ご意見に対しここで返答します
どうやら頂いた内容からしてあの方の信者さんか何かのようですが、
ルールで決めてあります通り、思い違いをされていたりスジが通っていない内容なので公開にはしませんが、
(思い違いやスジの通ってないものは大勢の人たちが勘違いしてしまいますから。)
お返事だけはしたいと思いますし、いい機会ですので過去に個人日記サイトで記した内容も合わせてここにUPします。
>駄々っ子のわがままな弁解にしか映りません。
上は引用しておきますが、
大体ですね、あの人の言い訳はなんですか、これは超能力だった。 とか。
なんですかそれ。
冷静にみつめればあの方の言い分こそめちゃめちゃなんですが。
あの方にこそ言ってあげてください。
私の記事の数日後に「ほぼ同じ文」が出てきた。
これ曲げようもない事実ですからね。
この件に興味のない方はここで読み終えて頂いて構いません。
興味のある方は更に下に続きを書きましたのでお目通しを。
盗作は許せない! ご賛同の方は応援クリックお願いします。
この記事のコメントでは名前は必ず伏字でお願いします
傾向が似てしまうのは仕方がない?
わかってないんですね。
パクラーというのは、人様のまるきりのオリジナルをパクル大胆な人は滅多にいません。
どことなく一般的に浸透してそうなものとか、一般論に聞こえなくもないもの、
そうした中でたまたま似てしまっても、一般的な概念でありそうなものだからと偶然で片付けられそうと思えそうなもの、
そうしたものが主に狙われやすいんです。
(でもそうした中でもカッコつけれそうな響きのいいものが狙われやすい。 なぜか?人様のモノでメッキを張りたい、人前でカッコつけたいからパクル。 その心情の表れだからです。)
たとえば今回なら、
「人の幸福を自身のことごとく喜び、人の苦を自身のことごとく涙すること。」
コレ、道徳としてなら当然アリな内容ですね?
人の道として当然ありですし、これが肝心ですが、
勘違いをしているようですけれども、
こうした概念の中身をオリジナルだと言い張っているわけではないんですよ。
人様のブログなりでみかけたこうしたものを、一般的な概念としてアリと受け止めれそうだからといって、
拝借する、それはパクリでしょうが。
そのパクル人は、「その時」、それを他で読んでいなければ書けていなかったのですからね。
それとですね、大きな勘違いをされていますが、
私はとあるランキングでは「スピ」と銘打ったカテに参加をしてはいますが、
私自身は自分の書いてきているものをスピと思っていませんし、
アンチスピですらあるんです。 ですからスピと銘打ってあるカテにはアンチのつもりで参加しています。
このことは当ブログでどこかの記事でのコメントに事実そう返事をしています。
そう、精神世界として参加はしていますが、スピのつもりはありません。
何を言うかと思うでしょうけど、米さんの思い込みなんですよ。
私は現代スピが流行りだす遥か以前からオリジナルに文章を書き始めているんです。
文章自体は遡ること16年前からです。 (きっかけである「ことはじめ」や他の修行はもっと以前からですが。)
その後の2005年頃あたりから世間では一躍スピなるものが流行り出しましたが、そんなものは私にはどうでもいいことです。
しかし、私が古くから書いてきたものはいまやネット時代の弊害もあり、現代スピにいくつも勝手に取り込まれていっています。
私がこれまでどれだけ盗作をされてきているのかあなたは知らないんです。
ネットでたまたまみかけた、まだランキングあたりに参加してるような、くすぶっているスピオタクくらいに思い込んでいるんでしょうから、
当然現代スピの土台となってきたものを幾つも書いてきているのがこのブログの管理人だなどと信じられないことなんでしょうね。
16年前、それ以前からスピと呼ばれていそうなものはマイナーながらもおそらくあったのでしょうね。
しかし私には関係がないんです。
米さんはおそらく文面からして思い込みされていますが、
ちまたのスピ本など私は読んでいません。
スピを学ぶ過程で一度は学んでいるものだろうとか勝手に決めつけていますがね、
私はスピなるものを学んできたつもりはありませんし、スピ本を読んで学んだつもりになってるわけでもありません。
勘違いされないでください。
私が精神世界モノで遠い過去に読んだことのあるのは、生き様が書かれている自叙伝や半生記や体験記、
こうしたものです。(20歳の頃に天眼通獲得のための本だけは読んでいますが。)
2005年以降を私は現代スピと呼んでいますが、たしかにそれ以降はスピ本として売られているものが急増しているのは知っていますし、
2005年以前は書籍でもそうですし、こうしたネット上のサイトやブログですら、
スピリチュアル系のものなど滅多に聞くことはなかったんですよ。
今でこそとあるTVの影響で、オーラだの過去世だのが一般に浸透し、スピブームなるものを迎えてはいますが、
以前はこうしたもののブログなりは滅多になかったんです。(特に2000年以前は。)
それはなぜか?、以前はこうしたものに関わる人はかなりの少数であり、だからこそ異端児でしかないから。
かつ、これ重要ですが、世間に過去世がどうだのあなたのオーラがどうだのと人前で言う人は気味悪がられる位だったのを今の人達はすっかり忘れています。
なのにですよ? この私がスピを学んできた?まるで既存のスピ本でも読みあさって学んできたみたいに聞こえますね?
