日々の雑多な風や波に流されてしまいがちな、一隻の船のようでした。
しかしこれからは、流されるよりも目的地に向かって漕ぐ力に集中してまいります。
今回は「立ち読み」としまして、
2003年までの間に書き綴ってきました「上を向いて歩こう」の紹介をかねまして、
ごく一部ですが内容を抜粋します。
「上を向いて歩こう」は、愛から生まれるすべての幸福を、誰もが得られるようにと願いを込めています。
著作権は 愛上王 に帰属します
転載や引用、再配布は固くお断りします
転載や引用、再配布は固くお断りします
Copyright (C) 1996-2003 愛上王 All right
reserved
lovenet@tky.3web.ne.jp
人は自分に自信がなくても変われます、
あなたには沢山の眠ったままになっている、
人から愛されるものがいっぱいあるんです。
もう一度言います 、 しかとこの言葉を胸に刻みつけてください
あなたには沢山の眠ったままになっている 人から愛されるものがいっぱいあるんです |
門を叩けば開かれるでしょう どうぞ扉の中にお入りください 私があなたを迎えます |
【 はじめに 幸福を引き寄せる愛という生き方 】
本書はインターネット上で1996年より7年間に渡り、男女間のヒューマンリレーションを題材として書き進めてきました。
第一部では、愛をみつめて、それを実際に私達の生活の中で活かしてゆこうとするものです、
これらは現実に異性と縁を作るといったものがおもになります。
第二部からは男女間の愛をさらに確かなものとさせ、あらゆる人間関係において互いを幸せとする二つの二大要素、
異性の愛情はもちろん、日常の様々なできごとに活かせる「原因と結果の法則である因果」と、
物事すべてを「愛に繋げて活かしてゆく正見」を主にしてあります。
この「原因と結果の法則である因果」と、すべてを愛と幸福につなげて活かしてゆく「正見」は、
私たちが住むこの現実世界での実際的で物理的な人生上の幸福、
それは出世であったり起業して成功するといった金銭面にも実は多大な影響を与えているのです。
愛する異性や大勢の人々と円滑にさせ、日常で幸福を招く愛は、実はそれら人生上の成功に密接な繋がりを持っていて、
様々な分野において頭角を顕わし、成功してゆく人々は、実は愛が強く大きいという事実があるのです。
無論愛がなくとも一見は成功している人々も世にはいます、ですがそれはいつ壊れるかわからない儚いもので、
それら成功を死守せんが為に常に心穏やかとは言えないのが多くの現状と思います、
しかし人々に愛をもって日常を送るのを常とした場合は、それらは強固で確かな愛と揺るぎない人生上の成功を人に与えるのです。
心に愛を常として愛する異性を求め、様々な人生上の成功を掴む方が、愛なく奮闘してそれら人生上の成功を求めるよりそれは断然確実なのです。
これら愛による成功と幸福は愛が強く大きな人ほどそれは確かなものになります、詳しくは本書紙面にゆずりますが、
幸福や成功、至上の異性を得るといったすべてのものは、その人の持つ愛の強さ大きさに応じて相応しくすべてを与えているのです。
これは天にまします神でも偶然による運でもなんでもありません、その人の中にある愛がその人にすべてを与えているのです、
愛から離れた心と行動で掴んだ成功や幸福は、それら愛なく掴んだものに相応しくかならず愛に反した棘がその中に内在しています。
私達が求める愛と幸福、成功を与えるのはすべてが愛。 それらすべてを与えてくれる愛を大きくしてゆくプロセスを本書は明快にしてゆきます。
ある人は本書を手にしたのは異性から愛されることだけを目的としているかもしれません、
金銭や地位、名誉、これら一般に指す成功と呼ばれるものには興味がないと言われる方もいるかもしれません、
それであっても人々を愛して生きるほうが断然その人を幸せにします、愛の大きな人はそれだけ幸せな人生を生きているのです。
誰でも自分をいっそう幸せとする愛を大きくしてゆくことができ、人を愛してますます得とはなっても、誰も損をする事はないのです。
本書はこれを読まれる人、一人ひとりが実際に愛と幸せを掴めるようにと書き進めてきましたが、
しかしもしもただ読んでおしまいにしてしまうなら誰もが願ってやまない愛と幸せは掴めないかもしれません、
では読者であるあなたが現実に愛と幸福を掴むにはどうしたらよいでしょうか?
