旧メニューはココをクリック

以下は新メニュー
最新

最新
        期間限定販売
       

批判は宝

JUGEMテーマ:スピリチュアル
ブログパーツ
 批判は宝

 「特徴 偽教祖と盲信者の共依存関係の異常さ」では、
批判を嫌うのではなく、素直に受け入れるべきと伝えました。


ここでもう一度挙げておきます。

私たち、霊性や向上など、精神的なものや人生上の成功などに関わる者は、
今巷でスピと称されるものも含めてだが、
それらを説く者、学ぶ者に関わらず、
批判を嫌い、目をそむけるのではなく、
自らに未熟さや過ちがあるならば、それを素直に受け入れ、
自らを正してゆくのが本来あるべき姿勢なのだ。


この話の続きになりますが、
今回は惜しみなく、様々な分野で活用のできる、
普段の実生活で即活かせるものを、あなたに贈ります。




 よく、「批判からは何も生まれない」という言葉を聞いた事はありませんか?
はたして本当にそうでしょうか?
本当は批判がどれだけ大事なものなのか、
私たちは普段気づかぬ振りをしがちなのかもしれません。
それは一口に、批判と言うと、ネガティブな印象を思い起こすからかもしれません。
過去を振り返ってみて、すぐに思い当たるのが、
叱られた経験、イコール 批判であると。

ですが私たちは完璧ではなく、あなたも、そして私も、途上の者に違いありません。
批判とは本当は、自らが内省して改めてゆく力が乏しい場合に与えられる贈り物なのです。
あなたはきっと周囲を見渡してみて、何かにつけ優れ、
秀でている人を、きっと見たことがあるに違いありません。
学校の勉強もそうですし、営業の仕事もそう。職人の仕事もです。
それらの中で抜群に秀でている人には、大きく分ければ2種類あります。
人からの声を素直に聞き入れ、上達をしていった人たち。
もう一つは、人に何かを言われてはじめて奮闘をするのではなく、
自分から進んで内省をし、どうしたら上達をするのか、自分自身が己の批判者だった者。
それは、人からの声をもらう前にどんどん上達をしてゆく人たちでもあります。

しかし、自分自身が自分に対する批判者である事は、実はとても難しい。
自分自身を厳しい目で見つめようとする事自体が、容易な事ではないからですし、
それ以上に、自身のどこをどう改め、どう伸ばしてゆくべきか、
客観的に判断してゆくのがそもそも難しいからです。
しかし、もしそれらができるなら、大変な理想です。
自立が完成してる人間とは、このような人を指すのかもしれません。

でもですよ、私たちはもし、自分自身が己の批判者になれなくとも、
その場合は周囲が助けてくれるんです。
それが批判という贈り物。
批判とは、なんとわざわざ他人が時間と労力を削ってくれた上で、
私たちに届けてくれるんですよ。

残念ながら、人間は、自分自身の批判者には中々なれず、
そしてまた、大変にもったいない事ですが、
他からの批判も中々歓迎をしようとはしない。

なんともったいない事か。
これ、どういうことなのかさっぱりわからない人もいると思います。
己自身という批判者、他からの批判、そのどちらも受け入れない人は、
何を取り組んでも、実は中途半端に終わってしまうんですよ。
それらは学校の勉強にしろ、営業の成績にしろ、職人の上達にせよです。
それは例えれば、監督なりコーチなりが不在のまま、
少々だらけぎみでも文句を言う人がいないのと同じ事なのです。
ところが、自分という批判者、他からの批判、
そのどちらかでも受け入れている人たちは、たいていは何をやらせても優れ、秀でているのです。
だからもったいないと私は言ったのです。

でもこれだけでは受け入れにくい、納得をしがたい、
そういう方もいるかもしれませんね、
なので今日は実話を二つほど。

ある時、東京は高田馬場に、一軒のラーメン屋がオープンしました。
開店したての頃、お客になんと、「まずい」とはっきりと言われたそうです。
(まずいものをまずいと言ってもらえるなんて、なんとうらやましい事か!)
その後、すぐに店を閉めて、三週間、新しいラーメン作りに奮闘。
結果、大行列の店へと変貌を遂げた。
その店は、ある年の大晦日に、TVでやっていた全国人気ラーメン店NO1に輝いた、
あの、「俺の空」というラーメン店。