(こうしたあたりからして米さんの思い違いですし、スジ違いというもの。)
私は瞑想と断食と、日常の生活そのものすべて、「生き方そのものを修行にしてきたんです。」
生きていく日常で普段できる、考えうる限りの道徳や善行を自分に日々課して生きてきたんです。
ある時を境に自他滅却を目指し、人々に些細な事であろうと、生きる瞬間を奉仕する生き方を選ぶよう努めてきたんです。
それはここでは詳しくは触れませんが、私は合一を目指しているからです。
16年前の文章を書き始める頃から今もずっとです。 そのおおまかな内容は
http://firstdoor.jugem.jp/?eid=252 (そうして段階としては浅いながらも幾ばくかでも手が届いたのが見性。)
その上で書いてきているものなんです。
(自分で普段の力量以上のものが書けるのが見性時であり、私の年に数日あるかないかの見性時にこそ普段以上の力量のものが書けるのです。
その見性の状態に戻りやすい、後押しをしてくれるのが断食なんです。 断食そのものが目的ではないんです。)
本や人から教わって文章を書いてきている人たちと同じにしないでください。
私が自分で掴んだ真理を文章にしているんです。
浅いながらも見性に届いたと実感していますし、その上で自分の文章を書いてきているんです。
私も確かに今は引用をすることはありますよ、でもそれはわかりやすいようにするためにそうし、
引用するなら出典元を明かしています。(主な引用のそのほとんどはあの、○○○○の自叙伝なわけですが。)
米さん、実はですね、あなたの思い込みとほとんど同じように思い込んでいたから以前にメールが来たことがあるんですよ、
ここにそれを載せましょう、そしてその時の私の返答も。
******************************
まずは2007/1/4の私の個人日記サイトから。
皆様からいただくメールでは、応援、批判、その他に、質問もぜひお送りください。
今の私は思う所がありすぎて書ききれそうにないんです。
ですのでぜひなんでも質問してください。
ですが、思う所、今日は少しばかりここに綴ります。
なぜこれまで、盗作されていたのを知りながら放ってきたのか、きっとそんな疑問を抱かれておられる方もいるかもしれませんね、
放ってきたのではないんです。 これまで日記でも、幾度となく盗作に気づいた事を綴り、
もうやめてくれるようにと懇願をしてきた。 それも、許しているからもうしないで欲しいと。
盗作をされている側でありながらなぜそんなにもおとなしくしていたのか?