それは本書の中に出てくる法則をそのまま生活の中で実際に生かしてゆくだけのことなのです。
なにも難しい事はありません、それは立って歩くのと同じくらいやさしい事なのです、
愛や幸福は、本書を読まれた方が実際に自分で掴むものです、
誰も人の代わりに歩くことはできません、
ですが欲しいものは本当は手を伸ばせばすぐ届くものばかりなのです、
人は、座り込んだままでいる時は、私たちが夢見る望むもののどれもがどこか遠い果てにでもあるような、到底掴めそうもないものようについ感じがちですが、
でも本当は、もし人が立って歩くなら、誰でもそこに到達し、すぐにでも望むものを掴むことができるものなのです。
だから私はあなたに、座り込んだままでは掴めないものを、
立って歩いて掴めと言おう。
そして、これはとても大切なことですが、
立って歩くのはあまりにも簡単だということ。
私たちが住むこの世界は、人がもしそれを知り、活かしてゆくなら、私たち人間誰しもが必ず幸せとなるように神が定めた不変の法則があるのです。
誰にでも活かせるその法則の正体は本書紙面にゆずります、
どうぞ本書を読み進め、愛と幸福に包まれた人生を掴んで下さい。
『 1章 欲求を刺激する 』
【 欲求 】
今あなたの前には一人の子供がいます、そしてあなたはいちごをたくさん隠しもっています。
子供は生まれて初めていちごを食べるとしましょう、
あなたはいちごを少しだけ食べさせる事もできるし、たくさん食べさせる事もできます、
子供はいちごを初めて食べて感激するかもしれません。
そこで大切なのは、「もっと食べたい」と欲求を持たせた時に、
いちごをあげるのをやめる事なんです。
もっと与える事ができる事を実は悟られないために隠しておいたのです。
もっと食べたいと思うからこそいちごは子供の大好きなものになる。
そのような経験を覚えているからこそ、その子供に1年経った時にいちごは好きかと聞けば、
大好きと答えるのです。
これはぜひ何回でも読み返してください、
きっと読むたびに新たな発見があると思います、そしてそれは今後読み進めるものも同じです、
文章や知識といったものは、一度二度読んだだけでは頭では理解しても体が覚えないものだからです、
人間は自分自身が心底無意識に理解しているものだけを自然と表現して生きていますが、
言いかえれば真に理解していないものは人間誰しも表現はできないものなのです、
人は生活し、成長していく中で様々な事を自然と学び、吸収し、それに基づいて行動をしているものなのです。
【 ひとやすみ 著者のつぶやき 】
最近、このコーナーの反響がとても良く、嬉しいのですが、(書籍になる以前に公開していたインターネット上の事。)
女性の読者が多いので言葉尻も女性軽視にならないようにと気を使いながら書き進めているんです、
そうするとどうにも書き進まなくなって困る事も度々なんですね。
女性の職業別による意識の違いといった、彼女らの男性への触れ方接し方などにも触れてゆこうと考えてはいるのですが、
これらは私の偏見にとられやすい心配もあります。
元々私は文章が苦手なんですよ、読んでいても意味が解りづらい所があったりするかもしれません。
執筆している自分自身、伝えたい事が空回りになってしまっているのではないかと疑う事もあるのです。
反対に通常の表現とは別に、伝えたい事を微妙に言葉を変えて書いてる箇所もあります。
ある場所では努力という言葉を他の表現に置き換えてみたのです。
努力、これって嫌いな人が多いんですよね、
何かを為さなければ何も結果はでてこないわけなんですが。
ですが楽してうまくいく事を考えておられる方が社会にはいる事も事実、
すると私は言葉尻を変えて読んで頂いて、
言葉はよくないですが、その方達をうまくだましながら努力していただこうと考えてしまうわけなんです。
インターネットでこのコーナーを初めて見つけて読んでみようと思われた方の中にはさぞうまい事
異性を騙してお気楽極楽なテクが書かれているかと期待された方もいるでしょう、(旧タイトル、男の恋愛講座)
その人達には残念ながらこのコーナーは向いていないのかもしれません、
お説教をさせて頂くわけでもありません、ですが、何かを成していく事は楽しい事だと私は思うんですよ、
努力とは忍耐や辛抱といった辛い事ばかりなんだとはどうか考えないで頂きたいものです。
今後、それが明日かもしれませんし5年後、もしくは晩年になるやもしれませんが、
必ずやあなたのメリットになることでしょう。
本書を書いてゆこうと考えた私の趣旨は、たくさんの方々から愛され、頼られ、尊敬されるような人に一人でも多くの方がなりたい、
なれるんだと自信を持って頂き、事実そのような人になってもらおうというものなんです。
かっこいい事ばかりを書いてしまって、どことなくバツの悪い思いではありますが、
このような声も聞こえてきそうですね、
ではおまえは誰からも愛され、頼られ、尊敬される人間なのか?
いいえ、違います。
いまだになりたい人間になれていません、
なりたい人物に成れていないからこそ、そのような人間に成りたいんです。
私達はいつか消えてゆく、
あなたは出会った人達と今生最後の別れをする時に、惜しまれ、感謝され、
いつまでもその人の心に愛情の灯火が残るような、そんな人間に成りたいと思いませんか?
あなたと出会った人達は、あなたをも観て成長していく、
あなたと出会った人達は、あなたという人間の素晴らしいものを自然と呑み込んで成熟していく、
あなたに愛する人がいるならば、そしてあなたが出会う人達に、
あなたにしか出来ない、あなたが残してあげる事のできるものをどうか沢山プレゼントしてください。
【 射程距離を縮める方法 話しかける 】
射程距離の概念はおおよそおわかり頂いたと思います、ここでは実際に恋しい異性との距離を縮めてゆき、
相手にとって射程距離の中でもっとも近くに寄る具体的な縁の作り方を進めてゆきます。
日常で異性と縁の薄い人というのは、実は「話しかける」事が少ない人なのです。
男性も女性も実のところ見た目が大きなウエイトを占めているのだと一般には考えられがちですが、
実はそうではありません。
とにかく話しかけることです、ではなぜ話しかけるのか?