同じくラーメン店で恐縮ですが、
げんこつラーメンで知られる「花月」の大チェーン店もそう。
最初の頃、創業者はお客に、「こんなまずいラーメン食えない、インスタントのほうがまだまし。」
そう言われたのをきっかけに新しいラーメン作りに入った。
そして今の味があるし、チェーン展開も大成功をしている。

もし、どちらの店の主人も、批判を受け入れず、
塩を撒いてお客を追い出してしまっていたなら、
これほどの成長はなかったかもしれません。
私は、批判を自ら受け入れた両店主に、拍手を送りたい。

つまらないプライドと批判という名のコーチ、
私たちにとって本当に益があるのははたしてどちらでしょうか。







批判は、私たちの無料のコーチです。
そして批判は、「他カラ」やってくるもの。
つまり、批判とは、本当は「宝」なのです。





もし気に入った記事がありましたら
ぜひ当ブログを応援お願いします

人気ブログランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ精神世界
すべて新しいウィンドウで開きます

当ブログがあなたのお役に立ちますように

コメントにて感想歓迎です


応援ありがとうございます!

JUGEMテーマ:引き寄せの法則
ブログパーツ

 2009年 6月1日現在のブログランキング順位

 ただいま3つのランキングに参加していますが、
今順位を覗いてきました。

人気ブログランキングへ
BLOGRANKINGの、哲学・思想ランキングで、369ブログ中、133位

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
ブログ村の、人生・成功哲学ランキングで、293ブログ中、24位

精神世界 AirRankingの、精神世界ランキング で447ブログ中、148位
もし気に入った記事がありましたら、ぜひ当ブログを応援お願いします
すべて新しいウィンドウで開きます
当ブログがあなたのお役に立ちますように

ブログを書き始めてからまだ一週間、
ランキングに参加してまだ数日なのに、
皆様にはこんなにも応援していただき、
本当にありがとうございます。


みなさまの応援のおかげで益々やる気が出てまいりました、
これまで、「上を向いて歩こう」に書きつつも、文面の尺調整や、
奥まった部分は説明が難しいと感じては書かずにいたもの、
どれも懸命に書いて参ります。

それと、成功のジャンルで24位とは激しく嬉しいのですが、
ここでみなさまにとっておきの情報を。
「上を向いて歩こう」には、隅々をよく読んで頂かないとわからないかもしれませんが、
最近流行の、「引き寄せの法則」にあたるものが至る所にあります。
ぜひ読まれてみてください。

私も、それらをまとめたものを今後わかりやすくカテゴリーに分けてUPしてゆく予定です。

今後とも応援よろしくおねがいします。

また、些細でも構いませんので、感想を頂けるとわたくし大変に嬉しいです。


文を書く時の私の悩みのタネ

JUGEMテーマ:スピリチュアル
ブログパーツ

 文を書く時の私の悩みのタネ

 「偽霊能者の特徴 理由や根底、道理説明の希薄さ」では、
その説かれている内容に根拠や理由がほぼ省かれて書かれているケースは
パクリ型であったり、空想型なのだと記しました。
もしその説かれる文が、自身で思索し、掴み得た内容であるならば、
本来はきちんと道理に沿った話にまとめる事ができるはずであると。

実はこれ、説かれる内容がおとぎ話でもない限りは、ほとんどのケースに当てはまりますが、
どうしても道理に沿ったまとめ方ができないものもあるにはあります。

たとえば、私が1996年6月、今から数えて13年前から書き綴ってきた、


オーラが見えるのウソ

JUGEMテーマ:スピリチュアル
ブログパーツ

 オーラが見えるのウソ

 近頃巷では、人様の持つオーラを目で見る事のできる方がおられるそうですな、
私、実は、そういう話を聞いたりしてはおなかを抱えていました。

無論私は、日記サイトのソース内で、ある少年グループたちのどんよりどす黒いオーラを観たとも書きましたし、
隠し裏日記でも、今時珍しい理想に燃えているように私の目に映った、
政治家の講演を聴いている時に青いオーラをはっきりと観てもいますし、
自分の持つオーラが青紫色であったのを、以前に自分のこの目で観てもいます。
でもですよ? 私はオーラをこの肉眼で観た事はありますが、(実は誰でも観れるものなのですが。)