それは、私が実証主義を貫いてきたから。
「分け与え分かち合い、 許しあい愛し合え」
これは私が自分の原稿内に綴った言葉です。
もし、私が人を許す人間に成れないのなら、その私も、何事においても人から許されない人間でしかない。
だから穏やかに訴え、許してきたのです。
ですが、これ以上野放しにするわけにはいきません。
私は、分け与える人間になりたい。 そういう人間になりたい。
でも、それとこれとは別なんです。
盗作とは盗みなんですよ。
これは分け与えるのではなく奪われているんです。
これまで私はずっと彼に奪われ続け、これだけの彼の盗作の数が揃った今、
今になって、ようやくですが、気づいた事がありました。
こんなにも盗作をされてきて、そしてこの先もされ続けるなら、
10年以上をかけて費やしてきている私のこの原稿は、
出版社の門を叩き、世に出そうとする時、
逆に彼のまがい物とされ、世に送り出す事が難しくなってしまう。
それを私は遅かれながらも気づいたのです。
私は、だから、彼のこれまでの盗作を許してはいますが、
これ以上させるわけにはいかない。
そして、現状、私の原稿を書籍として世に送り出すのは盗作をされなかった場合と比べて難しい。
なら、私は、世にこれらの事実は認知してもらう必要があるのです。
ただその為なんです、私が今こうして盗作されてきた事を公言をするのは。
「悪貨は良貨を駆逐する」と言いますね、
決して私が立派な良貨だなどとは言いません、ですが、盗作はメッキであり、決して良貨ではありません。
これまで、許しているからもう二度とはしないでほしいなどと日記で綴るばかりだったよい鴨が、
今では盗作されていた事を騒ぎたてはじめ、彼は今驚いている事でしょう。
ですから、彼はあらゆる手段で言い逃れをするかもしれません。
一旦味をしめた事は、その人の悪癖となりやすく、習慣化してしまう。
あらゆる犯罪の再犯率の高さはこれにあるのだと考えています。
彼は、盗作の味をしめた。
だから繰り返す。
こうして、私が気づけた範囲で盗作された箇所を指摘してはきましたが、
私が確認をしていないだけで、おそらく他にも沢山の盗作箇所がこれからも露わとなってゆく事でしょう。
鏡の法則にしても、波長の法則にしても、太陽と北風で喩えた話にしても、
人は愛なしでは生きてゆけないと書いた日記も、国の持つカルマも、
子が親を選んで生まれてきたという箇所すらも、
それはありとあらゆるものが、私の書いたものの中から彼は盗作をしてきた。
彼の人前で唱えているもののベースは、私の書いたものの中から生まれたもの。
彼は、これらの中のモノは世間でも指す所の一般的な見解もあるのだから違うとでも言い張るでしょうか?
私の文からそっくりそのままの形で借用してるものすらいくつもありますが。
無論、私も本を読む事はあります、ですが、その人物の半生や体験記を描いたものが主体であり、
(笹目氏や内垣氏、シャーリマクレーンの体験記、パラマハンサヨガナンダの自叙伝といった。)
原稿書きの参考になりそうなデータものは避けてきました。
それであっても参考にしたものは、原稿の巻末に参照にした書籍をきちんと明示をしてきています。
私は、たとえどれだけ月日がかかろうと、因果の法則を自分で思索考察をし、自ら実証体験をしてゆきながら書いてきているのです。
だから私の原稿や下書きは、くまなく読んで頂ければ理解して頂けると思いますが、
書いてる著者が100%理解しているものを、噛み砕くように、できうる限り、
読んで理解をしやすいようにといった書き表し方をしているのに気づかれるはずです。
私は、因果、カルマを、ただ漠然とカルマというものがありますなどと説明にもなっていない書き方はしません。
因果とはカルマとはなんなのか、あらゆる限りできうる限りの比喩を駆使して書き表そうとしています。
それが本当なのかどうなのかは、ぜひ今のうちに私の書いた原稿を読まれてあなた自身で確かめてみてください。
> 鏡の法則にしても、波長の法則にしても、太陽と北風で喩えた話にしても、
> 人は愛なしでは生きてゆけないと書いた日記も、国の持つカルマも、
> 子が親を選んで生まれてきたという箇所すらも、
> それはありとあらゆるものが、私の書いたものの中から彼は盗作をしてきた。
> 彼の人前で唱えているもののベースは、私の書いたものの中から生まれたもの。
> 彼は、これらの中のモノは世間でも指す所の一般的な見解もあるのだから違うとでも言い張るでしょうか?