「相手にとっても日常の中であなたに話しかけるのが自然になるように。」なんです。
ここではある人の体験談をわかりやすくまとめたもので話を進めましょう。
たとえば夜の繁華街には女性がお客様であるホストクラブがありますが、
指名客の多いNO1やNO2はハンサムばかりなのかといえば決してそうではないのです。
東京は新宿に、今は亡き「夜の帝王」というホストクラブがありました、新宿の「愛本店」と並び二大ホストクラブと称されたこの店で、
NO1だったホストにMさんと呼ばれる方がおりました。 この方、お世辞にもハンサムとは云えません、
どちらかと云えば三枚目と云えるでしょう、ですがNO1だったのです。
それは、この人は誰にでも話しかけるからなんです。 この方が「夜帝」を辞め、後に移店した店で私も働いていました、
ある時、同じテーブルに同席していたときの事ですが、このマグさんは自分の指名客に大変に興味深い事を訊いたのを覚えています。
自分の常連指名客に向かって、なぜおまえは俺を指名したのだと。
その女性の答えはこうでした、「あなたなら私をかまってくれると思った。」
この女性客はおよそ見た目は40歳前後であり、他のホストはかまってくれないのではないかという自己卑下が実は心の奥底にあったやもしれません、
ですが実際は、「この人と居ると楽しいのだと心の奥底で感じ取ったから指名をする」のです。
実際はハンサムなホストは店内にいくらもいます、彼らはでは、その美形に比例して指名が獲得できているかというとそうではないのです。
客層は10代から50代と、様々ではありますが、どれも誰もが一緒に居て楽しいかで指名を選んでいると云っても言い過ぎではありません。
相手にとっての楽しさは美形かどうかではなく話しかけてくれるか否かなんです。
もちろんホストも仕事ですから、指名を獲得しようと奮闘はするわけです、
しかしお客は美形かどうか、ハンサムかどうかで指名するかしないかを決めるのではなく、
お互いが不自然にならずにすんなりと対話が保てる、「もたれかかりやすい話やすい人を選ぶ」のです。
これには理由があります、「話しかけてくるからこそ相手にとっても話しかけやすいのです。」
だからとにかく話しかける人がいい。 話しかける事は相手にも話を自然しやすくさせる、自分の話したい事もこの人は熱心に聴いてくれると。
「話しかけるとは、いわば一方的に言葉を向けて場を独占することではなく、相手の話したい事を引きだす為にあります。」
少し大げさな表現になるかもしれませんが、話かける習慣のある人は話し上手のようでいて実は「聞き上手」なのです。
「聞き上手な人は一緒にいて楽しいのです、だからこういう人は男性女性の別なく必ずモテます。」
そしてもうひとつ、この一緒にいて楽しい聞き上手な人というのは、「特に表だった特徴があります」、
それは自分のお気に入りな一部の人たちに話しかけるというのではなく、
それはもう誰にでもわけへだてなく、嫌いな人にさえ同じように話しかけるのです。
実際はこういう聞き上手な話しかける人というのは嫌いな人を作りません、嫌いになる必要がないことを知っているのです、
「誰とでも話しかけ、互いに話がはずむ、すると自然人を嫌いになる必要がないのです。」
こういう人は周囲の目で見ても自分に気があるから自分にばかり話しかけてくるのだと警戒をされません、
それがその人の自然体、良い意味での人柄と受け止められるのです。
さらにもうひとつ、
この誰とでもわけへだてのない人というのは、互いに話をしていない、他の人と楽しく話をしている様子を眺めている時にすら魅力を感じます、
私達は心の奥底でその人をモテる人と認め、そして自分も好意を寄せている人なのだと奥底で感じるのです。
これが人を惹きつけてやまない、その人からにじみ出る魅力というものなのです。
■ 話しかける、それは相手に話しをさせるきっかけをつくる聞き上手でもあるのです。
■ 聞き上手な人は一緒に居て楽しい。 これはハンサムや美形にも勝ります。
■ 聞き上手な人は相手との射程距離を縮める事ができ、とても親密になります。
■ きらいな人はつくらない。 一部の人ばかりと仲の良い人は人から警戒されます、
これは自分は相手にされない部類に選別されるのではないかと心配をさせているのです。
いわば警戒心という壁を知らぬまに相手に作らせてしまう種となります。
【 愛されるとは私達が人を愛すること 】
ここで一旦、これまで本書を読まれてきたあなたにひとつ問いかけをしたいと思います。
あなたは愛されたいですか。
心底あなたの為にどんなことが起きようともあなたを愛する人と出会い、結ばれたいですか?
あなたの身体にどのような事が起きようとも、
あなたの環境にどのような事が起きようとも、
信頼し、わかりあい、何事も分かちあう事のできる人と出会い結ばれたいですか?
私は今あなたに問いかけをしたのです、
ここでいったん目を閉じてしばらくこの事を考えてみてください。
そしてこの問いかけに対して答えが出たならばふたたび目を開けて読み進めてください。
あなたはこの問いかけに答えが出ましたね。
それを声にして今つぶやいてください。
あなたの今のつぶやきは、あなたの決心です。
あなたは何かを望むなら決心せねばなりません、
「私達は成りたいと心に描いた人間になるように実はなっているんです。」
今のあなたとはあなたの心の産物、こうである、このような人物であるとみずから理解し、
その通りに信じた結果なのです。
あなたは今、信じた通りの人間であるわけなのです。
あなたが生まれてから今まで、あなたにとても強い愛をもってあなたを見守ってこられた方は
あなたの御両親ですよね、
(あなたが物心つく頃にはあなたに愛情を示さないように見える場合もままあるかもしれませんが。)
中には今現在、親子喧嘩の毎日を送られている人もいるかもしれません、ですが、あなたが生まれ、幼き頃から徐々に成長していく中で、
あなたの御両親はあなたに幸せになってもらいたい一心の気持ちであなたのお世話をしてきました。
あなたが幼い頃、決して裕福ではなくとも、あなたを連れてあなたを喜ばせたい一心で、
あなたをどこかに連れていってくれた事もあるでしょう。
そんな私達はどれほど親の愛情に応えてこれた事でしょう?
朝昼晩と食事を作ってもらいながらもそれを当たり前のように思い、時には嘘をつく。
あなたが生まれた時からずっと今まで無償の愛をあなたに捧げてきた唯一無二の人に。
成長していく中でもっとも大切にしてゆくべき両親にすら私達は愛を示す事を怠りがちで、
頭では理解していながらも中々優しく敬う事が出来ない私達。
そんな私達が誰かと出会い、お互いに信じあい、絶対の愛をもって固く結ばれ、
この先何十年も互いの愛が変わらない結び付きを掴めるはずがない。
そう、確かに今は結ばれるはずもありません、今の私達のままでは。
今の私たちには、今の自分にふさわしい縁や生活があるのです。
私達の両親は私達が幼い頃、私達が一人前になった時に、
幼い頃と同じ様に仲良くいられるようにと心から願っていました。
私達は今、成長し、ある人は社会人として働き、金銭的には恵まれるように配慮はしておられる方もおられるでしょう、
またある人はいまだ学校生活をされてるかもしれませんが、
どのような生活をされていようとも今再び私達は両親に深く感謝し、
愛すると言う事を再び心の中に置いて欲しいと強く思います。
一度御両親を連れてどこかお買い物にでも行かれたらいかがでしょうか?