他の方々のオーラを見つめて、ああ、貴方のオーラは何色です。
だとか言うのは、とても真似できません。
逆立ちしたってかないません。
だってあんなもの、できないんですから。
実はオーラは、物理的な私たちのこの目で観ることのできる可視光線とまったく周波数が同じなんです。
だから私たちのこの肉眼で観ることができるんです。
ですが、蛍光灯でもなんでもいいですが、照明のあるような場所では、
他の光源にかき消されてしまい、観ることは不可能なんです。
それほどにまで、人間が放つオーラの光は微弱なんです。

私が以前、日記サイト内で書いた、
ある性犯罪少年グループたちに取り巻くどす黒いオーラを電車内で観ることができたのは、
外は夕方にはまだ時間があるにも関わらず、
空一面は今にも大雨が降りそうなグレーの雲で覆われて外はかなり暗く、
電車の中はかなり薄暗かったという好条件が揃っていたから。 
そして尚且つ少年らが10人前後で固まっており、性犯罪者のお仲間同士に相応しく、
皆が同じオーラを発散していたからでもある。
そう、夜の電車のような蛍光灯でいっぱいな電車ではなかったという好条件に恵まれていたから。
そしてもう一つ、体育館の壇上で講演していた政治家のオーラが観えた時も、
演出の為なのかは分からないが、体育館の中は夕方近かったとは思うが、
大変に薄暗い照明がおまけ程度に点いているだけで、
壇上に立つその人の周囲は照明らしいもののない、かなり薄暗い状態だったと言う事。
こうして、余程の好条件が揃わないと人様のオーラを観る事はできないのです。

私が自分のオーラを青紫色なのだと知った時も、
もちろん光のほとんどないような薄暗い場所でようやく観れた位に視認は難しいものなんですよ。
視認する時は暗い方が良いと言えども、色を見分ける事が出来る程度にでなくてはなりません。
ではいったいどうしたらよいのか?
そうですね、たとえば、真夜中、部屋のカーテンをしっかりと閉め、
もちろんあらゆる明かりは消しておき、真っ暗でほぼ何も見えないと感じてから2.30分ほど経って
部屋の中の様子がうすらと分かる程度の状態、
この状態位でないとオーラを視認するのはほぼ無理です。

つまりですね、人間が放つオーラはあまりにも微弱すぎるんです。
ましてですよ、その人の健康状態が悪いようであれば、
尚の事その人から発せられるエネルギー、つまりここではオーラですが、
人様が見て視認できるほどのパワーはないんです。

もう一度ここで言います、オーラは物理的な私たちが感知する事の出来る光と同じ域にある周波数、
いわば私たちが日ごろ触れている物理的な帯域の光なんです。
だから微弱すぎる上に照明で明るい部屋にいるならば、どれだけ凝視をしても、
普段は私たちの目に見える他の光線にかき消されてしまい見えません。(蛍光灯など)
これはいわゆる上書き状態と言えるもの。
さてでは、オーラは本当に、
物理的な私たちが普段感じている周波数帯域のものと同じなのか?
オーラは実は、専用のカメラや機械で写す事ができます。
これは私たちが目で捉える事のできる可視光の証拠です。
オーラは物理的な光ですから、当然機械さえ揃えば撮影ができます。
「オーラ撮影」で検索されてみてください。
これはつまり、かき消してしまう日常光線をさえぎる形で撮影をしているのですね。


結論。オーラを観る能力は霊能力でもなんでもありません。
なにしろ微弱なだけで、可視光なのですから。



今回、
2006/12/24に別の日記サイトの方に綴っていましたものを整理してまとめてみました。


もし気に入った記事がありましたら
ぜひ当ブログを応援お願いします

人気ブログランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ 精神世界
すべて新しいウィンドウで開きます

当ブログがあなたのお役に立ちますように

コメントにて感想歓迎です


相手を恋愛対象とする 愛の射程距離

ブログパーツ


『 2章 ふたりが惹きあうために 』


 【 相手を恋愛対象とする 愛の射程距離 】

 名刺の話ではちょっとした工夫により相手の意識が自分に傾く、好意をもってあなたに近づきたくなる様子を示しました、
これは非常に重要な事でして、男女間の真理の一つかもしれません。
すなわち、自分にとって都合の良い些細な思い込み、場合によっては大きな勘違い。
無意識的に相手を自分の理想像に結び付けて解釈していく事は恋愛の始めであり、
また、いかなる年齢差や環境差による障害をも無にしてしまえる程の強い力があるのです。

