幸不幸は生き方の反映
小生は本日よりしばらく忙しくなる予定です。 ですので、相変わらずですが、更新が滞ってしまいがちになりそうです。
しばらく忙しい間ですが、以前に公開していました記事の中で、今現在非公開にしていますものを中心によく吟味し、再掲載とします。
もちろん何かしら記事が書ける時間が取れるときは新たなものを記してまいります。
再掲
【 幸不幸は生き方の反映 】
因果について何か具体的に分かりやすいたとえをもう一つできないかと思案していたのですが、ひとつ良いものがありました。
それは古くから語り継がれてきた童話です。 童話といったものにはひっそりと人に伝えている真実な道理が一杯ちりばめられているものなのです、
童話はだからこそ長い年月の間語り継がれてゆくのです。 その物語が持つ、真実なる道理を人々に残すという物語そのものと作家の因縁において。(注へ)
例えばシンデレラ、意地悪な姉妹や継母は決して望みのものを手に入れられず幸福とはならない、
心清らかであり続けた娘だけが王子に見初められる。
このことは因果の観点から観ても正しいのです。
愛と幸福は心の清らかさの比例と言っても良いですし、その人の利他心の大きさ、愛の大きさと等しいものだからなのです。
シンデレラは姉妹や継母たちにいじめられるわけですが、決して清い心を捨ず、姉妹や継母を恨むことも嘆くこともしなかった、
すると必ず相応のものが求めずとも自分に還ってきます、シンデレラの力になろうと魔法使いがこの物語では現れるわけです。
さて次は、この童話の中に出てくる意地悪な姉妹にも目を向けてみましょう。
このお話しの中に出てくるシンデレラの姉が、もしも物語どおりの性格のままその後も生活をしたとしましょうか、
いつも自分の事ばかり、人に不親切、なににつけても利己心で行動していたなら、
どんなにお金を持とうと友人がいようと恋人がいようと「絶対に」幸福ではありえないのです。
いや、それでも私にはお金があるよとこのいじわる姉さんは言うかもしれませんね、なんでも欲しいものは買えると。
だけど絶対に幸せではないんです、どんなにモノを手に入れてもこの人は幸福ではない、
たとえお城のような家に住み、庭にはテニスコートやプールが揃っていてもです。
友人もそうで、この姉にふさわしい友人しかどうしたって側には居られません、シンデレラを見初めたような王子が
この人の友人になる事はどうしたって無理なのです。 性格や日常の振る舞い、いわばその人の持つ心の状態というものは、
実は普段人が気づいていないだけでそっくりそのまま自分の環境に反映してしまわざる負えないものだからなのです。
当然王子とどこかで知り合っても心通わす仲にはどうしたって成り得ない。
いや、しかしこのいじわる姉さんに偶然いい人が現れるかもしれないと異論があるかもしれませんね、
断言してしまいましょう、ありえません。 あったとしてもそれはすぐに壊れてしまいます、それは必然なのです。
この世は私たち自身が放った因果によって物事が流転しています、偶然なんか何一つありはしないのです。
すべての事象と魂はふさわしい場所にふさわしく住まうのです、
ふさわしい形と輝きをもって。
注、幼少の頃におとぎ話として童話が語り継がれるのはこの道理です、
童話作家は人々が白紙のように汚れなき幼少の頃を対象として読まれるようにその物語を人々に残そうと意図してします。
人々に善意と愛を伝えることを喜びとし、人々の幸福を願ってやまない人生を送った作家らの因果は、
皆さんもご存じのように高い評価と賞賛を後世まで残しています。
もしも天国というものがあるならば彼らはいやでもその地に住んでいる事でしょう。
■ 幸福も愛も友人も、その時の自分にふさわしいものまでしか得られません、
ふさわしくなりさえすればよりすばらしい人々との出会いはもちろん、一層の愛も幸福も得られるのです。
シンデレラの姉の話では、このお姉さんにお金があっても決して幸せではないと文中に書きましたが、これは文中の主旨である、
「利己心のまま生きていても幸せはつかめない」という、これだけの事を伝えるのに混乱を招くものを文中に入れる必要はなかったからです。
文中では省略しましたが、実際はこのいじわる姉さんはお金があるならばある程度幸せです、ぬか喜び程度には幸せです。
人間は誰しも満足を得ようとする生き物ですから満足しさえすれば確かに刹那的には幸せなのです。
しかしそれはシンデレラが掴むような幸せと比べるならば表象上もそうですし、内面的な部分における深さにおいても幸せのレベルが違います。
人間は本来、魂は本来愛によって幸せを得ようと求めているものなのです、
代替え対象として刹那的に、求めてたものと錯覚して幸せなのだと思いこんでいる、と言えばよいでしょうか。