いつも自分の欲しい物よりもあなたの物ばかり買われておられた御両親に、
あなたのお小遣いで何かプレゼントしてあげてください、きっと喜んでもらえますから。
喜んでもらえたらきっとその時あなたも嬉しい事でしょう。(*)
私達が誰かに愛されるとは、他ならぬ私達が人を愛するということなんです。
あなたが人を愛するなら、あなたはいやでも人から愛される。
あなたがその様な人ならば、その様な出会いと、結び付き、人生がある。
私達が人を愛さなければ愛されるはずもないのです。
あなたが相手に絶対の愛をもって寄り添う決心をするならば、
そのあなたの決心に相応しい出会いがあなたを待っています。
あなたが愛に溢れた人であるならば悪縁は断ち切れます、相応しい人と出会う為に。
よいですか、強く信じてください、これから先、今日のあなたの決心を。
■ 愛されるとは他ならぬ私達が人を愛するということです。
これは単なる比喩ではありません、現実の話なのです。
私達が心で描く通りに私達の住む世界は彩られるのです、
あなたがその様な人ならばその様な出会いと、結び付き、人生があり、
あなたが絶対の愛をもって寄り添う決心をするならば
そのあなたの決心に相応しい出会いがあなたを待っています。
(*、ご両親を喜ばせるのに誕生日や父の日や母の日を待つ必要はありません、思い立ったら吉日なのです。
そして、ご両親や人に喜んでもらう事が、あなたが人に放つ愛が人を喜ばせ、その時自分も愛で満たされ嬉しい事をぜひ実感して欲しいのです。)
【 意識 求める人を射止める方法 】
これまでに、人が惹きあうのは同等同質、精神性や指向がいわば類友の者が集まるのだとお話ししました。
同質の者同士は自然と身近に集まり、その交友は自然で異性として見つめても心が通じ合うのは容易です。
さて、では求める人を射止めるにはどうしたらいいでしょうか。
仮に私達が求めている人が心の底から優しい人だとしましょうか、その求める心情は強い欲求となって現実に私達の前にその望んでいた通りの人が現れます。
これは実際にそのような人と出会えるという意味です。
私達は成りたいと想い描いた人物に自然成るのと同じように、(3章の「自分を信じる」「人は成りたい人になれる」を参照。)
環境も人間関係も恋人もすべて、心で想い描いた通りになるのです。
言うなれば、私達は自身で理解し、自身の内奥に事実あるものを求め、またその通りに具象化、現実化していると言えばよいでしょう。
このたとえでは少々解するのが面倒かもしれません、別のたとえでお話しましょう。
私達が出会い求める恋人に、「真底心の優しい人」を求めたとしましょうか、その時、私達は願った通りそういう人と出会えるのです。
これはその優しい人を求めた時に、求めた通りのものがその人の中に実際に芽生え、内在しているものだからなのです。
「優しい人を求めたのなら、その時その人の中にも同じ優しさが芽生えて内在をしています。」
「欲したものはすべて、実はその人の中に必ず内在をしているのです。」
これは一見辻褄が合わないように見える事もしばしばあります、優しい人を求めつつも、求めてやまないその人自身は、
その求める通りの優しいものを有してはいないように見えると。
ハッキリ言ってしまえば冷たくワガママな人のように見えると。 しかし外側に優しさを求めた以上は表だって発揮はしてはおらずともその時必ず内在しています。
優しい人を求めた人は本当は優しい人なのです。
(優しさを内在はしているがそれを人に向けないで自分が欲する一方な状態は後述します「利己利他4分類」に当てはめるならば利己中心になります。
いわば利他の芽を内在させたままでいる利己中心なのです。)
逆説となりますがこうも言えます、たとえば優しくない人がいたとしましょうか、その人は自己の中に内在してはいない優しい部分を人に求めたりは実はしないのです。
これは言葉に語弊があるかもしれません、では仮に冷酷な殺人鬼がいたとしましょうか、彼は外側、いわば人に優しさを求めません、
利己的な従属は人に求めるかもしれませんが優しさを人に求めているわけではないのです。
つまりある人が優しい人を求めたとしたなら、その人は外側に求めた通りのもの、それらの人々を自分に引き寄せるに相応しいモノ、
その優しさを自己の中にもその時必ず小さいながらも「有」しているのです。
あなたが人に優しい人を求めたなら、それらの資質、精神性や指向性は、その時たとえ目立たず小さくともあなたの中にも芽生えているのです。
では真底心の優しい人を求めている人が実際にそのような人と出会えたとしたなら、次はその人の心を射止めて自分の恋人にしたい事でしょうね、
どうしたらよいでしょう?
もし優しい人を求めたなら、実はその人は優しいもの、言い換えれば「引き合うに相応しいもの」、
真底優しい人とつりあう同じ優しさが本当は自分の中にも内在しているのですから、
それらを内在させたままにせずに実際にその求めているもの通りに外側に向ける事なのです。
優しい人を求めたなら優しい人に相応しく、自身が求めてやまない優しいものは人々にも向ける。
求めてやまない恋しい人と釣り合うようにあなたも人に優しくするのです。
ここではわかりやすくたとえるのに優しさを題材にしていますが、精神性や嗜好、志、人生の指向性、知性、これら人に求めたものはすべてがそうです。
もし心惹かれた人が陽気で明るい人なら、自分も同じように振るまい同じように明るく快活になるべきですし、
利他の大きな人、いわば愛の大きな人に惹かれたなら自分自身も愛の大きな人になるよう振る舞う事と言えます。
「自己の中に、求めた人と引き合うのに相応しいものをたとえ少しでも有しているからこそ人は惹かれるのです。」
内在したままで発揮をせねば出会っただけで終わってしまいます。
いくどか本書でも述べてきたことですが、
「私達がそのようならそのような出会いと結びつきがある、私達がそのように振る舞うならそのように得られる。」
これは本書全般で述べている因果の法則でもありますし、
得るために相応のものを与えよと第三部でお話ししている金銭の項にも目を通して欲しく思いますが、
これはいわば求めた通りのものを得るための法則であり、因果の法則の分則とでも呼べる配給の法則と言えるものになります。