十、二十と年齢差があるにも関らず男女の仲になってしまう、
社内恋愛や不倫など端から観ていてなぜなのかはこの辺りにもあるようです。 
私はこのような、相手を恋愛対象内に入れて考えたり接する事を「好意の射程距離に入れる」と呼んでいます


射程距離を縮める方法 話しかける

ブログパーツ


【 射程距離を縮める方法 話しかける 】

 射程距離の概念はおおよそおわかり頂いたと思います、ここでは実際に恋しい異性との距離を縮めてゆき、
相手にとって射程距離の中でもっとも近くに寄る具体的な縁の作り方を進めてゆきます。

 日常で異性と縁の薄い人というのは、実は「話しかける」事が少ない人なのです。
男性も女性も実のところ見た目が大きなウエイトを占めているのだと一般には考えられがちですが、
実はそうではありません。
とにかく話しかけることです、ではなぜ話しかけるのか?
「相手にとっても日常の中であなたに話しかけるのが自然になるように。」なんです。
 ここではある人の体験談をわかりやすくまとめたもので話を進めましょう。


愛されるために自信を持つ 自分を信じる

ブログパーツ


 【 愛されるために自信を持つ 自分を信じる 】

 普段私達は人の言葉を信用できなくても自分の心で感じた思いは信じる事ができますよね、
ここではその自分を信じるという事をじっくり考えてみたいと思います。
 私はこれまで自分自身を信じて頂きたいとお話しをしてきました、
ある時は今まだ自分自身の中に眠っているであろう力を信じて欲しいとも述べてきました、
自分を信じるとは「根拠あってゆえに自信あり」。 それは自信を持つ事に他なりません。
自信を持つとは、根拠あってその様な人物であるとみずからが理解する事です。
そして自信を持ち、そのような人物であると自分を信じる事はそのような人間にますますなってゆく事でもあるわけです、
私達は信じた通りの人間である事を理解している。
 ある美しい女性は、自分が美しい事を信じており、その自分に相応しい心構えや行動を通してさらに美しいと理解しています。
たとえば、


愛されるために自信を持つ 人は成りたい人になれる

ブログパーツ


 【 愛されるために自信を持つ 人は成りたい人になれる 】

 自分を信じるというテーマの続きになりますが、そのような人物であると
信じるとは自ら認めた自分らしさの発現、発達とも言えます。
例えば気弱な人がある時やむなくけんかをしたとしましょうか、
やむなくではあったはずのけんかに勝てば自分に対する自己評価が変わってゆきますね?
自分は意外とけんかが強いのではと思うかもしれない。
するとそのような自己評価が意識に根付いていき、
しばらくするととても攻撃的な人柄に変わってしまう場合もあるわけです。
人は自分に都合が良いと思うものは素直に肯定していきますから、
その様な攻撃的な人柄であるからこそのメリットに深層的に着目し、ますますそのような人物たらんとしてゆこうとします。
ここではそれをこんな話でたとえてみましょう。


意識  心が通い合わなくなる理由

ブログパーツ


 【 意識  心が通い合わなくなる理由 】
 これら見てきたように異性に対する姿勢はその人の精神性を顕わしたものであります。
これら精神性、いわば意識層のどの幅に位置しているかで私達は出会う異性や同性とどれだけ親密になれるかも分かってくるようになります。
自分のステージと周囲にいる異性とのステージのギャップを推し量る事により、そのおつきあいがうまくゆくか壊れてしまうかが見て測れるようになるのです。


今後の予定

ブログパーツ

 みなさまにおしらせNO 1


 今後の予定


 「上を向いて歩こう」の第一部までを再UPし直しました。

 まだ左サイドには、各話に直に飛べるメニューがないですが、
近日中に仕上げる予定です。

 また、「偽霊能者の見分け方」ですが、
最新エントリーから消えてしまっても、こちらもいつでも選んで読めるメニューを追加します。




もし気に入った記事がありましたら
ぜひ当ブログを応援お願いします

人気ブログランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ 精神世界
すべて新しいウィンドウで開きます

当ブログがあなたのお役に立ちますように

コメントにて感想歓迎です



| 1/3PAGES | >>