パクリ対策
パクリ対策
前回の記事で触れましたかの方ですが、昨日の記事を早速読みにこられました。
どうも前回記事を読まれて人々に見透かされたのを気にされたようでして、かなり慌てられたようです。
かの方の2/27の朝方に更新された最新記事ではですね、
さも以前から引き寄せに関わっていたかのそぶりを妙に強調してきています。
慌てた様子がよく伝わってていますその記事では、引き寄せを書こうとされているのはよくわかるんですが、
記事をよく読むと、かの方の書こうとしている内容は、「私が提唱してきた、意思と行動を重視」したものをにするようです。
しかしですね、一般的に流布しています「引き寄せ」と呼ばれますものは、「行動重視などではなく」、
「願ったら後は宇宙におまかせ」といったものでして、
「行動をすることは叶わないのを認めてしまうこととし、行動不要や否定が普通なのです。」
つまり、この私が海外より「引き寄せ」が上陸してくる以前から書き綴ってきた「私独自の引き寄せ論」は、
一般に流布し浸透している「引き寄せ」とは根本的に違う別のものなのです。
要は「引き寄せ」では異端である私の提唱する「意思と行動重視のものと、かの方が急に書くと言い出したものとが趣旨や方向性といった内容的にカブルのはなぜでしょうね?」
ここ最近になって「後だしじゃんけん」よろしく、
急に「引き寄せ」だの、「幸せに導く指南書」だの、
私の長らくの原稿であります、「上を向いて歩こう」の趣旨を焼き直そうとされているようにみえるとしか言いようがありません。
かの方が行動を重視した「引き寄せ」を急に書きたがってきたのはよくわかります。
最近立ち読みと称して「上を向いて歩こう」の原稿をここブログでも一部挙げましたが、
その中には行動を重視した以下のようなものがあります。
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【 愛と幸福、人生の成功を実現する者、それは行う事のできる者 】
求めるものは境界線のようなものです。 望むものは本当はすぐそこにあるのです。
いつも私達はどちらかを選べる境界線にいます。
今の自分を楽にさせてくれる道と、進むのが一見難しそうにみえる道。
私達はいつも夢や希望を捨てたことがありません、なのに求める物を掴もうとしないまま人生が終わってしまう。
いや、そんなことはない、いつだって本当に満足できる自分、夢と希望を求めている。
そうつぶやきながら私達は時が過ぎてゆく中でただ黙って過ごしてきた。
この「上を向いて歩こう」を書き始めてから7年間、私は原稿を書き続けながらずっとひとつの業界に身を置いて、
その中で愛や夢、幸福を求めている人たちをみつめてきました。
皆誰もが幸福を求めています、なんの希望もない人は誰一人いませんでした。
ある人は生活のよりよい改善を求め、ある人は裕福になることを求め、皆少しだけ熱く夢を語るのです。
けれど誰一人自分の夢を叶えてみせた者はいませんでした。
なぜでしょうか?
ある人は独立して自分で商売を始めたいと言い、ある人は国家試験に合格し、この業界で出世し、もっと沢山の給料を得たいと望む。
そしてある人は理想の恋人を求めている、生まれ生きた時間よりも長く過ごす生涯の伴侶、何が起きようとも互いに支えあう誠実な異性。
そんな夢と希望を持ち続けながら誰もそれを掴めない。
でも本当は、自分が心底求めている夢と希望を現実のものとしようと誰一人してはいなかったのです。
求めた夢や希望が得られないまま数年が経つと皆一様に同じ事を言う、
「こんなはずじゃなかったと。」
夢や希望、幸福は、ただ語るだけじゃついてきやしないのだと誰もが知っています。
なのに求めはしても何も動かない。
自ら動かなきゃ歩けない、立ち止まったままじゃどこにもいけやしない。
朝、いつもの一日がはじまる、昨日と同じ今日がまたやってきた、
始業時刻から終業時刻までをただ過ごしてゆく、毎日その繰り返しをしてるだけで私達は給料が貰える、
それのどこがいけない?
熱き希望を胸に膨らませながらも、こうしてみな口を揃えて同じ事を言う。
自分で商売興す時には絶対成功させるし頑張ると、だけど今のこの仕事で何も頑張る必要ないじゃないか、
あくまで生活のために仕方なくやっているのだ。 「誰だってそうだろう?」
皆こうして一様に同じ事を言う。
そうかもしれない、あるいはそれがごく普通なのかもしれない。
就業時間をただ過ごせばいい、今のこの仕事は生活のために仕方なくしてるのだと口にする人たちを随分とこの目でみてきました。
今一生懸命なれないでどうして自分が全部責任持たねばならない自分で興す商売が成功をするだろうか?
どうして夢や希望を現実のものとして掴むことができようか?
じっとしていたら誰かが夢や希望を叶えてくれるとは誰も思っちゃいない、なのに誰も自分からは動かない。
すべて望むものは、日頃の自分の姿勢なのだと分かっていながらも今のままでいようとしてしまう。
目の前にある自分を楽にさせてくれるもの、求めながらもみずから動かない自分を正しいと信じこませる、「誰だってそうだろう?」
「そう、人間は誰もが怠け者なのさ、周囲をみてみるがいい、誰も一生懸命などしやしない、人より余計に頑張る?