むずかしく並べてしまいましたが、簡単に言ってしまうなら、
優しい人を恋人に求めた人は、実はその求めている優しさは日常で普段発揮されてはいないかもしれませんが、
必ず外に求めたものは自己の中にもあり、
自己が宿しているものであるからこそその価値を認め、外側にも求めるのです。
求めたものは求める欲求の強さに比例して私達の外的環境に必ず顕れます。
欲求の強さは求めてやまないものを実際に発揮している場合はより強くなり、出会うだけでなく心を射止めて恋人にすることに成功します。
もっとわかりやすく簡単に言ってしまうならこうも言えます。
ある人が優しい人を恋人に求めたとします、
求めた人は実はその通りに実は内面に優しさが溢れているのです、
だからその通りの人と出会えるし、自己の持つ優しさを実際に外に発揮出来ている場合には出会うだけでなくその人をモノにすることにも成功すると。
これを読まれているあなたが童話や昔話に出てくるような心清く誰にでも分け隔てのない優しさを持つ王子様のようだったとしましょう、
その王子様にはそれに相応しく、心清らかで誰にでも分け隔てなく優しい美しい女性と出会い、結ばれるのです。
もしあなたに好きな人がいるならそのようにすることです、 実際に振る舞い、心もそのようにするのです、
「求めたモノに相応しく実際に行う。」これだけなのです。
聖書の中のコリント人への手紙と題したものにこのような言葉があります。
「その人を得たければその人のようになれ。」(コリント人への手紙、9.20)
お釈迦様の逸話にもこんなものがあります。
ある時とても仲の良い夫婦がお釈迦様にこんなことをたずねました、
私達夫婦は大変に仲が良く、来世でもまた今と同じように出会って結ばれたいと思います、どうしたらそれが叶うでしょうか。
お釈迦様はこう答えました、
「二人の心を同じくすること。」
■ 人々やあなたが好きになったり愛した人が嫌がる事柄から離れてゆくのです、
私達はその時それらの人々と親しくなる機会を持てるようになります。
■ 人々やあなたが好きになったり愛した人が真底優しい人ならあなたも同じように人々に真底優しくするのです、
これを「愛する人に現実に近づく」と言います。
■ 心を同じくする者は惹きあい、そして結ばれるのです。
【 第一部を書き終えて 】より抜粋。
2001/1/17
あなたは愛する人により信頼されたいですか?
信頼されるとは
あなたが愛する人に求められる事そのもの
もう一度聞きます
あなたは愛する人により信頼されたいですか?
あなたが信頼をされたいと願ったならば
あなたはこうも答える事ができるでしょう
私はあなたの 心から信頼できる人間になりたいと。
己の罪深さに泣いた事がありますか
隠し事をせずに語れる人はいますか
心から信頼できる人はいますか
ひとつ
ふたつ
数えては
訳も無く悲しくなって
私は泣きました
私はあなたの
心から信頼できる人間になりたい
【 愛と幸福、人生の成功を実現する者、それは行う事のできる者 】
求めるものは境界線のようなものです。 望むものは本当はすぐそこにあるのです。
いつも私達はどちらかを選べる境界線にいます。
今の自分を楽にさせてくれる道と、進むのが一見難しそうにみえる道。
私達はいつも夢や希望を捨てたことがありません、なのに求める物を掴もうとしないまま人生が終わってしまう。
いや、そんなことはない、いつだって本当に満足できる自分、夢と希望を求めている。
そうつぶやきながら私達は時が過ぎてゆく中でただ黙って過ごしてきた。
この「上を向いて歩こう」を書き始めてから7年間、私は原稿を書き続けながらずっとひとつの業界に身を置いて、
その中で愛や夢、幸福を求めている人たちをみつめてきました。
皆誰もが幸福を求めています、なんの希望もない人は誰一人いませんでした。
ある人は生活のよりよい改善を求め、ある人は裕福になることを求め、皆少しだけ熱く夢を語るのです。
けれど誰一人自分の夢を叶えてみせた者はいませんでした。
なぜでしょうか?
ある人は独立して自分で商売を始めたいと言い、ある人は国家試験に合格し、この業界で出世し、もっと沢山の給料を得たいと望む。
そしてある人は理想の恋人を求めている、生まれ生きた時間よりも長く過ごす生涯の伴侶、何が起きようとも互いに支えあう誠実な異性。
そんな夢と希望を持ち続けながら誰もそれを掴めない。
でも本当は、自分が心底求めている夢と希望を現実のものとしようと誰一人してはいなかったのです。
求めた夢や希望が得られないまま数年が経つと皆一様に同じ事を言う、
「こんなはずじゃなかったと。」
夢や希望、幸福は、ただ語るだけじゃついてきやしないのだと誰もが知っています。
なのに求めはしても何も動かない。
自ら動かなきゃ歩けない、立ち止まったままじゃどこにもいけやしない。
朝、いつもの一日がはじまる、昨日と同じ今日がまたやってきた、
始業時刻から終業時刻までをただ過ごしてゆく、毎日その繰り返しをしてるだけで私達は給料が貰える、
それのどこがいけない?
熱き希望を胸に膨らませながらも、こうしてみな口を揃えて同じ事を言う。
自分で商売興す時には絶対成功させるし頑張ると、だけど今のこの仕事で何も頑張る必要ないじゃないか、
あくまで生活のために仕方なくやっているのだ。 「誰だってそうだろう?」
皆こうして一様に同じ事を言う。
そうかもしれない、あるいはそれがごく普通なのかもしれない。
就業時間をただ過ごせばいい、今のこの仕事は生活のために仕方なくしてるのだと口にする人たちを随分とこの目でみてきました。
今一生懸命なれないでどうして自分が全部責任持たねばならない自分で興す商売が成功をするだろうか?
どうして夢や希望を現実のものとして掴むことができようか?
じっとしていたら誰かが夢や希望を叶えてくれるとは誰も思っちゃいない、なのに誰も自分からは動かない。
すべて望むものは、日頃の自分の姿勢なのだと分かっていながらも今のままでいようとしてしまう。
目の前にある自分を楽にさせてくれるもの、求めながらもみずから動かない自分を正しいと信じこませる、「誰だってそうだろう?」
「そう、人間は誰もが怠け者なのさ、周囲をみてみるがいい、誰も一生懸命などしやしない、人より余計に頑張る?