そして多くの人の普段の幸せはこれにあたります、私がこれを真正面から読者に伝えれば、それでも構わないからほっといてくれと言われかねません。
人々に自我防衛の盾を降ろしてもらいながら読み進めてもらい、幸せと信じてやまない代替え物から目を離し、
真にあなたを幸せとするものを掴んでもらおうというのは大変な事なのです、
なんとまあとんでもない分野を書いてゆこうとしてしまったのでしょう! 私は・・・
話を戻しましょう、人々は刹那的な幸せを瞬間瞬間で追い求めていつまでたってもシンデレラのように真に永続的な幸せを得ようとはなかなかしてゆかない、
今よりももっと幸せとする「生き方」があるのだと思いもよらないのです。 なんと不思議なことでしょう。
シンデレラが誰に教わるとも知らずに清らかに生きてきたことは物語が示す通りですが、シンデレラのように身に備えないでよい不誠実、
罪といったものを自分の中から排他し、清らかなる美徳部分を兼ね備えていったなら、
シンデレラの姉が幸せと感じる利己心に根ざした財産や物質といったものをも格段に越えた幸せがシンデレラのように誰にでも訪れることでしょう。
シンデレラはもしかすると無我の境地にいるやもしれません、金銭も地位も求めはしませんでしたが、
無我の境地に相応しい者にこそ顕れるそれらのものがすべてシンデレラのものとなったからです。
シンデレラは王子と結ばれ、王女となり、王家の財産もまたシンデレラのものといっても差し支えがないでしょう。
シンデレラは姉妹にいじめられようと恨むどころか自分の身を嘆くことすらしていない、その心はそのままが愛といってもよいもの。
無我の境地とは一言でいってしまうなら果報の結果をあてにしない、望みすらしない境地と云えるもので、
人間が行いうる善の因果の果報を全く望むことすらしていないというそれは非常に素晴らしいものなのです。
しかし無我といえども因果であることに変わりはありません、
その果報は通常の因果を遙かに越えた極上と言ってもいいほどの果報がいやでも身にやってきます。
シンデレラは自分の心に相応しく、王子と結ばれるという果報がやってきたのです。
■ さてどうでしょう、人間は自分で生き方を決めてゆく事ができ、自分で思いのままに生きているつもりではいますが、
そう信じている者に限って生きたいように生きるのだと声を張り上げて表象面でばかり生き方を求めてしまい、
マイナスな因果を振りまいて反対に自分の生き方を狭めて生きている事に気づいていない。
なんたることでしょう。
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前回記事で多少触れました、ブログ村のポチが反映されない件ですが、
前回記事を挙げた翌日あたりからはかなり改善はされたようです。
ですが昨日はINが、本日もOUTが反映されないなどありましたので、
相変わらずINもOUTも反映されない時間帯があるのかもしれませんね。
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- 2013.09.22 Sunday
- おぼえがき日記
- 19:38
- comments(11)
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- by 愛上王
元気してましたか?
スマホからだとこちらのジュゲムブログにアクセスしにくく、コメントフォームに書き込むのが大変です。
私はブクマから来ました。
すみません。
ア氏のことはショックでした。
ドラゴンさんは2ちゃんねるで2007年の夏頃オカ板で私と同じ体験をしました。
自分のHPもお持ちでしたよ。
同じ体験とは、ア氏と繋がると、とてつもない光が降りて3日くらい元気でいられたことです。
そういうのが何度もありました。
あれは一体なんだったのか今はわかります。
私もドラゴンさんも、同じ系統の神とあらかじめ、繋がっていた為です。
一応のこと、彼は、神に遣われたお役目だった。
この非現実的なネット上の世界に神様を知らせたわけです。
ドラゴンさんは、
2ちゃんねる出身の方で、最初はア氏の事をずいぶん疑っていて、しばらくしてもア氏に直接、「アルクさんよー早く神示を降ろしてくんねーかなー」とか、絡んでました(笑)
なので、ドラゴンさんはアルク氏ではないと思いますよ。
オカ板では、Drgon★forceのコテハン使ってましたので、調べたらわかります。お時間あるときにでも調べられたらいいと思います。
盗作の件ですが、神霊がブログ主と同化し、書かせていたとしたらどうでしょうか?
そういう目に何度もあっているので不思議に思っていました。
神界でも、盗作は多々あるようです。