> 私の文からそっくりそのままの形で借用してるものすらいくつもありますが。
日記の中のこの部分について注釈しておきますが、
これら多数をパクっている方は同一人物です。
これだけに留まらず他にも数多くパクっている方です。
この方は今ではとても有名になられました。
********************************
2007/1/8
最近はぼちぼちとお手紙を頂いたり、
またある方はご自分のブログでこの件に触れたりされる方もおられ、
徐々にではありますが世間にてこの件が認知されつつあります。
(ブログを書かれた方、お手紙待ってますよ)
さて今日は、頂いたお手紙の中でも、
私が触れたかった部分を指摘されてるメールを頂戴しましたので引用し、
その指摘に対する見解を述べておこうと思います。
> 波長の法則、カルマ、子が親を選んで生まれてくるという話は、
> 昔からあるスピリチュアルな本でずっと語られてきましたよね。
> ですので、最近の霊能者が言ってる事も、すでに心霊哲学者の間では常識のようです。
> ひとつの真実、真理を、昔から色んな人が語っているのだから、内容としては同じ事を言ってるのは仕方なくないでしょうか?
仰りたい意味はこれまで十分に理解をしています。
彼はまさにあなたが言われるそこをついてきたのですよ。
カルマという概念、これはいにしえからあります。
もちろんです。
ですが、彼は、あなたが言われるように、
一般的な概念だろうと踏めるものを狙い撃ちした形で盗作をしているのです。
> 昔からあるスピリチュアルな本でずっと語られてきましたよね。
しかしこの部分はどうでしょうね?
スピリチュアルと呼ばれる分野の中で提唱をされているものが、
一体どの範囲にまで及ぶのかは私は知りませんが、
波長の法則といったものは、心霊哲学者がうんぬんするというより、
対人間間における科学のような分野こそ相応しくはありませんか?
これらのように、彼の盗作は、一見、
スピリチュアルや心霊哲学者のカテゴリーに納めてしまうには無理のあるものもかなりあるようです。
> ですので、最近の霊能者が言ってる事も、すでに心霊哲学者の間では常識のようです。
この、常識のようです、という文もかなり不透明に感じます。
> 波長の法則、カルマ、子が親を選んで生まれてくるという話は、
> 昔からあるスピリチュアルな本でずっと語られてきましたよね。
この部分について私の思うところを書かせて頂きますが、
私はそれら、世で言う所の「スピリチュアル」と呼ばれているものを読んだ事はありません。
ですのでその断定には賛同できかねます。
私が主に読むのは半生や体験記が主体ですので、それらデータものは避けてきています。
ですからそれらをスピリチュアルなのだと言われても理解ができないのです。
> ひとつの真実、真理を、昔から色んな人が語っているのだから、内容としては同じ事を言ってるのは仕方なくないでしょうか?
突き進めて考察思索してゆき、同じものに行き着いた、そういった見方をされたいのもよくわかります、
ですが、鏡の話、波長の話、親を選んで生まれてきたという話、
人は愛なしでは生きてゆけないや、マクロなる因果や、その他さまざまなもの、
そしてこれからも沢山露見してゆくであろう彼の数々の盗作箇所、
贔屓目に偶然と片付けたとしても、あまりにもその数は多すぎませんか?
> 昔からあるスピリチュアルな本でずっと語られてきましたよね。
彼がもしいくらこれらを盾にしようとも、その数はあまりに多すぎます。
これらすべてが偶然の一致なのだというのはもはや天文学的な確立としか言いようがありません。
そしてそれら天文学的な確立の偶然がはたして起こりえるものでしょうか?
否、彼は、世で言う一般的な見解にみえなくもないものを主体に、
そして時には私が綴った言葉そのままに使っています。
これを確信犯と言うのです。
それは、彼には、
> 昔からあるスピリチュアルな本でずっと語られてきましたよね。
心の奥底にこういった詭弁を用意しているからなのです。
しかしそれも、あまりに一致するものが多くなればなるほど、
実際は偶然似てしまったのではなく、
私のものを読んだ上で盗作をしていたのだと白状をしている形になってしまうのを彼は忘れている。
彼は私が盗作を暴露などするわけがないとこれまで安心をしてきた。
彼がそう考えたであろう事は容易に推察できます、私は、許しているからもうやらないで欲しいなどと、
生ぬるい事ばかりを日記に書き綴り、まさか怯えて抵抗もできないままのような犬が、
突然噛み付いてくるなど想像できたでしょうか?
これだけの数の一致はなんだと思います?