ばからしい、なぜ疲れなきゃいけないんだ? どうして楽にしてちゃいけないんだ?」
そうやって自分を楽にさせてくれる言葉で(注、自己欺瞞で)「自分を騙してはいけない。」
そうやって知らぬまま「自分を縛りつけてはいけない。」
「自分で望むものから遠ざかってはいけない。」
替わりに失うものはいつの時代も大きい、いつかこの世を去るときに後悔と不満でいっぱいになる時、
本当はそれを自分に向けて生涯を閉じてゆくのだ。
不甲斐ない自分をみつめては、求めてやまなかった幸福とは比べ物にもならない瞬間の刹那で日々満足していた自分の浅はかさに気づく。
幾度となく生まれ、幾多も経験した私の生涯。
こうしていつも人が不本意なままで終わるのは、
求める夢や希望、愛と幸福にそって実際に行うというたったこれだけの事が欠落していたのだ。
ここではそれをこんな話で。
ある会社では統括する責任者が退職することになり、本社から一人の責任者が新たにその支社に配属をされました。
その責任者、大勢の従業員をまとめる新しい上司は、一生懸命働く者には正当に評価をする者として以前から評判のあった公正な人物でした。
その上司は努力に見合う相応しい者を引き上げて昇進を与える者であると。
新しい上司のこの評判を聞いた者達の一部は、これで自分たちも正当に評価をされて出世ができるやもしれない、
給料も引き上げられるに違いないと内心思う者たちもおれば、
今までの上司と同様に正当な評価などされるはずもないといった具合でした。
これは目の前に求めるものがあってもそれを信じずあきらめてしまっていると言えばいいだろう。
しばらくするとその上司の許で働いていた何人かは昇進をし、給料が引き上げられ、より責任あるポストを任されるようになった。
行いに相応しいものが与えられたのだ!
しかし昇進を得ることのできなかった者達、特に先を越された形になった古参達は多いに不満を表す、
自分の方が長く勤めているのだから順番から言えば昇進するのは私のはずだと。
ここで読者はこの不満をぶつける者をみつめてこう思うことだろう。
「あなたの所有する会社ではないのだからあなたの勝手な自分に都合よいルールは通らないと。」
得ることのできなかった者は本来、評価に見合うだけの仕事を一生懸命して昇進した者達と同じように、
自分も得るに相応しい行いをすればよかったのだ。
昇進を望みながらも得られなかったこの人は、その望むものに相応しいルール、
それは、「得るに相応しい行いを実際に自分がやる」ということによって得られたのです。
(注、正当な努力をしていてもえこひいきで昇進してゆく者もいる、そう言われる方もいるかもしれません、
ここでは本書も終盤なのでこれらの疑問をいだいたなら第二部の因果の章全般を読み直して下さい。)
善き事も悪しき事も、すべて、与えているのは運でも天にまします神でもありません、
この話の中で昇進を得た者は、一見表象上は人の手によって与えられたかもしれません、
ですが本当は違うのです、
すべては自分が与えているのだ。
それはふさわしく。
一切に偶然はないのです、一切に不公平というものは存在しません、
一切は厳粛に公正なのです。 なんの狂いもありません。
貧乏に生まれたのも、富豪に生まれるのも、身体が不自由なのも、一見差別をされることも、
成功も挫折も悩みも苦悩も−−−
生まれ育てる親を選ぶことすらも−−−
一切は自分が相応しく用意したもの。
愛と幸福を夢見て本当に掴むことも−−−
人生は自分の手によって思うままに変える事ができる
愛と幸福を選ぶなら−−−
掴むことができるのです
人生のすべては自分の手によって創っているのですから。
□ ここで読者にもう一度伝えたい言葉があります。
「どんな分野、物事においても私達はがんばる事ができる、最善最上を尽くす事ができるのです。
人よりがんばると疲れるとか損だとか楽をしていたいとか−−−
本当は些末でどうでもいいことではないですか?
働きと行い、心に見合うものだけを私達は受け取れます、
生きてゆく中で様々な自分が撒いてきた因果によってつらいことも苦しいこともあるかもしれません、
ですがどんな境遇にいようともですよ、因果を真に理解したとき、私達はこの世界の見方ががらりと変わるのです、
この世界は本当は私達に様々なチャンスを与えてくれているのだと!
因果を真に理解したとき、私達はこの世界が本当は薔薇色なのだと気づくのです。」
【 愛という習慣 】
「すべてを実現する力 行動力」では、新しい習慣、求めたものに適した行動で望むものをつかんでゆくのだとお話をしました。
しかし私達は中々頭で理解していてもそのように振舞えてゆけないもの。 ですが本当にそうでしょうか?
普段私たちは慣れ親しんだ習慣に頼ってしまっているにすぎないのです。
料理人は包丁をそれは見事に使いこなします、下手に使う、いいかげんに扱うなどができません。
実は料理人は包丁をへたに扱うといった事がわからないのです。
手の抜き方がわからないと言えばいいでしょう。 それは習慣の力、へたに扱うとか手を抜くほうがよほど彼らには難しいことなのです。
歌手もそうです、音痴に歌おうとか、へたくそに歌おうといったことのほうが彼らにはかえって難しいことなのです。
仕事で一生懸命になれる人や何かをやらせて優秀な人は、それはみな慣れ親しんだよき習慣がその人にとって自然なことだからなのです。
人は不慣れな事には多大な努力を必要と感じてしまい、それを苦しい努力やつらいことなのだと思い込んでは、
今までの馴染んだ習慣の流れの中にしがみつこうとしてしまいがちです。
でも本当は、それら私達が備えていったならきっと人生が今までよりもさらに楽しく美しく、幸せとしてゆく習慣を身につけてゆく事は
本当は苦でもなんでもないのです。
人に優しくすることのできる人はそれを日常の当然の事としてなんの苦も感じていません。
普段人は愛を求めながら愛に反した習慣を続けてゆきがちではあります、
ですが、愛を求め、愛にふさわしい心と行動を自分の習慣としていったほうが断然にいい。 愛されるにふさわしい習慣。
なんとすばらしい習慣だろう! そして世にこれ以上の習慣が他にあるだろうか!
