パクリ例のごく一部 追加記事有り


 パクリ例のごく一部 追加記事有り  

 できましたらこうした話題で記事を書くのは不本意ではありますが、今回もやむなしとさせて頂きます。


本日、とあるランキングサイトのエントリータイトルを眺めていましたら、なにやら引っかかるものをみつけまして、早速中身を確認してみましたところ、

ブログ、「○○○の○拠」が、当ブログの2013/7/30の記事を焼き直しパクられている様子。
盗作被害の内容はhttp://firstdoor.jugem.jp/?eid=523 の、因果による部分等


この方のパクリ部分を、誰だか即わかる直接表現は避け、意味だけ残るようにまとめた文が以下。

因縁や因果関係、カルマは、良い行いの積み重ねによってマイナスをプラスに変えていくことが出来ます。
積極的に人や霊を喜ばせることをして下さい。
 ○△□(神霊的な存在名)

上記この部分はうちの記事の焼き直し。
この文は、さもなにか神霊からの言葉かのように振舞ってはいます。
たしかに上記文は一見、因果において一般的そうな文にみえなくもないので、焼き直しだと決め付けてかかりにくくもみえますし、これを読んだ読者も不自然かどうかわかりにくい。
よって人のものを読んだ上での焼き直しパクリだとバレにくいと判断し、焼き直しパクりをしたであろうことは容易に理解できる。
がしかし、神霊が語ったかのように振舞うには、この文はあまりに論理が破綻しています。

この文には神霊からのメッセージではない、人間の創作だと解るボロが二つあります。
ひとつは、
因縁も因果もカルマも実際は同義語でしかなく、同じ同義語を三つも一つの小さなメッセージに盛り込む聖なる存在などは人間の創作とすぐバレる。
もうひとつは、
因果というものは、善行の積み重ねによってマイナスをプラスに変えていく、などということは出来ませんし、道理になっていません。
悪因には悪果が残りますし、善因を積んでも善果が残るだけであって、まったくの別因の果に影響を与えることはありません。
悪因があれば悪果は残り、さらに善因を積めば善果も残る。 両方の因はそれぞれの果が残るのであって、
よって善因がすでにある悪因悪果を薄めたりなくしたりすることはないので、マイナスをプラスに変えるということはありません。
双方は独立した因果だから。

7/30の私の記事では、このパクられたのと同じようなことを私は書きましたが、この方は歪曲をしている。
私は文中で「幸福の元となる善因を他者に向けることなのです。」こうも書きましたし、 
結びとして「私たちの幸福は、一見つながりがないようにもみえる、他人の喜びを満たす中にこそあるのです。」こうも書きましたが、
この方はこのあたりも引っ張ってきていると。
こうした一見無難な、傍目からは一般論にもみえなくもない、焼き直しパクリと決め付けてかかわるけにはいかないであろうと思われるこうしたものに目をつけながら、
パクってきたものをバレにくくしようと手を加え、焼き直しで改竄してしまう。
この方は神霊からの言葉でなく、創作インチキさんですね。