ばからしい、なぜ疲れなきゃいけないんだ? どうして楽にしてちゃいけないんだ?」
そうやって自分を楽にさせてくれる言葉で(注、自己欺瞞で)「自分を騙してはいけない。」
そうやって知らぬまま「自分を縛りつけてはいけない。」
「自分で望むものから遠ざかってはいけない。」
替わりに失うものはいつの時代も大きい、いつかこの世を去るときに後悔と不満でいっぱいになる時、
本当はそれを自分に向けて生涯を閉じてゆくのだ。
不甲斐ない自分をみつめては、求めてやまなかった幸福とは比べ物にもならない瞬間の刹那で日々満足していた自分の浅はかさに気づく。
幾度となく生まれ、幾多も経験した私の生涯。
こうしていつも人が不本意なままで終わるのは、
求める夢や希望、愛と幸福にそって実際に行うというたったこれだけの事が欠落していたのだ。
ここではそれをこんな話で。
ある会社では統括する責任者が退職することになり、本社から一人の責任者が新たにその支社に配属をされました。
その責任者、大勢の従業員をまとめる新しい上司は、一生懸命働く者には正当に評価をする者として以前から評判のあった公正な人物でした。
その上司は努力に見合う相応しい者を引き上げて昇進を与える者であると。
新しい上司のこの評判を聞いた者達の一部は、これで自分たちも正当に評価をされて出世ができるやもしれない、
給料も引き上げられるに違いないと内心思う者たちもおれば、
今までの上司と同様に正当な評価などされるはずもないといった具合でした。
これは目の前に求めるものがあってもそれを信じずあきらめてしまっていると言えばいいだろう。
しばらくするとその上司の許で働いていた何人かは昇進をし、給料が引き上げられ、より責任あるポストを任されるようになった。
行いに相応しいものが与えられたのだ!
しかし昇進を得ることのできなかった者達、特に先を越された形になった古参達は多いに不満を表す、
自分の方が長く勤めているのだから順番から言えば昇進するのは私のはずだと。
ここで読者はこの不満をぶつける者をみつめてこう思うことだろう。
「あなたの所有する会社ではないのだからあなたの勝手な自分に都合よいルールは通らないと。」
得ることのできなかった者は本来、評価に見合うだけの仕事を一生懸命して昇進した者達と同じように、
自分も得るに相応しい行いをすればよかったのだ。
昇進を望みながらも得られなかったこの人は、その望むものに相応しいルール、
それは、「得るに相応しい行いを実際に自分がやる」ということによって得られたのです。
(注、正当な努力をしていてもえこひいきで昇進してゆく者もいる、そう言われる方もいるかもしれません、
ここでは本書も終盤なのでこれらの疑問をいだいたなら第二部の因果の章全般を読み直して下さい。)
善き事も悪しき事も、すべて、与えているのは運でも天にまします神でもありません、
この話の中で昇進を得た者は、一見表象上は人の手によって与えられたかもしれません、
ですが本当は違うのです、
すべては自分が与えているのだ。
それはふさわしく。
一切に偶然はないのです、一切に不公平というものは存在しません、
一切は厳粛に公正なのです。 なんの狂いもありません。
貧乏に生まれたのも、富豪に生まれるのも、身体が不自由なのも、一見差別をされることも、
成功も挫折も悩みも苦悩も−−−
生まれ育てる親を選ぶことすらも−−−
一切は自分が相応しく用意したもの。
愛と幸福を夢見て本当に掴むことも−−−
人生は自分の手によって思うままに変える事ができる
愛と幸福を選ぶなら−−−
掴むことができるのです
人生のすべては自分の手によって創っているのですから。
□ ここで読者にもう一度伝えたい言葉があります。
「どんな分野、物事においても私達はがんばる事ができる、最善最上を尽くす事ができるのです。
人よりがんばると疲れるとか損だとか楽をしていたいとか−−−
本当は些末でどうでもいいことではないですか?
働きと行い、心に見合うものだけを私達は受け取れます、
生きてゆく中で様々な自分が撒いてきた因果によってつらいことも苦しいこともあるかもしれません、
ですがどんな境遇にいようともですよ、因果を真に理解したとき、私達はこの世界の見方ががらりと変わるのです、
この世界は本当は私達に様々なチャンスを与えてくれているのだと!