少しずつ慣れ親しんでいき、身に付けてゆく愛の習慣。 渇いた愛を埋めようと迷妄にしがみつかなくなり、
その時あなたという存在は愛そのものになる。
■ 鳥は大空をなんの迷いもなく羽ばたいています。
なぜ鳥達は空を飛べるのでしょう? それは空を飛ぶと決心し、何度も飛ぼうとしたからです。
実際に振る舞い、それを信じて習慣にしたのです、 彼ら鳥達にはもはや大空を駆けめぐることはなんの不思議もない習慣なのです。
求め信じれば羽すらも生えるのです。
□ もし愛されたいなら、愛されたいと強く思うばかりでなく、
「この人に愛されたい」、そう人が強く思う人になることです。
愛を求めながら芯のないままの縄で求めるよりも断然確実なもの。
愛される人になるには二通りあります、ひとつは人に愛されたくて人々を愛する人。
これは人々を愛することが手段であり、人々をただひたすらにそれそのものを目的として愛する人となってゆく入り口でもあります。
そしてもうひとつが入り口の先にある人々をただひたすらに、愛することそのものを目的として愛する者。
私は前者である手段として人を愛する人を否定しません、人は入り口がなければ進む事ができないからです。
そして人がいつしか後者であるただひたすらに人を純粋に、愛することそのものを目的として愛するようになった時、
私達は放っておいても勝手に人々から強く愛されるようになります。
これが自分で縄を編んでゆくということ。
あなたという人はその時、愛という魅力で溢れた人となる。
私は、どうせ生きるなら愛で溢れた人になりたいと思います、
過ごしてゆく人生に変わりないなら人々を愛し、人々に愛される人生を過ごした方がいいからです。
そしてそれはきっとあなたもそうにちがいありません。
私達は心と行動をもって真実人々を愛したとき、愛の魅力で人々を惹きつけ、本当に望んでいた幸福な人生を歩めるのです。
だから私はあなたに言いたいのです、「上を向いて歩こう」と。
【 長い箸 】
冥界には食事もあります
その食事はどれもごちそうでした
しかしそこにはひとつの決まりがあるのです
とても長い箸で 食べねばなりません
その箸はあまりに長いので食べようにも口に運べませんでした。
いつも飢えて 求めて 満たされずにいたのです、
口に届くように短く箸をもつと食べ物は消えてしまい、
手づかみで食べようとするとつかんだ瞬間消えてしまいました。
ずるいことをしようとするとその人の前から食べ物が消えてしまうのでした。
あるとき食べれないで困っているその人にある人がそっと教えてくれました
ほんとうは誰でもその箸で食べることができるけど、
人を愛さずただ自分を愛した者は食べることができないのだと教えてくれました、
どんなものも得るに相応しい者には与えられ、
相応しくないとき、すべては得られずに消えてしまうのだと。
その人はそれから何度もなんどもその箸で食べようとしました、
ですがいつも食べることはできませんでした。
あるとき、自分とおなじように食べたくても食べれずにいる人をみつけました、
今まで気づかなかったのですがよくみると食べられないで苦しんでいる人がそこにはたくさんいたのです。
おなかをすかせて苦しんでいるその姿をみて、その人は自分も苦しくなりました、
それでみんなに食べさせてあげることにしたのです、
あの長い箸でみんなの口にごちそうを運んであげました、
みんなは喜んでそのごちそうを食べました、
次の日もまた次の日も、毎日みんなの口にごちそうを運んであげたのです。
あいかわらず自分はおなかをすかせたままでした。
ある日、いつものようにみんなにごちそうを食べさせていると
ある人がその長い箸を手にとって今度は自分に食べさせてくれたのです。
その人ははじめてあの長い箸でごちそうを食べたのでした。
人を愛したとき 人は愛に目覚め 私達もまた愛される
みずからを相応しき者として。
幼い頃に、「地獄の長い箸」の話を訊かされた私はとても強い衝撃を受けたのを覚えています、
箸は自分が食べるのではなくて、食べさせる為にあるのだと訊かされた私は身体がふるえてとまらなかったのです、
ひとり部屋に籠もって、じっと動けないまま、そのまま声を出さずにひとり泣きました。
でも、私はそれでも何も変わることはありませんでした、
私は長く、それからも、自分を、ただ自分を愛していたのでした。
本当は 越えてしまうことなど簡単な 紙一重。
ずっと長い間越えることをためらい続けていたのです、
人を愛せなかった私がそこにいました。
この散文詩の中に出てくる長い箸の話は、私の創作によって表現を変えて加えてあります、
長い箸の話の中に込められている、人々に残したい真意をより伝える事のできるように。
本当は誰の前にもごちそうはあります、愛も幸福も誰の前にもひとしく開かれています、
人を愛したとき、私達は愛される。
私達はその箸でお腹いっぱい食べれるようになるのです、
あの長い箸でみんなの口にご馳走を運んだ人のように、私達の幸福はすべて自分の中にあると発見するのです。
分け与え 分かちあい 許しあい 愛しあえ |
【 書き終えて 】
すべてのもの一切は既に存在をしています、これは思想だろうと物だろうとすばらしい国家であろうと楽園であろうとです。
例えば、ここに彫刻に適した大きな岩があったとしましょう、どんな作品でも作者は作ることができます、
そして出来上がったその作品は、実際は完成する前からその素材の中にすでに存在していたのです。
おわかり頂けたでしょうか、
この世にはすべてが可能ですべてがあります、愛もあれば憎しみも争いもすべてが人の手によって可能です、
ここ本書に書いた因果や愛、そのどれをとっても目新しいものではありません、
実際は私やあなたが生まれようと生まれずとも因果という法則は以前と働いている、愛も普遍的に存在をしているのです。
どんなものであっても私たちは作り出せる、しかしそれらは本当はすべて存在をしているのです。
これがどんなことであっても可能である証明になろうと思います、
さて、どんなものもはじめから存在している、ならば私たちは自分の人生にその元から存在している中のいったい何を求めますか?
