願望成就、引き寄せに必要なもの 愛の念は徳のエネルギー


 小生は本日よりしばらく忙しくなる予定です。 ですので、相変わらずですが、更新が滞ってしまいがちになりそうです。
そこで一つ妙案を考えました。 しばらく忙しい間ですが、以前に公開していました記事の中で、今現在非公開にしていますものを中心によく吟味し、再掲載とします。
もちろん何かしら記事が書ける時間が取れるときは新たなものを記してまいります。

 再掲
 願望成就、引き寄せに必要なもの 愛の念は徳のエネルギー 

 それがどんなものであれ、人々に「愛を向ける行動全般」は、
それそのものが徳を積んでいる状態といえます。
これは仏教的な意味で指される「功徳」と置き換えてもいいですが、
できるだけ宗教色を取り除いた形でわかりやすいようにしたいと思いますので、
愛、イコール人々に向けるあらゆる種類の「善行」として捕らえて欲しいと思います。
そしてこの善行とは、カルマの法則そのものなのですが、
人に為した善行は自身に還ってきます。
つまり善行とは、願望成就のエネルギーそのものなのです。


ですが、その善行、愛念には、純不純といった、動機の穢れなさがとても大切なんです。
もしその善行や愛念といったものが、実は自分を良い人として周囲に受け止めて欲しいといった、
動機に清純さが欠けている場合や、こうした徳を積むことによって自身の願望成就のエネルギーにしたいという、
打算的な不純さが些かでもあるならば、その徳はとても薄いものになってしまうからです。
(これらは以前に2003年までに書き上げた「上を向いて歩こう」の「心をこめる 行為そのものが目的であること」でも詳細してありますし、
Cute Girls Japan の「言葉」と称したコンテンツにて、2005/10/23に記した、「願望成就のエネルギー」でも既に詳細してあります。
ですので啓発系を書きたがる作家さんやスピ系のブロガーさんらに警告をしますが、よって流用や焼き直しといったパクリはバレますのでしませんように^^
こんな事は書きたくはないですが毎度度々なので。)

よく、「ありがとう」と声に出して発すればラッキーなことが起きたり、運がよくなったりするといったものを聞いたことはありませんか?
実はこれ、半分は正しいのです。
なぜなら、「ありがとう」という言葉は、愛の一側面である、「感謝」を外側、人々に向けて放ったものだからです。
愛を人々に向けるのですから、カルマの法則の観点からみてもそれは願望成就のエネルギーとなりますし、
善因に対する善果となりうると。

しかし、「ありがとう」と唱えれば自分に良い事が起きたり運が良くなるから「ありがとう」と唱えるのならば、
本来の行為と動機に大きなズレが出来てしまいます。
行為とは、実はそれがどれだけもっともらしい善性のものであれ、「動機こそがその行為の本当の姿なのです。」
つまりそれは行為の本来の目的からズレた不純なものと。
多くの、「ありがとう」を唱えるのを願望成就のツールにしようとされる方は、これらの矛盾にはまってしまうんです。
ですから私は半面は正しいとし、半面は矛盾を抱えているし、利己的なモノの見方を深めてしまう、「愛」とはどんどん離れた魂になってしまうと言いたいのです。
利己主義者は利己主義ゆえに、こうして動機に不純さを抱えてしまい、善行、愛念のエネルギーを自分から小さく薄いものにしてしまう、
要するに利己主義者は愛念を基とした場合の願望成就の力は小さいのです。
動機の不純さ、つまり利己的であったり打算的であったりすることは、まるで水を注いで薄めてしまうのと同じことなのです。

途中ですがこの続きは近日また。


愛上王 2010/7/24 23:00
2013/8/7再掲 1:11
 しばらくのあいだ、あちこちでブログランキングなどに参加している方の記事をよく注目してみてください。
今回のこの記事で使われた概念、理屈、単語、趣旨、こうしたものを書きたがる人がまたもでるやもしれません。

 私の記事で何かしらよいものがあると思われる方、
どうぞよろしくお願いをします。

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| - | 2013/08/13 18:24 |