それは彼の盗作だからです。
そして、それら彼がした盗作箇所は、
私が気づかなかったものすらもが、これからも沢山露見をしてゆくでしょうね。
なぜなら彼は、私が噛み付かずおとなしくしているものだと思い込んでいたから。
ここで皆さんに考えてみて頂きたい事があります、
なぜ彼は、最初に盗作した一連のものを「愛」を題材にした書籍に盛り込んだのか。
そして次になぜ育児書を書くときに盗作箇所を盛り込んでいったのか。
前者は彼が愛という分野をちょうどその時書いていたからでしょう。
では育児書は?
私は、自分の原稿を書き進めながらも、育児に通じるものも幾つかの箇所で書き綴ってきたのを皆さんは覚えているでしょうか。
九章では、 【 正見による人との接し方 】を書きました。(育児に通じる箇所はここだけではありませんが。)
ぜひ今一度お読みになられてみてください。
そして、盗作をしたその人の該当書籍がお分かりになるなら比較しながら読んでみてほしいのです。
彼のその書籍は、私の書いているものをベースにしている箇所がふんだんにあるはずです。
彼はこうしてこれまで、私のサイトを参考書がわりにしてきているのです。
彼は、私の書いているものをベースにしてきた、だから愛、そして育児と、
それらの書籍の順序は私の書いてきたもの通りの順番なのです。
(これは彼のほかの書籍にも言えるはずです。私が古くに書いたものは彼も古くの書籍、
私の書いた比較的新しいものは彼の書籍でも比較的新しい書籍に盛り込まれているはずです。
それらはこれから露見もしてゆく彼の盗作箇所を見つめてゆけば自ずと判る事でしょう。)
こうして味をしめた彼は、私の書いたものに納まらず、ついには他の方の書籍ににまでその盗作は及ぶようになった。
それが現在の彼。
これを読まれている多くの皆様へ
彼の私が気づけなかった新たな盗作箇所を発見されましたならぜひお手紙をお送りください。
ある程度まとまった時点でそれらを公開してゆきますので。
********************************
2007/1/10
今日はある方への返事をこちらにて。
○○さんこんにちは、はじめまして、愛上王と申します。
ご意見頂きまして有難うございます。
今日返信を書きますのは、思い違いをされているようですので、
そのあたりをお話しておこうかと思います。
「誰が先に書いたか、誰が先に言ったか」
まずこのあたりにこだわられているようですが、
私は、盗作をした人がいるという一点に焦点を当てています。
つまりそもそも主旨が違います。
あなたが仰りたいのは、概念としては古くからあったろうから誰が今さら言おうが関係ない、
そう言いたいのでしょうね。
そういう視点で盗作の件に触れているのではありません。
盗作か否かを問題にしているのです。
例えば、イエスの放った言葉をそっくりそのまま自分の言葉のように人々に喧伝
してるものがいたとしましょう、これはあくまで仮にですが。
聴衆に混じりイエスの言葉を聴き、イエスのいない場所に出かけては、
そっくりそのままをさも自分の思想の如く人々に語ったとしたなら、
それは誰の目から見ても盗作でしょう?
私の書いた原稿ですが、ここでも仮に、
○○さんが数年かけて書き上げたとしましょう、
サイト読者がそれをちょこちょこと盗作し、
さも自分の考えのように喧伝をしていたなら、
それは盗作でしょう?
何年も月日をかけて書き上げてきたのにも関わらず、
さも自分のもののように振舞って使われる方がいたなら、
気分はよくないのではありませんか?
サイト上ではすでにお答えしましたが、
今一度ここで。
彼は、一般的な概念に見えなくもなさそうなものを主体に選んで盗作をされています。
「人は愛なしでは生きてゆけない」
突き詰めて考察すれば、これらは一般的な概念ではあろうと思います、
太陽と北風を引用し、そこで私が喩えを織り交ぜながら話した部分もです。
こういった、なんだ、そんな事は一般概念じゃないか、そう受け取れそうなものを主体に彼は盗作をしているんです。
そこが彼の狡猾な所なのですが。
しかしよく考えれば、それら一般的な概念にみえそうなものであっても、
同じ人物の書いたものの中からいくつもあれもこれもと使っているなら、
それら一般的な概念だろうという建前を狡猾に利用した「盗作」ではないですか。
違いますか?