因果を真に理解したとき、私達はこの世界が本当は薔薇色なのだと気づくのです。」
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まあこればかりでなく、この他にもいくつもありますが、
今回「立ち読み」と称した中では代表的な行動重視の原稿がこれになります。
あの方は私ばかりでなく、当ブログの読者らの冷静な指摘からもパクリ癖を見抜かれていますし、
私の記事や原稿ばかりでなく、他のあらゆるアイデアを盗んでいる様子も当ブログの読者らから指摘があがっています。
みなさん、あの方はこうした、ウチの様子を後出しじゃんけんでパクってくる様子がこれまでいくつも見受けられましたけども、
バレていながらもやめない、そういう方は治らないものですので、今後もよく観察をされてみてください。
今までにいくつもそうした様子があった以上、これからもそうした様子を人々にうかつにもみせてゆくことでしょう。(堀の中に永く住む方に多い際立つ傾向です。 破滅に向かっているのに止められないと。)
あの方は読者は自分のことを盲信している人しかいないものと勘違いをしているんですよ。
私のブログやあちこちのブログ、はたまた様々な書籍を日々沢山読んでいる人がいるなど想像もできないんです。
実際は多くの人々は、あちこちを読み比べておるのに、バレてしまうことを蚊帳の外に押し出してしまっていることに気づけないんです。
こうしたお粗末な痕跡をこれまでいくつも残しているあの方ですが、
そんなことをしまくるあの方に「本当の神」などついているわけがありませんし、
光の側でもありません。
正直言うとですね、
本当に数年ぶりに重い腰をあげて、あちこちの出版社に企画の持ち込みを再開してみようかと考えているわけです。
そんな大事な時期ですから、こうしたパクリブロガーなどは相手にしたくもないですしかまってなどはおれないんですよ。
出版社にとってみればですね、これらを良いように受け止めるか、はたまたわるく受け止めるか、
人によってまちまちとは思いますけど、私にとっては迷惑なんですね。
パクリを頻繁にされる、「それは内容が良いものだから。」 そう受け止めてくれる人もいるかもしれませんが、
めんどくさいと受け止める人もいるやもしれない。 だから迷惑なんですね。
これは以前に書いたことですけど、
パクル人というのはですね、パクリ先のものを良いものと価値を認めるから盗むんです。
要はですね、勝手に押しかけてきた、迷惑千万な外弟子のようなものなんです。
パクル人というのはですね、パクリ先を自分よりも上であると深層で認めているということなんですよ。
パクリ行為とはそういうものなんです。
にも関わらずオリジナルより自分の方が上かのように振る舞いたがる方がこれまでみてきて非常に多い。(相手を闇だとかですね。)
正直ぶっ飛んでいるとしかいいようがないので関わりたくないんです。
私は、パクる人っていうのは、もはや一種の疾患だとすら考えています。
これまで本当に様々な人にパクられてきました。
ここ2.3年で特に目立つ方はそのどれもが女性でしたが、
RK女史やKH女史など、驚くことですが、見つかっても開き直るような方ばかり。
そういえば、RK女史などは散々パクりまくっておいてみつかり、
開き直った上に、この私を「未熟なあいうえおうさん」と記事で揶揄していたのを思い出します。
めちゃくちゃでしたね、あの方は。
虚言や狂言で振り回そうとすることも度々でした。
遠まわしなそうしたやりとりを観察していたRK女史の読者がいつだか、直接この私とやりとりすればと書き込んでいましたが、
そのせいで即直接の接触がありましたわ。
どうやって調べたのか私のメアドにメールをしてきました。
なんでも、愛染明王からこの私の件で依頼を受けたから返事をよこせと。
愛染明王は確かにこのブログでも漏らしたことがありますし、縁のある神様ではあるんですが、
(余談ですが、古くからの個人日記サイトやこのブログで触れたことのあります、天耳通の相手はいつもこの神様です。 私の守護神のお一人と判断しています。
少し前に予告記事を書きましたが、守護神になって頂いたプロセスを守護神の付け方として公開してゆく予定です。)
もし何かあるのなら直接私にくるはずです。
なのにパクりまくるRK女史に依頼がきたのだとか、小学生にもその場でバレるウソで狂言を振りまく。
とまあ、こうした不整合な点を指摘したら、すぐさま話を作り替えて狂言を続けてきたと。
パクられているこの私がRKを恨んでいるはずだから生霊が取り憑いてるとかお互いの生死に関わるだとか、
死を脅しに使ってでも狂言で振り回そうとしてきたと。 もうはじめの話とまるきり作り替えてしまっているのに平然としていると。
しかしいくらパクられようともRK女史に対して恨みの気持ちはなく、よって生霊が憑依する道理がないとキッパリ言えば、
途端にウソで固めた狂言を引っ込めて大人しくなり、
亭主がいるにも関わらずですが、「こんなにも愛しています」だのと気持ち悪いメールを送って寄越したRK女史。
とまあ、思い出しただけでもこんなものがありますが、こんなのは氷山の一角でして、
要するにですね、パクる人は疾患だと私は考えていますから、
人様をくだらないことで振舞わすなと言いたい。
近く、このブログでなく、どこか別の場所を探して、
これまでにパクってきた人、そのパクリ箇所、などなどを公開しようかと思います。
パクリを発見しましたら以下の記事のコメント欄に情報をお寄せください。
ささやかではありますが謝礼も用意しております。
「盗作発見についての重要なお知らせ」
私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、 どうぞよろしくお願いをします。 「ちいさな一歩」特設サイトはこちらをクリック |
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- 2013.02.27 Wednesday
- おぼえがき日記
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- by 愛上王