 先ほどこの記事を更新した時点では、大雑把に目を通していたために見落としていましたが、再度その方のサイトに目を通して見ましたところ、重大な特徴が幾つかみつかりました。
もしその方がどなたなのか、おおよその見当がつくのなら、Q&Aスタイルになっています、Q側である、様々な名前で寄稿されているお悩み相談文らしい文章複数を、先入観を持たずに自然に目を通されてみてください。
すると、名前の違う、本来別人格であるはずの相談寄稿者複数の文章の特徴や、文ににじみでます相談する時の姿勢であります、思考方法や性格のクセが表れる、
その相談者らの思考ロジックなどをよく観察をしてみてください。
数年前や数ヶ月前のものの中には本当に寄稿された相談文も確かにあるようですが、
普段の相談寄稿文は名前を複数使い分けた同一人物であることがよくお分かりになると思います。
似たような文章的、性格的、思考的な文を複数見つけたならば、ぜひ文面最後の寄稿者の名前を無視した上でいくつもの文を何度も読んでみてください。 同一人物の文とお分かりになると思います。
また、A側であるはずの、返答をされている方は、高位知性体がサイト管理人に代筆させた形を演じられてはいますが、形上は別人格大勢であるはずの相談寄稿者とこれまた同じ文章的特徴なのに気づかれると思います。 要は自作自演でQ側とA側の両方の文を書き、創作をしているという事です。
他にもまだまだ際立つ特徴があります。 数年前や数ヶ月前などの、本当の寄稿者からの文は除外していいですが、
普段大量にあります、Q側とA側の一人二役で演じられている文章ですが、ほぼ例外なくですが、句読点の使い方に同一のミスをし続けたままになっています。
「、」←この句読点は文章の中でひと呼吸入れる時のいわば読みやすくしたり意味に勘違いをされかねない時に入れる区切りですね?
では文末を示すときに使われるこの句読点ですが、→「。」
あのサイトでは本来別人格同士であるはずの相談者のほぼほとんどの人と、答える側であるA側とで、「。」の後に本来入れるべきスペースを開けずに次の文脈を始めてしまういう、句読点のマナーを損ねた「全くの同一ミス」がありえるでしょうか?
もし一人二役の自作自演ではないのなら到底ありえません。 これは同一人物が一人二役の自作自演をしているからならではのもの。 これは断言できます。
具体例を見てみたい方は、当ブログの私と大勢の読者とのコメントのやりとりをさらっとでもつぶさにでもかまいません、ぜひ観察されてみてください。
句読点の付け方にはマナーがあり、小学校時代に習うものですが、実際はこれをキチンと覚える人も居れば、読めればヨシとして適当な人もおりと、
実際の句読点の付け方にはかなりの個人差があるものなんです。 もしあなたが当ブログのコメント欄のやりとりを観察されるのであれば、
こうした句読点の付け方の実際のバラツキ具合もみてほしいですし、コメを寄せられる大勢の別人格の文章の特徴や思考のクセなども観察されてみてください。
まさに千差万別が現実なのをご理解できることと思います。
しかしあの方のサイトに集まる方々ばかりが文章的クセが同じであったり、全く同一の句読点ミスをするなどというのは、Q側A側一人二役での自作自演である証です。
こうして、他人に成りすましたり演じるというのは非常に難しいことなのですよ。

これは余談ですが、私がよくパクリを調べるのに使う技法の一つには、疑わしい文脈をそのままグーグルで検索してみるというのがあります。
たとえば因果関係で調べるとします、すると、因縁や因果関係、カルマ こうした語句で検索したりすると思います。

さらに追記になりますが、ご本人はバレたのを気づいたようで、8/3の記事はどれもよく読むと暗に言い訳じみたものになっています。
これが重要な点になりますが、これまで過去に使ってこなかった、私のブログで拾っていった概念、言葉をパクっていながら、今日はわざとさらに文中に盛り込むよう記事を書かれている。
パクラーがバレた時に取りやすい行動の一つには、「一般的な概念にみえなくもなさそうなものであるなら、尚更わざと使用する。」というものがあります。
(ここ近年ですと、創作神示がバレた直後の「天地」さんなど。)
これは開き直りです。

再三ですが、私がよくパクリを調べるのに使う技法の一つには、疑わしい文脈をそのままグーグルで検索してみるというのがあります。
たとえば「人を喜ばせることを積極的にして下さい」で調べるとします、すると、人を喜ばせることを積極的にして下さい こうした語句で検索したりすると思います。





 前回触れた「○○○メッセージ」の方は、とある惑星からのメッセージのフリをして騙るのがあまりにひどいので、
以前にその方に向けて、星からとかウソを騙るなあれもこれも創作じゃないかと当ブログで暗に伝えたことがありました。
(この時向けた伝言。 http://firstdoor.jugem.jp/?eid=341#comments )
その直後に、ランキングに参加時の名称だけは、惑星の名を除外された方。 2014/10/9現在、惑星の名をブログタイトルに復活させています。
他にも当ブログで神通力に関した記事を書いたあとに、そのブログでは、神通力に関してひがみ記事を書かれてきたのも記憶しています。
ひがみを確認した時点で神霊や高位知性体からのメッセージではなかったことを益々確信した方。
この方はパッチワークが常習の方。 過去記事をさかのぼって目を通せば他にもでてくるかと。
その後、パクリがバレて指摘コメントが増えたらしく、その後コメント欄そのものをブログから消してしまわれた様子。
 2014/10/9現在、コメント欄は復活してる様子。
 カテゴリ表示をコメント欄と誤認していました。 未だコメント欄は閉じられています。




 当ブログでこれまで幾度もパクリをしないようにと記してはきましたが、
彼ら彼女らは万引き犯らと同じで中々改めようとはしません。

7月30日の記事のように、最近の私にはめずらしく?またもパクられるのを内心ビクビクしながらでしたが、
久々に「論」を主体に記事を書いたらこれですからね。
時折、パクリに関して無責任なご意見をコメントで頂くことがあります。
それがパクリで身に覚えのある方らの言い訳自己欺瞞なのか信者さんらの偏愛援護なのかはよくわかりませんが、
内容は概ね以下のような感じになります。