盗作者というのはそういった自分に都合よく受け取れる建前はちゃんと用意してるものなんですよ。
それらは自己欺瞞なんですがね。
一般的な概念にみえなくもないだろう、だから盗作だと私が決め付けてかかるわけにもいくまい。
そういった考えが彼にあっての事なんですよ、これらは。
しかし彼は、ほどほどにしておく事を知らなかった。
なにしろうまくいってしまったんですから。
だから彼はそれ以降も続けたのでしょう。
そしてそれこそが致命的なミスなのですが。
私の書いた中でも古くのものは彼も古くの本に、
私の書いた中でも比較的新しいものは、彼も比較的新しい本に書かれているはずですよ。
たとえどれだけそれらが世間で言う所のスピリチュアルと呼ばれるものに相応しい内容で、
自分のものの振りをしようとも、こういった事にまで彼は考えが及んでいなかった。
だから彼は延々と盗作を続けてきたのです。
>昔からあるスピリチュアルな本でずっと語られてきましたよね。
この部分、あまりに曖昧すぎますよ。
私の書いたもののうちの一部がそれらの世界で言われる中にも以前からあったと言われたいのでしょうけど、
これはせいぜいがカルマの法則くらいしか思い当たりません。
私の書いてきたものはあなたからみれば、
そういったスピリチュアルなる世界のもののように映ってみえる、
要はそういうことでしょう?
あなたの主観でしかないのに、
私の書いたものをすでにそれらの世界にあったかのような断定はよくないのではありませんか?
もちろん、自分自身でこれまで書いてきたものの中にはそれら世間でいうスピリチュアルなる世界の枠の中に収めてもおかしくないように
見えるものあるでしょう、ですがすべてをそうだときめつけておられるからそういった主観で判断をされてしまう。
>ですので、最近の霊能者が言ってる事も、すでに心霊哲学者の間では常識のようです。
これも同じですね、主観的希望的観測で、常識として扱われている、と、なんら根拠なく思い込まれておられます。
こういう思い込みをされると、私がこれまで書いてきた、これからも書いてゆく、原稿や下書きはみな、「常識のようです」の一言で
なんでもかんでも扱われてしまうことになってしまう。
そもそも、○○さん、あなたは、私が、何かを読みふけりながら、
モドキ物でも書いているのだとでも思い込んでいませんか?
私は、内垣氏の半生や、笹目氏の半生、シャーリマクレーンの体験記、
ヨガナンダの自叙伝、こういった人生の物語は読みますよ、
あとはせいぜいスポルディングのあやしい体験記くらいですね。
ですがたとえば、シルバーバーチの本などは読みませんし、
バガバッドギーターも棚にありますが、まともに読んだ事がありません。
聖書もろくに知りません。 きまぐれで数ページ読んでみたことがある程度ですし、
私にすれば、どれもああいったものは読むのがおっくうでめんどくさいのです。
これらは私にとって、噛み砕くようにできうる限りわかりやすく書かれているとは思えないのが一因していますが、
(もうひとつ肝心な理由があります、後で書きます)
どちらかといえば私は仏教徒と思ってはいますが、
仏典すらも隅々読んではきていません。
例えば、仏教では四諦やら八正道があるといいますが、
私はそれらがどういうものなのかをお恥ずかしい話ですが実は知りません。
ただ満足に言葉として知っていたのは正見くらいなもの。
その正見すらも、正しさの正確な基準がなんなのかいにしえから世では問われ続けており、
正確な答えをこれだと表明してきた人物はいないのだと聴いておりました。
○○さん、たとえばこれまで、正見の正確な真の基準を誰かの本や人づてで聴いた事がありますか?