最善最上で最も美しいものを求めるならばそれは得られます、なにしろ私たちの人生は彫刻家の素材のようにすべてが可能なのです、
私たちが真に望むなら触れる人出会う人すべてと愛と友情で結ばれもするのです。
生きる上で必須なものと信じてやまなかった闘争も、我のみによかれといった利己心といったものも、それらを必要とせずに、
互いに傷つけあわず幸福とさせる人生を歩むことを望むことができ、またそのように叶うのです。
Copyright (C) 1996-2003 愛上王 All right reserved
今回「立ち読み」と題しましてごく一部ですが抜粋をしました。
お読み頂いて他のページも読んでみたいと思われましたなら、
書籍化しました時にはぜひ、「上を向いて歩こう」を応援お願いします。
出版関係の方でもし企画等でご興味を持たれた方がおられましたら、
こちらコメント欄からコンタクトをお待ちします。
その際は出版社名、部署、直通のお電話番号等を明記の上、趣旨をお伝えくださいますようお願いします。
2013/2/14 愛上王
私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、 どうぞよろしくお願いをします。 「ちいさな一歩」特設サイトはこちらをクリック |
コメントにて感想歓迎です
全体のメニューもここに挙げておきます。
はじめに 幸福を引き寄せる愛という生き方
第一部 成功する恋愛の駆け引き
1章 欲求を刺激する
欲求
親しくなる順序
親しくなる時に起す過ち
名刺と電話
ひとやすみ 著者のつぶやき
2章 ふたりが惹きあうために
相手を恋愛対象とする愛の射程距離
射程距離を縮める方法 話しかける
射程距離を縮める方法 場の共有感
射程距離を縮める方法 射程外と浮気の要因
射程距離を縮める方法 好かれるためのレッスン
もっとも遠い射程距離 不倫が成り立つ理由
ひとやすみ 浮気の最大原因
3章 愛されるために
愛されるとは私達が人を愛すること
愛されるために自信を持つ 自分を信じる
愛されるために自信を持つ 人は成りたい人になれる
愛されるために はじめはすべては話さない
愛されるために 友人と恋人を選ぶ
ひとやすみ ひきあう人 相手は鏡
愛されるために 強引から積極性に切りかえる
愛されるために 人を認め 人をほめる
愛されるために 愛する人の愛情を深める法
ひとやすみ 心の叫び
4章 愛する人を惹きつけるために
意識 惹き合う者同士の原則
意識 人間本来上昇志向
意識 求める人を射止める方法
意識 異性に対する姿勢はその人のバロメーター
意識 心が通い合わなくなる理由
5章 より愛されるために
第一部終章まえがき
より愛されるために 愛ある人物へ
より愛されるために 愛は覚醒
より愛されるために 完成者
より愛されるために 愛
この章のおわりに
第一部を書き終えて
第二部 愛と幸福をつかむ法則
6章 原因と結果の法則 因果
第二部の初めに
絶対法則 因果
紙一重
愛の大きさの測り方
自分のしたことは必ず還る
見返りを求めない
因果の質
誰でも因果は清算できる
幸不幸は生き方の反映
因果は幸福を選べる地図
7章 因果 嘘
この章に進む前に
不誠実なまま幸福にはなれない
人との距離
愛と幸福を遠ざけ不幸を引き寄せているもの
誰でもできる真実という魔法
愛と善意で生きるならどんな分野でも一流になる
嘘は身に還る
不誠実は誠実な人になるまでの通過点
8章 因果 罪
愛と幸福を得るために
罪を知る
ある男性の手記
苦の源泉は利己心
目先追う過失
人の心を曲げてしまう事は大きな罪
無関心は冷淡という名の罪
罪を許す
因と果が無関係にみえるわけ
愛のステージへの導き手 因果の法則
因果によって未来を変え未来を創る
9章 正見 愛の瞳
太陽と北風
正見に進む前に
利己利他4分類
愛と幸福をつかむ法
今日からはじめよう
因果と正見の密接な関係
静的な因果の清算のしかた
動的な因果の清算のしかた
正見による人との接し方
■ 番外 詭弁と自己欺瞞の性質
■ 番外 自分を治療する
10章 正見 愛を確かなものにするために
童心
王様の食事
愛をたしかなものにするために
感謝
心から相手を許す
怒りをしずめる
非を認める
献身
第三部 愛の力
11章 生きる貯金
持って生まれた生きるための貯金
寿命という生きる貯金
寿命の長さ
金銭という生きる貯金
相応しい金銭が備わる
パートナーとしての金銭
貧困から抜け出るには
手を差し伸べるということ
心をこめる 行為そのものが目的であること
ひとやすみ 世界に溢れる愛という名の血液
もうひとつのひとやすみ 生きる貯金と因果の顕れ
12章 愛の力
不幸を治療する方法
愛は宇宙最大の積極性原理
愛と幸福、人生の成功を実現する者
それは行う事のできる者
すべてを実現する力 行動力
愛という習慣
長い箸
書き終えて
付録とあとがき
利己利他4分類
あとがき わたしからあなたへ
マクロなる因果
あなたへメッセージ
ことはじめと展望
贈る言葉たち
注、
メニュー内の灰色タイトルは公開版では未収録。
JUGEMテーマ:スピリチュアル
- 2013.02.14 Thursday
- 言葉
- 22:13
- comments(9)
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- by 愛上王
以前、何かで読んだのですが、
「スピ業界は社会で適応できなかった落ちこぼれ(ズバリこう書いていました)が、霊能や神とかを使って社会で得られなかった、地位、名誉を獲得するための敗者復活の業界ではない。」
という内容でしたが、本当にそうだと思います。
わたしは、スピリチュアル=精神性だと捉えており、人にとって絶対に必要な要素で、あくまでも、現実社会で、生かすものだと思っていました。
そういった気持ちから、これまで本を読んだり、ネットの情報を見ていましたが、スピブームにのっかり、やみくもに出版していた精神世界系の本、実践するには無理のある自己啓発本、そして宇宙人だの、人類滅亡だの霊能だのと、胡散臭い、かつ問題含みのスピ系ブログ等にうんざりしていました。
何に関しても、自分の感性でコツコツとじっくりやって来た人、熟成してきたものはやはり質が違います。
愛上王さんの本、現実社会に役立てそうです!
楽しみにしています!