曰く、真理が世に広まったと思えば良いではないか。
なのにパクリを攻めるのはエゴだ等。

しかしですよ、歪曲して世に連鎖して伝わるのは決して良いことではありませんね。
ましてや、そんなにイイものと認めて人の文を使いたいのなら、自身の論かのように振る舞うのはそれこそエゴではないですかね。

これではまるで懐かしコミック、北斗の拳の中でトキを騙るアミバそのもの。
イエスの言葉を影で聞き、模写してパクリ、あちこちで騙った当時の偽預言者。

こうした人たちが精神世界系統には驚く程数多くいます。
だからこそですが、今回も言いましょう、これまでこのブログで何度も唱えてきましたことを。
こうした偽預言者になりたがる人々に惑わされないために。


以下これまでの別記事から。↓

>私たちは日常の生活の中で、理想とされている道徳を守ってさえゆけば霊性精神といった、魂の向上もしっかりと望めるんです。
日常生活の中にこそ私たちの大切なものがある。
なぜならこの地こそが私達魂の今学ぶ地であるからです。

現世にいながらあの世のことばかり考えたり、
やたらと神頼みばかりしていても向上には繋がらないと私は思っていますからね。
高尚そうに神はああだこうだと唱えるよりも、
私たちの今生きるこの地で、
隣人を助けてゆく、
そのほうがよほど尊い。

> 私たちの霊性精神性の向上は、日常生活の中にこそあります。
神々に依存をしすぎても実際は向上をしませんし、
やれ禊だの何かの儀式だのといったものでなければ向上をしてゆけないのではありません。
もしもそうしたものでなければ向上をしてゆかないのであれば、
そうした文化のない国々生まれ、生活をしている人々は向上の機会がないということになってしまいます。
しかし実際はそんなことはありません。

>人々に無関心にならずに、人に益であると思えばどんどんしてゆく。
それは、大切な家族に向けるがごとくです。
愛する人に向けるがごとくです。
大切な自分に向けるがごとくです。
自分を愛するがごとくになんです。
私達には本当は他人なんていないんです。
まるで愛する自分に向けるがごとく、人々に、社会に、みしらぬ隣人に、益となることの全てを向けるんです。
すごく簡単にまとめすぎですけど、人間の霊性精神性の向上はこれこそがメインであり、大きな柱なんです。

>こうした精神世界系にもあやしい商売がはびこっていますから、
やれ瞑想だのヒーリングだの過去世だの、一見派手なものに多くの人たちは目を奪われがちですが、
私が時折、ブログ文中で日常こそが霊性精神性の向上に最も大切だというのはこういうことなんです。


とまあ、私は、一般で浸透し思い込まれているスピ的なことよりも、もっと「日常生活」を大切にすることをこれまでにも強調してきましたし、
今現在世に浸透してしまっています、「現代スピ」に頼るよりも、私たちの今学び、生活し、霊的にも精神的にも向上してゆくのに必要なのは、
今私たちが住まう、この地上での生活なのだと、今ここで再度強く皆様にお伝えをしておきます。

とまあこうしたことをついこの間の7/30の記事でも皆様にお伝えしましたが、
この部分すらも即日焼きなおして「参考に」された方がおられる・・・・・
日常生活を「現実」に置き換えておられる。 ・・・・・・・
その方にこれまで文やアイデア等、パクられたことに何度も気づき、ご本人も私が気づいたことを知っていながら、何度も行った方。
その方はとても足の速い方です。



もはやいたちごっこのようなこの現状は改善してはゆかないのかもしれません。
ですが、そうした悪因を積まれる方は悲惨な結末が待っている





ここからは本日頂いた非公開希望コメントへの私信になります。
とてもめずらしい方がコメントしてきましたが、
この私の頭を大変に悩ませた方が急にどうしたんでしょうね?
随分と礼儀正しい文を頂いたので驚いています。
以前のあなたとはまるで別人のようです。
まあそれは置いておいて、
いくつか話題があるようですが、まずアノ方の件ですが、
お察しの通りです。

それと別の話題ですが、出版した盗作者というのは誰なのかという件ですが、その方ではありませんよ。
以前にパクリかどうか自サイトとその方のサイトの双方を比較検証してくれと依頼を受け、
複数の記事を比較検証し、パクラーであることを確認しましたが、
さらに別の方からも盗作されたと情報を頂戴しています。
その方に関してはごくごく最近ですが、読者の皆様にはヒントとなるものを提供したばかりです。

 私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、
どうぞよろしくお願いをします。

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