あるはずがない。 誰もその答えをこれだと明示してこれなかった未踏の難関だからこそ
正見の真の基準が世に書籍等で浸透してこなかった。
私の書いた正見の答えは、私が断食と瞑想とによって得たものなんです。
これは私の書いた原稿の他の部分にも言える事なんです。
私が何かをやむなく参照にした場合は、それらの書籍をきちんと明示してきています。
もっともそれらは、不思議な事ですが、たいていはその原稿を書き上げたあと、
しばらくした頃に引用や史実として付け加えるのに相応しいものと突然出会っての事なのですが。
まあこのあたりの事は、私の原稿にばかり目をうばわれるのではなく、
原稿が書き進んできたそれまでの間の様子が綴られている私の日記を「くまなく」お読み頂けないと分からない事ではありますが。
私がなぜ「盗作」に視点をあて、それにこだわるのか、
そのあたりをお話しておきましょう。
頂いたメールを読む限り、少なくとも私の原稿のフル版だけは最低限お読みになられていると思います。
私は、この原稿仕事は、どこそこの出版社に依頼を受けてとかいった、ごく普通の取り組みではじめたのではありません。
もしそうだったならどれほど気が楽だった事か。
シルバーバーチだろうがなんだろうが、あれもこれもと読むのにきっとためらいは何もなかったでしょうね。
私がこの仕事に進む理由は原稿の巻末にあります「ことはじめ」を今一度お読みになられてみてください。
私は自分の身におきた奇病を癒してもらうが為に誓約として誓い、
この仕事を始めたのです。
途中で投げるわけにはいきません。
私がこの仕事に進むことを誓った相手は、姿かたちも観る事のできない神ではありますが、
だからこそ、私が進めてゆくこれらの作業は引け目があってはならないものなんです。
神に誓った作業の中身が、他の人の書いたものを読んで書き写すようなモドキであってはならない。
これが私が他の方のデータになりそうなものを避けている理由です。
私が書き上げたものを世に出すのは神に誓った事を守る事でもあるんです。
なのに、私の書いたものを盗作する方が出てくると、
しまいには逆に彼のまがい物扱いをされてしまうおそれがある。
すると結果、彼のまがい物と思われたなら私の原稿は誓いを果たせなくなりかねません。
一切はこれらを危惧しての事なんです。
私は彼の盗作は許していると書いてきたではないですか、
ですがこれ以上させるわけにいきませんし、
まがい物扱いをされる危険性は払拭もせねばなりません。
ですからこの事を世に認知してもらうが為に彼が盗作であることを表明しているのです。
私にとってこの作業は神聖なものであり、無我無心無執着であるべきなのだという事は百も承知しています。
だから精一杯頑張ってみて、その上で私の原稿を結果として世に送る事ができなかったなら、
誓った相手、神も、私を咎めたりはしないとは思いますし、
だからこそ私は結果にはとらわれる必要はなく、ただ進めてゆけばよい。
それらの事も十分に承知しています。
しかし私はその上で、「自分のできる最善を行わなければならない。」
違いますか?
****************************
さて、米さん、あなたは私に言う。
あなたの原点に戻れと。
偽物スピから被害に遭う方を救う?それを原点と私に言う。
しかし勝手な思い込みをされていますが、それは私の原点ではありません。
私の「ことはじめ」を知らないでそうやって勝手に思い込んでいますし、
偽スピの被害から人々を守ろうと決意した経緯や理由は別にあり、
それらの理由もこのブログのどこかに何度か書いていますが、
私の原点は別にあり、こちらブログにも載せていますが、
「ことはじめ」に記してあります。
噛み付く相手?
勘違いにもほどがあります。
米さん、あなたはあちこちのランキングに参加している中でどれだけのインチキがいるか理解していますか? 把握できていますか?
私は他にもインチキやパクリ、虚言や妄想でチャネリングしてるだの神と会話してるだのと言っている人たちや、
遠隔ヒーリングだのと謳っている人らの真贋のおおよその区別はできています。
しかし、あまりに数が多すぎるのと、これだという目立つ徴候を微妙にボカしている人たちの様子は残念ながらそのほとんどを放置しているんです。
今やブロガーの4割がパクリだと言われていますが、こと精神世界系統はその中でも一番多い。
何しろ霊感商法なりスピグッズの販売、あやしいヒーリングと、なんでもかんでも鵜呑みにしてしまいがちなオカルトを信じてしまうようなカモが多くいるジャンル。
こんな偽物らにとってこんなにもおいしいジャンルが他にありますか?
なのに、どれだけインチキがいるのかわかってないからそういうことを言うのでしょうね。
(こういうことで意見をしてくるのなら、一度パクラーやインチキ偽物、こうしたものを徹底して研究してからものを言って頂きたいものですね。
今や大学の卒論ですら山ほどパクリが横行しているほどなのですよ。)
それとですね、パクリ癖のある人達のクセってあるんですが、(これは妄想や創作神示を騙りたがる方にもあてはまります。)
これの見分け方を一つだけここで明かしましょうか。
それは、無理してでもほぼ毎日記事を書く人。
これはですね、よおく緻密に観察をしていますと、どうやら、毎日のように記事を書いていてネタが湧いてこないようになりだした人が主にやるようなんですよ。
(毎日記事でない人ももちろんやる人はいますが。)
それはアルク氏の盗作神示での記事や、盗作した神示記事の神様の名前のすげ替え使い回しなど、
無理して日々毎日書こうとする方がヨソの神示なりブログなりを読みあさって書くようになる。(大量盗作がバレ、そうした「毎日記事」を書けなくなった彼は退散をしましたが。)
実際私も彼にはされてきていますしね。
I氏もほぼ毎日書こうとし、行き詰まってあちこちからパクっている。
それを人々はつぎはぎの寄せ集めという意味で、彼の文を「パッチーワーク」と呼んでいます。
無理してほぼ毎日記事を書きたがる人というのはですね、ランキングで上位を維持しやすいと考える人もおるようですし、
I氏のように、ラン○○グでナンバーワンだと言い張れるように、それを謳い文句にしやすいように、
日々記事を書きたがる人もいると。
実際、そのせいで彼の文章は大勢の検証者らからパッチワークと見ぬかれているではないですか。
で、今回かの方は2日に一度か時にほぼ毎日書かれていますが、
なんとか論だとか、既に既存に存在するものの解説をしたがる方って、
何かをヨソを読んでモノを書くのに抵抗のない人なわけですからなおさらです。
それと、米さん、あなた、私が示したこの部分、
> 内容がかぶっていたり、ひねって書いているものが他にもあるし、
> なぜそれらが私のものより日付が後なのか。
これ、どうやらどれだか気づいていないようですね。
ネタ探しで読みに来、うちを読んだ上で、「微妙にパクりにはならない」、
「ひねって」書いたものが彼はあるようなんですがね。
どれだか区別ついておらないようですね。
これはネタ探しをしにきた人の特有なやりくちなんですがね。
そうそう、ぜひ一度、「浄化」やら「ゴミ」やらで「当ブログの検索窓から」検索してみるといいですよ。
パクル人っていうのはですね、堂々とあからさまなパクリを断行する場合、
一般的な概念に見えなくもなさそうなものを主体に選んで盗作をする人が多いんですよ。
もし人々に感づかれても、中身は、なんだ、そんな事は一般概念じゃないかと受けとめてもらえそうなものを主体に。
そこがまたパクラーの狡猾な所なわけですが。
しかしまた、そうは受け止めてもらえそうにない内容をパクろうとする場合や、人々に気づかれやすいものを拝借する場合、
「人の書いたものをネタにしつつも」、中身を大幅に「ひねって」書かれる人もいるんですよ。
話が脱線しましてパワーストーンの真実
http://firstdoor.jugem.jp/?eid=437
米さん、この記事、一度読んでみてくださいな。
特にほぼ下書きのまんまでそのまま載せてしまった、後々の清書時のことを考えて、部分的に閉じ括弧で注釈が残ったまんまの前半の部分を。
それに、これはよくよく冷静になってみてほしいのですが、
彼の言うなんとか論とゴミ屋敷とどう関係があるのか?
ネタをゴミ屋敷一本で記事を書くのは本来無謀なことではないのか?
ネットでブログを読むようなごくごく通常な人の中にどれだけ自分の家をゴミ屋敷にしてる人がいるのか?
まあ結び方は別にもっていってるのはわかりますがね。
記事ネタ消化で無理に書いたようにしか見えないんですがね。
ほぼ同じ文と、ひねり球、こうして急遽ここにきて複数出てきているからなおさら確信したんですが。
(記事タイトルからして妙に感じたからチェックしにいったのはこういうことです。)
あの方は、うちにネタ探しにきています。
もうさすがに以降はやらないでしょうけどね。